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赤ちゃんの頃の記憶―10 <言葉>

ども、心郎太です。
今回も、前回に引き続き『言葉を覚えるきっかけの話』2話目です。
皆様は、言葉を覚える前の記憶はありますか?
ある方がいたらぜひ聞いてみたいです。


すべてはここから始まった。胎内記憶のお話もよかったら読んでくださいね。


言葉を覚えるきっかけの話②


もう少し時が進んで、自分の中の感情の種類が増えていき、だんだんと思考も複雑になり始めていた。

例えば、<あっちの部屋に行きたい>とか<あのおもちゃを取りたい>とかである。
以前に書いた「赤ちゃんの頃の記憶―5 <白湯>」の話もいい例だ。


そんな理由で泣いていても解決してもらえず、満たされないことが増えてきた。

泣き方や、心を読み取る的なことでは伝わっていない可能性が高くなっていた。


僕の家族は、父と母、二つ上の姉の4人家族だ。

父を見ていた。
すると母が何かを持ってきた。
当然のように、まるで持ってくることも、持ってくる物も知っていたかのようにそれを受け取った。

姉を見ていた。
母から何かをもらっていた。
自分もそれが欲しいと思った。
だがもらえなかった。
泣いてももらえなかった。


そういうのを見ていると不思議だった。
<泣くとか、想いを読み取る的なこととは別の何かがあるのでは?>と思い始めていた。


今まで声の出し方が大人たちとは違うと思っていた。

<もしかしたら、声が合図になっているのでは?>と思った。


ずっと観察していた。


ある時、父と母が別々の部屋にいた。
絶対にお互いが見えない位置関係だった。

父が何か声を出した。
すると母が何かを持ってきた。

父はそれを当然のように受け取った。


僕は確信した。
言葉があると―――。


言葉があると思ってからは、父や母、姉の声を注意深くきくようにした。

すると予想通り、物にはそれぞれの名前がついていることが分った。

自分の名前もそのひとつだ。


言葉を観察するようになって驚いたことがある。

それは物の名前だけでなく、動作や感情などにも言葉が存在し、想像以上に種類があることに驚いた。

胎内のころから感じてきたことや、新しく生まれた感情や感覚のほとんどすべてに言葉があった。

言葉から学んだ感情や感覚すらあった。

言葉の組み合わせで意味が変わることに気づいたときは、それらを理解するのは途方もないように思えた。


つづく

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