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無神論者はお地蔵さんにドロップキックできるのか
こんにちは、高橋向生です。
タイトルがかなり過激で、失礼なものかもしれんが、
無神論者を貶めているわけでも、お地蔵さんをバカにしているわけでもありません。
話題はすこし遅いのですが、とある新興宗教の教祖や幹部が処刑されたころに、5~6人かで集まって宗教ってそもそもなんだろう。
ってことを話あっていました。
「神様はいると思う」という人や
「神様がいるか分からないけど、いてもおかしくない」という人や
「神様を信じることで、謙虚になれたりする。そういう意味では信じるし、いたら面白いと思っている。あとサブカルチャーが盛りあがる」という人や
「神はいない。そもそも見えないし、信じても意味がない」という人などがいました。
そのときに出たはなしで「無神論者はお地蔵さんにドロップキックをできるのか」ということでした。
いちおう、全員がやらない。という結果だったのですが、その理由もいろいろで。
「そんなことをしたらバチが当たりそう」
「ちょっと怖くてできない」
「基本やらないけど、誰にも見られず、報酬がでるならやる」
「自分の心が卑しくなるからやらない」
「壊したら器物破損で罰金とられるからやらない」
とまあ、ここでも意見が割れました。
いまの時代、神様を絶対視して信じる人は少ないですし、僕も会ったことがありません。
そんな現代で、神様の存在意義ってなんだろうと思い、記事にしました。
(noteなら色んな人の意見が聞けそうなので)
僕らが話して最初にでたのは「心の安定を求めるため」にいる。
ということでした。たぶん、みなさんも同じことを考えているかと思います。
運がよくなりたいから神社のパワースポットにいく人や
受験や病気、出産などの不安から安心を得る人や
恋愛成就を願う人など色んな方々がいる。
そういった不安を解消してくれる存在として神様がいるんじゃないかというものでした。
本当は他にもあるんじゃないかと議論すると、
謙虚な心と感謝の気持ちを忘れないために神社にいくという話もでました。
人の縁や運や偶然などの自分の周りで起きたことを自分の運が良いと傲慢に受けとらず、神様に感謝して謙虚に生きる。
神社いったときは、いつも通りの日常を過ごせたこと、人の出会いと最近の運がよかった出来事に感謝している。
ということでした。これに関しては完全に価値観の違いが出たので、その人はその考えで生きているということに落ち着きました。
ちょっと笑った意見としては、現代の神様の存在意義として、漫画やゲームのサブカルチャーの題材になる。というものでした。
パズドラ、モンストなどのソシャゲ(ソーシャルゲームの略)
漫画ではNARUTOでサスケが使う技
(スサノオやアマテアラス、イザナギ、イザナミという強い術)
神様が主人公の漫画「聖 お兄さん」とかもあります。
(仏教やキリスト教に予備知識があると面白いです)
1柱の神様でも、いろんなゲームに出たり活躍したりするのを見ていると、確かに存在意義の一つとして確立されているなぁ、と感じました。
他の意見で、元は生きるすべとして宗教や神様の存在がある。というものでした。
もう一つの意義として、神様によって仲間意識を持てる。というのでした。
たとえ国が違くても、同じ宗教の下ではなしができれば、仲間意識が生まれるとおもいます。
神社でも、お参りにする人が手水舎で清めて祈り、同じふるまいを行うことで、共同体感覚がうまれ、日本という全体の中で生きている実感をする。
祭りで皆が集まってワイワイしていると、そのシンクロが仲間意識になる。
やはり、人によって価値観の基準は違うみたいですね。
冒頭の新興宗教のようなオカルトじみた存在には、みんな忌避していて怖いというのが共通でした。
どうしても、宗教として確立するために布教活動に熱心なあたりが恐怖するそうです。僕の家にも年に何回かきますし、話を聞かせようとする無理やり感がいやですね。
(こういうこと、書いて大丈夫かな)
人の信じる宗教も自由ですし、そこのスタンスもその人しだいだと思います。
無理に布教したり、同じ宗教でもしきたりに無理やり従わせようとするのも違うと思います。
その人が信じるもので、その人なりの慣習に沿って、生きるのが一番なのかなとまとめて、おわります。
ありがとうございました。
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