【連載】家族会議『1日5円のお小遣い』
「親戚で一番幸せな家族になろうよ」のひと言から始まったわが家の家族会議。その様子を、録音記録をもとに書き記しています。
前回の記事はこちら。
家族会議9日目#1|1日5円のお小遣い
――2020年1月14日。家族会議を始めて9日目になる。
この日は父の子供時代の話を振り返り、その思いを探っていった。
わたし
昨日、(子供のころを)振り返っていくっていう話になったよね。
母:
うん。子供のときの気持ちを出す、赤ちゃんのときから自分を育てるみたいな感じで。
わたし:
うん。で、お父さんなんか思い出したことあった?
父:
絞り出した結果、嫌なことじゃなくて嬉しいことがでてきたんだ。
わたし:
うん、いいと思う。
父:
誰に対してかというと、お袋に対して。
小学校の頃、毎日5円ずつお小遣いいただいてるんですよ。今日5円、次の日も5円って。
わたし:
毎日?
父:
毎日。5円あったらね、結構買える。買えるんだ駄菓子は。
わたし:
うんうん。毎日ってすごいね!
父:
毎日。どういうわけか。中学校入ってからはまとめてよこされたけど。
やれば使うっていう感覚があったのかな。全部使っちゃうって。
それで、こまめによこしたのかな。
母:
ちっちゃいしね。
父:
それもらうのが嬉しくて。もらったらすぐ駄菓子屋さんに走ってって、よく買い物したもんだったなって。嬉しかったなと。
わたし:
どんな駄菓子買ってたの?
父:
あれはね、何だったっけかな。それ1個買うとさ、当たり外れがあってさ、ひっくり返すと当たりとかあると、もう1回取れる。
食べ物よりもそれが印象に残ってて、何買ったかわからない。笑
わたし:
当たり付きのお菓子を買うのが好きだったんだね。
父:
うん。
わたし:
わたしの頃と違うのかな。
父:
違うでしょう
母:
だいぶ違うかもね。
――そんな話をしていたら、一緒に駄菓子屋さんに行ってみたくなった。父を連れて。そしたら何か、幼少期の記憶がよみがえってくるんじゃないかとか思ったけど、結局、近くになくて行かなかった。
ただ、父の買い物好きやお菓子好きは、こんな記憶から来ているのかも。と思ったりした。
わたし:
小学校の間ずっと?
父:
ずっと。何年生からっていうのがはっきりしないんだわ。
やっぱりあれだよ、俺に毎日よこしたっていうのはね、使うからだわ。
母:
そうかもね。
父:
兄貴は渡しても使わないけど、「和義は渡した分全部使っちゃう」とよく言ってた。だから毎日小出しによこしたんじゃないですか。
わたし:
前科があるってこと?笑
まとめて渡してみたら、1日で全部使っちゃったとか。
父:
うん、ほとんど使って。
わたし:
でこれは駄目だって。笑
父:
それともう一つね、これも嬉しいことなんだけど、「和義何々やれ」って言われたら「はい」やるわけだ。そうすっとそれに対して、ありがとうも何もあんまりなかったけども。こっちが気を利かしてね、やったことに関しては、ありがとうと感謝の言葉をもらったわね。
そうするとそれを目的にね、気を利かせなきゃいけないという意識が働くんだな、必然的に。今おふくろは何を求めてるかっていうのを考えるようになってさ。
わたし:
うん。
父:
それの一歩手前手前をやって。それで、「和義気が利くんだね」とか言って褒めてもらった。
だからなんていうの、俺思えば、行動にはね、お母さんがよく言う、「勝手にやって」って言われるのはね、そのときの癖が移ってるのかもしれんね。
わたし:
うん、そうかもね。
父:
褒めてもらいたいっていうのが、下心があって、「これを多分要求しているはずだ」とかさ、こっちの想像で次々とやっちゃうと。そうするとお母さんにとっては、「それはちょっと私の思うところじゃないよ」と。いうのでぶつかってるのかも知らんね。
わたし:
そうだね。その頃のお父さんは、おばあちゃんのことをもっともっと、よく見ていたのかもしれないしね。それで、ピンポイントに望んでいることができる状態だったのかもしれないし。
そうじゃなくても褒めてくれたっていうのあるかもね。おばあちゃんの場合。「子供が気を効かせてやったんだな」って思えば親としてさ。
それがお母さんとの場合だと、またちょっと違うってことだよね。親じゃないから。
父:
ちゅうことなんだね。
ほんでこれちょっとズレるんだけど、昨日のわけのわかんない話に似てるんだけどね。
おふくろと親父がいて、どっちに嫌な思いしたかとか、そういう感じをいただくっていうのはね、やっぱりコミュニケーション回数が多い方だろうと思うんだわ。
お袋に対して、良いこともあるけど悪いこともある。嫌なこともあるのが多いんで、こっちが圧倒的。親父は、何回も言うけど「高校行け」っていってくれた、この一言だけだから。印象に残ってるのは。あとは全くないんだな。怒られたこといっぱいあるけど。いっぱいってそれもね、とにかく少ないんだよ親父の
母:
接触自体が少ないってこと?
父:
うん。コミュニケーションも少ないし、思い出も少ない。
だからコミュニケーションっていかに大切かってのは今になってわかる。もう歴然と違うもの。思い出が。お袋が長生きしたからという話じゃないんだよ。長生きしたこっちの期間(晩年)、あまり話してないからね、お袋と。
母:
育ったときの話ね。
父:
そうそうそう。それが何か、はたと気がついたな。
- 今日はここまで -
とにかく母親に気をつかっていた父。それは褒められたくて、愛されたくてやっていたことだと思う。だけど一方で、母親が絶対的な存在で、逆らえなかったんじゃないかと、最近思う。
わたしが幼いころを思い返すと、母方の祖母と会う時と違って、父方の祖母と会うときはどこか緊張感が漂っていた。
それはきっと、父がそうだったからではないか…と。
母曰く、父は帰省したとき、存在を消していたというのも、それを裏付けている。
愛されたかったと同時に怖かった。母親が。
亡くなってもなお逆らえない。母親に。
その事実と向き合えない限り、父がわたしたち家族と向き合うこともできないように思う。
<次回に続く>
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