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TureDure 12 : 遠隔会議で私たちはどんな仮面をつけているのか?(キース・ジョンストンのインプロにおける「仮面」の話)

   ほりこーきがお送りするあんな思考やこんな思考を書き連ねるパルプ随想録「TureDure」(とぅれどぅれ)。誰かのためというよりも自分のために書いているこのマガジンも12回目を迎えました(パチパチ〜)。
   これも、毎回変わる主題に対していろんな方が「スキ」をしてくれるおかげであります。ありがとうございます。これからも自分のために書いていきます!
さて、今回はインプロの「仮面」について。以前Facebookに投稿した内容を一部加筆修正してお送りします!
   昨今の在宅勤務で使うZOOMですが、人の表情の変化がよく見えておもしろいなと思ってたので仮面を取り上げようと思った次第です。キース・ジョンストンのインプロには仮面の世界もあるんだぜ、ということで要チェケラッ!

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はじめに

   これはIMPRO Machineで仮面のワークショップを行った時の記録です。
(※IMPRO Machineは、インプロを教えたい人・学びたい人が実験できる、思い切り失敗できる場所として昨年からコソコソと続けている集まりです。)
   キース・ジョンストンの最初の著作である『Impro-Improvisation and the Theatre』の第5章は「Mask and Trance」です。そしてこの章は本の中で最も多くの紙幅を割いています。基本的にはこの章で書かれている内容に沿ってワークショップを進めていきました。そのおおよその内容を下記に記します。思考整理の記録として。

顔=人格=社会的自己の広告代理店である!?

 私たちは顔から多くの情報を得ています。『白雪姫』を観ながら魔女が出てきたら一目で「悪役だ」と感じるように、"顔"をメディアとして情報を摂取しています。そして、顔が変われば伝えられる/知覚する情報も大きく変わることも知っています。眉毛が濃くなったり薄くなったりすることで顔から伝えられる情報はかなり変わります。
 そして、顔は人格を表すと私たちは考えています。顔から伝わる情報によって私たちは他人のことをポジティブに/ネガティブに評価していますし、そのことを知っています。なので社会に生きる私たちは自分の社会的役割と自分の顔が一致していることを望みますし、それをなんとかして保とうとします。私たちはそうやって人格を保つために顔をコントロールして、社会に対して「私はこんな人間ですよー」って広告しています。
 特に宣伝しているのは「私は普通の人ですよー/理性的な人ですよー」というメッセージです。

仮面をつける=顔が変わる=理性的でなくなる?

 顔が持つパワーのことを私たちは痛いほど知っているので、自分の顔が変わることに恐怖を抱いています。それは、人格(社会的自己イメージ)が保てなくなるからです。そのため、なるべく自分の最適な顔を保とうと、変化されないように並々ならぬ努力を注ぎます。
 ですが、仮面は否応なしに顔が変わるので、人格が維持できない恐れが発生します。それはまるで自分が自分ではない存在になってしまい、コントロールできず、せっかく保ってきた"理性"が崩れてしまうかのような感じがするでしょう。そのため、私たちは仮面を"モノ"として扱うことによってそのパワーを剥ぎ取りました。これはただのモノだ。紙と糊でできた塊に過ぎないとしてコントロールしようとします。そうして理性を維持しようと努めます。

仮面をつけることとトランスすること

 仮面をつけると一種のトランス状態(没我状態)に入ることがあります。その時には時間感覚の伸び縮みが起こります。仕事をしていて「あ、もうこんな時間か」ってなっているときにはトランス状態になっていたと言えるでしょう。仮面をつける際のトランス状態は、憑依という現象と似ています。憑依されている間の記憶がなくなったり、逆に鮮明に覚えていたり、感覚が鋭敏になったり、時間が伸び縮みしたり、自分以外の存在に自分がコントロールされている感覚がします。
 このトランス状態のことを、西洋文化に生きる私たちは非常に怖いと感じます。なぜなら、人格も保てないし、理性的にふるまえないかもしれないからです。つまり、私たちは日常的に自分のことを自分でコントロールしている、かつ、できていると信じているということです。
 逆説的ですが、いわゆる"普通な人"は、普通な人だからこそ、条件が整えば比較的トランス状態に入りやすい人だと言えます。なぜなら、私たちは理性的であれという教育に従って、理性的にふるまうことが正しいと信じているし、そのため、理性的にしています。「あなたはだんだん理性的になーる」というような一種の催眠にかかりやすい人は何より現社会において"普通な人"だと考えます。そのため、トランス状態に導きやすい人たちは"普通な人"です。

トランス状態への恐怖と、Spontaneousへの恐怖

 こんがらがってきたのでお茶濁しに、仮面とインプロの関係性を示したいと思います。人はspontaneous(脳の自由連想機能に基づく自動的表現)にふるまうことを拒否しようとしています。それは、計画性がなく、思いつきであり、すなわち理性的でないからです。何をするかわからないことに対して責任を負いたくないという感情も持っているので、徹底的にspontaneousになることを抑圧します。
   しかし、インプロではこのspontaneousに価値を見いだし、なんとかして抑圧を解き、spontaneousを引き出そうとします。spontaneousであることは、あらゆる方法を用いて抑圧されていますが、"人格"や"理性"もその抑圧装置の1つです。自分の人格や理性に対する責任がspontaneousになることを抑圧している際に、仮面はそのパワーを発揮してくれます。そのために、仮面が怖くなくなっていく過程は、人格や理性の神話からゆるやかに離脱していき、芸術表現がそれらに絡めとられることなく達成できていく過程だと考えられます。

催眠術士としての教師

   仮面のワークショップの時に重要な変数となるのが、教師の存在であり、教師の態度です。仮面はトランスを伴う、すなわち怖さを伴うので、あんまりやりたくないことです。ですが、私たちは「私がトランスしているのは私のせいじゃない」と思い込むことができれば容易くトランス状態に入ります。これから私が行うことは私の意志で行なっているのではない、何か別のもののせい、そう、仮面のせいなのだから私は悪くない!だってしょうがない。操られているんだもの。
   こうした感覚を持ってもらうことが重要です。そのため、仮面を教える時の教師は催眠術士・カルト教祖のような寛大さと権力を引き受けなくてはなりません。これは、人を操るためではなく、安心してトランスしてもらうためです。この権力が崩れた瞬間が一番危ない。そうしたら何されても文句は言えません。
   かといって非常に抑圧的になってもいけません。あくまで寛大に、これから起こる全ての出来事は自分に責任があること、そして自分にはその出来事が決して危険なことではないと分かっているし、そこまでは行かせないことがメッセージとして伝わっていることが重要です。
   この教師の態度があるので、参加者は安心して仮面をつけて生きることができます。もし、本当に安全に仮面を試したかったら、家で1人でやることです。そうすれば「自分で自分を止めなきゃ」と思うので決して深いトランスは起こりません。
   教師がいるから、トランス・マスクの探究へといけるのです。

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