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フェミニズムとアートの歴史:戦後日本で何が起こったか(論文読)

北原恵さんの2022年の日本学報に掲載された雑誌論文「フェミニズムとアートの歴史:戦後日本で何が起こったか」を読み、簡単にまとめました。

実際の論文は以下から見ることができます。

女性アーティストがいかにアーティストとして活動すること、ましてや学ぶことさえも難しい環境であったかが論文を通じて見えてきます。

そんな中でも、富山妙子さんや、岸本清子さんのように積極的に活動してきた方々もいます。草間彌生さんや塩田千春さんなど、女性アーティストの台頭も目を見張りますが、それも業界全体で見ると、まだ割合的に低いです。

私にとっては、女性アーティストの存在は昔から強力でした。オノヨーコさんや三島喜美代さん、海外ではサラ・モリスさんやクラウディア・コントさんに影響をもらってきたので。

しかし、世界的に見たら、日本はまだまだなのかもしれません。

業界が持つ課題、フェミニズムとアートの未来を論文では再考させてもらえました。

個人的なまとめなので、間違いや誤字もあるかと思いますが、残します。

「フェミニズムとアートの歴史:戦後日本で何が起こったか」


UnsplashSaara Sanamoが撮影した写真

1、戦後日本におけるフェミニズムとアートの関係

日本におけるフェミニズムとアートの歴史は、戦後の社会変革の一環として注目すべきものです。特に、女性の地位が依然として低く、性別による不平等が根強く残るアート界では、このテーマは避けて通れない課題です。今回は、戦後日本におけるフェミニズム・アートの歴史とその意義について簡単にご紹介します。

2、女性アーティストの現状と課題

日本の美術界では、女性アーティストが直面する問題は少なくありません。例えば、全国の主要美術館での館長職の約8割が男性であるのに対し、学芸員の4分の3が女性という現状(2022年論文発表 時点)があり、トップに立つ男性とそれを支える女性というジェンダーアンバランスが浮き彫りになっています。また、女性アーティストの作品が所蔵されている割合もわずか1割程度と、非常に低いことがわかっています。

このような不均衡な状況が続く中で、最近では美術大学でのハラスメント問題や、著名なアーティストが告発される事例も増加しています。これらの問題は、女性がアート界でキャリアを積むことの難しさを象徴しています。

3、フェミニズム視点からの美術史研究・批評の歴史

日本におけるフェミニズム視点からの美術史研究は、1970年代に英語圏のフェミニズム・アートの動向が紹介されたことから始まります。リンダ・ノックリンの「なぜ偉大な女性芸術家はいなかったのか?」などの重要な著作が日本語に翻訳されましたが、当時の美術史学界ではフェミニズムに対する関心は低く、研究の進展には至りませんでした。

その後、1990年代初頭に若桑みどりや千野香織が美術史学会で「フェミニズムと美術史」を取り上げたことで、ようやく本格的な研究が始まりました。1995年には「イメージ&ジェンダー研究会」が結成され、ジェンダーやセクシュアリティ、エスニシティなどの視点からの分析が活発に行われるようになりました。これにより、フェミニズム視点からの美術史研究は徐々に広がりを見せました。

1996年以降、東京都写真美術館などでジェンダーに焦点を当てた展覧会が次々と開催され、美術史研究と現場の連携が強化されました。しかし、1997年から98年にかけて、ジェンダーの視点が日本文化にそぐわないという批判が高まり、「ジェンダー論争」と呼ばれる議論が巻き起こりました。この論争は美術界に限らず、社会全体にも影響を与え、2000年代初頭には「ジェンダー・フリー・バッシング」と呼ばれるフェミニストに対する攻撃が広まりました。

現在でも、日本におけるフェミニズム視点からの美術史研究は発展途上であり、インターセクショナリティやクィア理論の導入が喫緊の課題とされています。

4、戦後から現在までのフェミニズム・アートの展開

戦後、日本のフェミニズム・アートは、1970年代以降に徐々に台頭し始めました。当時、英語圏で活発に議論されていたフェミニズム・アートが日本にも紹介されましたが、美術史学界での本格的な研究や議論の進展は、他の社会学や歴史学と比較して遅れていました。

1990年代初頭から、若桑みどり千野香織といった美術史研究者たちが、フェミニズムの視点から美術史を再考する動きを始めました。彼らの取り組みにより、日本におけるフェミニズム・アートの研究が本格化し、さまざまなフェミニズム視点からの著作が次々と出版されました。

女性アーティストの抗争と活動の歴史:1930~1980年代


UnsplashRach Teoが撮影した写真

1. 1930年代~敗戦期:男性中心の制度に対する挑戦

日本におけるフェミニズム視点のアートは、1970年代に突然現れたものではなく、その起源は1930年代にまで遡ることができます。当時の日本では美術の大衆化が進む一方で、女性は依然として美術教育や発表の場で不平等に直面していました。例えば、東京美術学校(現・東京藝術大学)は女性の入学を認めておらず、女性アーティストたちは男性優位の制度に対抗するために、「朱葉会」や「女艸会」などの女性美術家グループを結成し、自らの作品を発表する場を作り出しました。

この時期、長谷川春子をはじめとする多くの女性アーティストが、戦争と密接に関連した活動を展開しました。長谷川は旧満州や蒙古、中国などの戦地を訪れ、日本軍の「活躍」を伝える絵画を制作しました。また、彼女が結成した「女流美術家奉公隊」には、戦後も活躍する多くの著名なアーティストが参加していました。こうした活動は、戦争協力という側面も持ちながら、女性たちが美術の世界で自らの存在を主張する重要な手段となっていました。

2. 1945~1980年代:戦後の復興と新たな挑戦

敗戦後、日本社会は男女平等を掲げ、女性たちも美術大学で学ぶ機会を得るようになりました。女性アーティストたちは活動を再開し、前衛美術や社会批判をテーマにした作品を次々と発表しました。三岸節子や桂ユキ子のような画家たちは、戦後の混乱期にも精力的に活動し、国際的な評価を受ける一方で、「女らしさ」という社会の期待に常に挑戦していました。

また、この時期に活躍した芥川紗織の作品は、フェミニズムの視点から日本の神話や民話を再解釈し、染色という技法で独自の美術表現を確立しました。しかし、当時の美術界では、布や染色といった素材が油絵よりも下位と見なされ、女性の作品はしばしば周縁化されました。

3. 1960年代以降:ジェンダーと身体性への意識

1960年代になると、日本の女性アーティストたちはニューヨークへと飛び出し、国際的な舞台で活躍を始めました。オノ・ヨーコや久保田成子といったアーティストたちは、女性の身体性やジェンダーに関する問題をテーマにした作品を通じて、世界中で注目を集めました。一方、九州では田部光子が自らの妊娠経験をもとに、フェミニズム運動の先駆けとなるような作品を制作しました。

また、出光眞子のように、家父長制や性別役割に対する批判をテーマにした映像作品を手掛けたアーティストも登場しました。彼女の作品は、ジュディ・シカゴの「ウーマン・ハウス」を記録した映像作品や、自らの経験をもとにした実験的な作品群が知られています。

4. 忘却される女性アーティストたち

1960年代から70年代にかけて活躍したこれらの女性アーティストたちの作品は、当時の批評には数多く取り上げられましたが、その後、戦後日本美術史においてはほとんど記述されなくなりました。中嶋泉は、この忘却の原因を探るために、草間彌生や田中敦子、福島秀子といったアーティストたちの作品をジェンダーとナショナリズムの視点から分析し、彼女たちの作品が「アクション・ペインティング」に対抗する「アンチ・アクション」としての意識を持っていたことを指摘しています。

アンチ・アクションについて

「アンチ・アクション」は著者独自の概念だ。激しい身ぶりによる男性的な抽象表現「アクション・ペインティング」に対して、本書が扱う同時代の女性画家、草間彌生(やよい)、田中敦子、福島秀子に共通する抵抗の姿勢を指す。3人は戦後美術史で「例外的」あるいは「居場所をなくした」存在だという。足かけ10年に及んだ今回の調査・執筆は「とにかく資料を集めることから始まった」。図書館に通っては戦後、60年代半ばまでのさまざまな芸術雑誌を1ページずつめくって女性作家に関する記事を探し、資料の多さや抽象表現主義との関連などからこの3人を対象にした。「3人がそろって『アクション』の傾向に対して違和感を持っていたというのも面白い発見でした」
こうして、日本の女性アーティストたちは男性中心の美術界に抗いながら、自らの表現を追求し続けてきました。彼女たちの活動は、今日のフェミニズム運動やジェンダー論にも深い影響を与えており、その功績は再評価されるべきです。

サントリー学芸賞、中嶋泉・阪大准教授 「男たち」の美術史に一石
https://mainichi.jp/articles/20210218/k00/00m/040/179000c

女性アーティストの活動:90年代から現在まで


UnsplashZach Keyが撮影した写真

1990年代から現在にかけて、女性アーティストたちはフェミニズムを背景に、様々なネットワークを構築し、その活動を通じて社会的な影響を与えてきました。

1、フェミニスト・アーティストのネットワーク形成

1990年代初頭には、富山妙子や桐谷夏子によって設立された「アジア・フェミニスト・アート」(AFA)が短期間で解散したものの、イトー・ターリを中心とした「ウィメンズ・アート・ネットワーク」(WAN)が1994年から2003年まで活動し、女性アーティストのネットワークとして重要な役割を果たしました。WANは2000年に「越境する女たち21」展を開催し、アジア各地のフェミニストアーティストたちとの連携を強化しました。

2、個人的な記憶とジェンダーをテーマにした作品

1990年代以降、女性アーティストたちは「記憶」や「経験」、「女性性」をテーマにした作品を多く制作しました。石内都の「mother’s」や塩田千春の作品が代表例であり、これらの作品は個人的な体験や記憶を深く掘り下げ、女性の存在や身体性を強調しています。

3、妊娠・性・検閲とフェミニズム

1990年代後半から、女性写真家たちが活躍する一方で、男性批評家たちからの批判もありました。長島有里枝は、自身のヌード写真を通じてデビューし、後に「ガーリーフォト」として再評価されました。また、21世紀に入ると、妊娠や出産に対する認識が変化し、女性アーティストたちがこれらのテーマを作品に取り入れるようになりました。

4、戦争・歴史・アジアとの関係

2000年代以降、フェミニズムとアートの分野では、アジアや歴史、戦争体験に注目する動きが見られます。特に「アジアをつなぐ:境界を生きる女たち1984-2012」展は、アジアの女性アーティストに焦点を当てた大規模な展覧会であり、彼女たちが社会や歴史にどう向き合ったかを探る重要な試みでした。

アジアをつなぐ:境界を生きる女たち
近年、アジアの女性アーティストを取り巻く状況は急激に変化しています。アジア諸国の経済発展やジェンダーに対する社会意識の高まりなどを背景に、時代のうねりは女性と社会、アジアと世界との関係に、今までにない構造的な変化をもたらしています。こうした状況下で、アジアの女性アーティストたちは何を感じ、どのような立場から、何を表現しようとしているのか。本展の狙いは、その軌跡をアジア美術が国際的な注目を集める前の1980年代から丹念にたどることにあります。本展で紹介するのは、45人のアーティストによる約120点にのぼる作品で、この規模で開催されるアジアの女性アーティスト展は日本で初めてとなります。女性特有の問題を意識して作られた作品から、社会や歴史のなかで周縁化された人々、そして暴力や死などにまで広がる関心を凝縮した作品などが一堂に会し、会期中にはアーティストによるトーク、ワークショップ、パフォーマンス、上映会などのプログラムも開催します。「アジア」「女性」「アート」という3つのキーワードが掛け合わされたところで生まれる作品から、創造的でポジティブな可能性をきっと感じていただけるに違いありません。

https://faam.city.fukuoka.lg.jp/exhibition/7783/

5、社会の変化と美術界の課題

近年、日本の美術界ではジェンダーの不均衡やハラスメントが問題視されており、フェミニスト視点からの展覧会が各地で開催されています。女性アーティストたちの活動は、これまでの美術界の常識を問い直し、新たな社会的視点を提示する役割を果たし続けています。

おわりに

フェミニズムとアートの関係は、日本の美術界における女性の地位を理解する上で非常に重要なテーマです。今後も、このテーマに関心を持ち、社会の変革に寄与するアートの力に注目していきましょう。

サポートいただけたら、とても嬉しいです。活動の費用として大事に活用します。感謝を込めて。 スギタ コウキ