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今週のMornin#65

日光、塗り物のように、濃く深く


夏深まる、ことに、日々の気温・暑さでのみでしか感じられない。本当は夏ってなんだったっけ、これまで印象的に経験していたことってなんだったんだろう。思い出せるだけ思い出して。小学生の時は夏休みのプールで、中学生の時は部活動で外を走り回った日々で、高校の時は部活動もしていたけれどそれよりも深く、受験勉強で毎日高校の空き教室に通っていたことだった。センター試験の勉強をするために、点数を一つでも稼ぐために、その一つを稼ぐためにあたりをつけきれないことを積み重ねたり、思考の訓練を何度も行ったり。確かに人生でそういうシチュエーションは少なくはないからかなり感謝している体験ではあったし、それに時間を費やしたことも後悔はしていないけれど、もしかしたら、もしかしたら別の未来がそこに選択肢としてあったとも強く思う。高校生の夏が、取り返せる一つの大事な瞬間だったと思う。それが自分が夏が嫌いな理由の一つだと思う、同時に愛さざるを得ない呪いの一つでもある。

gloomy

今週のMornin


lasting

写真の感想


昨日、仕事終わり、台風一過、一日酷暑、あまりに熱波、見上げれば夏の光、硬くて鋭い閃光が、ビルや山や雲に突き刺さる。刺さられた雲は気圧の風に煽られて高さをとり大きくなる。仕事終わり、電車で勤務先から家の方向に向かう。中央線車内、職場の先輩が近くにいる中で、1人でずっと外を眺める。自分だけが見えていればいいけれど、あまりに素晴らしいので先輩にも伝える。雲がすごくいいですよ、夏ですよ、夏の終わりかもしれません、もうこれで最後にさせてくれるのかもしれない。もしくは最後は見せないけれど、これを見て終わりにしてくれだとか、いろいろ気になる。1人で思考と発言をごちゃごちゃにして羅列していた。久しぶりに無機物に感動していた。電車は横にずっと進んでいく、雲はあんまり早い速度では進まない。沿線が開けているところもあればビルや建物で視界が遮られることもある。周りの視線は感じるが実害のない範囲で写真を撮る。何枚か、4枚撮れた。撮れてよかった。もちろん、もっと綺麗に満足するように撮ること自体はできることだ。ただ、自分はこの流れと物語の中で写真を撮った、ということが大事で愛したくて忘れがたくて、出来上がった写真はその体験の表面に残るもので、何が目的かを忘れないように色々な活動を続けていきたい。やっぱりとてつもなくどうしようもなく忘れやすい自分が、忘れたくない素晴らしいと思ったものを忘れさせないようにするために写真を撮っているのだ

F4 SS1/1500 ISO640
NOKTON 35mm F1.2 X mount


Love & Personal Convenience(自己都合)

愛を語るときに、簡単に二項対立にしてしまう方が論が進みやすい。
愛はあるものなのか、実はどこにもないものなのか、そうしたらどこかで生成されるものなのか、どこかで果実のように実になっていて埋まっていて、見つけることがそれなのか。無意識に何かを伝えるときもそういう方法を使ってしまう。そういうやり方を教えてくれた人がいた。無意識に学んだことではなく、やはり教わったことだった。学校教育でも塾で通っていた公文式でもない、進研ゼミでもない。それを教えてくれた人に、今でも愛と自己都合ってどう思うのか聞きたかった。似ている人は何人も出会ったことはあるけれど、やっぱり人間は唯一だったと思う。後悔と雑念、夏ってそういうものの存在感の集まりだったし、見上げて雲があるかどうか、月があるかどうか、なんにも見えない青空かどうか。そういう瞬間ですでに夏が老けていった。

line wire task


夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます