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今週のMornin#58

half and mixed


6月は今日で終わり。月末がちょうど日曜日に来るとちょっと嬉しい。きれいなリセットという感じがして。リセットに綺麗も汚いもないとは思うけれど、どちらかというとそっちの方が好ましいとされることというのは多数ある。自分の心からの真意でなくても、周りがそう期待するであろうことを選択することは数多あると思う。義務的なことはそれはそうだけれど、そうでなく、そこにもその人らしさみたいなものが滲むと思う。そういう意味では、別に月末が日曜日だからといって、それが心から綺麗だと思うかと言われればそうではない。あくまで冒頭の書き出しの文句としては始めやすいトピックの一つだと思った。言葉の投げかけにおいてどれくらい丁寧に丁寧に、可も不可もない誰も傷付かない話題を選んでいるかを振り返ってみたときに、ちょっとだけ死にたくなった。そういう内省ができて定期的に自分の影の部分をがむしゃらに誤魔化そうとするような人間でも、うまく生きようと努力していいし諦めてもいいと思った。優しさってやっぱり、なんだろうか。分厚い聖書を見返してもそれは全て書いていない。

Silk tree



今週のMornin


pour out


写真の感想

お友達が新宿のお店に立ってお店番をし始めた。とっても羨ましくて楽しそうでよかった。お酒を作って出すだけのお仕事ではなくて、その場の雰囲気や流れも作るような、難しそうなお仕事だなぁと思った。お店の雰囲気もきっと大事で、ある意味全てコントロールできるところで、どこに無為や故意を残すかとか、ここは空白にするとか、そういうものを考えるのも楽しそうだと思った。デザインの分野かもしれないけれど昔からそういうのを想像するのが好きだった。そこって完全に「何を美しいと思うか」に繋がるところで、他の人に「センスが問われるからみんなしたくならない」らしい。自分にセンスがあるだとか、センスに自信があるだとかは置いておき、これまでの経験的に学習してきたことに信頼があるからこそできることの一つだと思う。言葉も写真も絵画も音楽も、誰かがいいと思って作ってくれたものを自分がさらにいいと思えて取り込みたくて一緒になりたくて受け取ったものが積み重なってきっとセンスができるのだから。これは過去の自分とその時の師だったものたちへの信頼だと思った。そういう意味では自分は何かを外在化させてかなり気楽に生きる戦略を取っているのだろう。最後に責任を取る時になったら自分が1番、と思えるだろうけれど、その自分を形作ったのはあえて外からのものだという信頼が、好き勝手している自分の一つの基礎だと思った。
F1.4 SS1/100 ISO6400
NOKTON 35mm F1.2 X mount

勝つだけがRPGじゃない


Construction site

昔、子供の頃にしていたRPGゲームについて考え直していた。当時の幼稚な自分はとにかくクリアを目指して、シナリオは飛ばして、レベルを上げたりいい装備を探しに出たり、とにかく勝つことが正義だったし、自分にとってそれが分かりやすく好ましいことだった。おかげでゲームはいつかクリアできたし、クリアしたゲームはそこまでで終わり、次のゲームに移っていく。いつからかそういう取り組みになり、いつかそういう取り組みすらしなくなっていた。大人になってきてからはそういう取り組みではなくてほぼ真逆のことが起きていた。当たり前のことで、ゲームだからといって味方にも敵にも人生があって生活があって、細かいことでも食事があったり洗濯があったり、歩いたり移動したり、そういうものが当たり前のようにあるのに、全く目を向ける気がなかったことが恥ずかしかった。協力ゲームやら大人数でするゲームの経験があまりないだけに、1人用のゲームばかりしていただけに、今までのゲームをもう一度、ひとつひとつやり直したいなと思っている。自分の時間ってこういうものでもあるのだと思った。


夏はアイス、秋は焼き芋、冬はおでん、春はさくらもちを食べます