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フィルムカメラやレコードが少し流行っているのには、ちゃんとした理由があるみたい。

こんばんは。

最近夜ごはんを食べたあとすぐに眠くなってしまい、こんな時間にまた起きて書き始めるというよくないサイクルに入ってしまっているみたにです。食べたら眠くなっちゃいますよね。

さて、昔からフィルムカメラで撮った写真の雰囲気が好きだったり、lofiが好きでレコードを少し買ってみたり、アナログなものや少し前時代的なものが好きなのですが、どちらかというと自分の天邪鬼な部分が影響しているんだろうな、くらいに思っていました。世間的にも一部で写るんですの写真がちょっと流行したり、レコードが最注目されているなどの流れがありますが、色々なもののデジタル化、便利になっていく時代の流れに対する一時的な揺り戻しであって、自分のような一部の捻くれ者が一定数はいるんだなくらいに思っていました。笑

そんなときにこちらのnoteが偶然目に入り、あれ?もしかしたらアナログなものが再評価される流れは一時的なものじゃないかも?と気づきがありました。

lofiやフィルムカメラ好きの方にはぜひ一度読んでみていただきたいのですが、特に

ローファイにはざらりとした「摩擦感」のようなものがあり、この摩擦感が「音楽を聴いている」というダイレクトな実感を生み出しているのかもしれません。

という部分にはなるほどと、昨今「エモい」と言う言葉に逃げがちなlofiの良さを、ビシッと言語化されたような感覚がありました。今曲を聴くのは基本サブスクで、こちらが意図せずとも良質な音楽がストレスなく自動再生されます。とってもありがたいことで、知らないアーティストや曲に毎日出会えることはこの上ないのですが、でも「聴いている」という感覚が薄い。サブスクのサービス上では好きな曲を愛でるみたいな行為からは遠いなと思います。

色々なものが便利で、ストレスなく目の前を通り過ぎていく中で、手間と時間をかけることで自分の好きという感情を実感したり、ノイズがあることで音楽だけでなくその背景にまで想像を膨らませる余白が生まれていたんですね。

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(19の時の写真だからもう8年前...。浪人をしていた時のものなので、どこか陰鬱とした雰囲気も感じますね。気のせいですか?)

昔フィルムカメラで写真を撮っているとよく周りの人に「なんでフィルムで撮ってるの?」と聞かれていました。その時僕はいつも「んーなんでだろ。デジタルのくっきりしたのもいいと思うんだけど、フィルムの空気を撮ってる感じが好きなんだよね。撮りたいものと、自分の間にある空気感まで写してくれる感じが好きで。」と答えていました。これ言う時絶対ポケットに手突っ込んでただろ。俺。あー恥ずかしい!今こんなことを真顔で言う奴がいたらぶっ叩きたくなりますが、ただ自分がフィルムが好きな理由は少しは理解できていて、あながち間違っていなかったんだろうなぁと、小っ恥ずかしい気持ちと、ちょっと嬉しい気持ちになりました。

これからも色々なコンテンツがストレスなく、無意識に体を流れていくようになるんでしょうね。そうなると、こういった手間や時間、余白みたいなものを楽しむ感覚は決してマイナーで廃れていくものではなく、むしろそういった気づきが今よりももっと多くの人に生まれて、大切な価値として浸透していくのかもしれないなーと、そうなればすてきだなあと思います。

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