DSC00815のコピー

2010.12.30

昨晩は果たして寝たのだろうか、

それとも寝れなかったのだろうか。

思考が半分宙に浮いた状態で、ニマさんのイビキを数えながら朝を迎えた。

心配していた体調は、まあまあ回復。

熱も下がったようで、なんとか行動できる状態に戻った。

そう考えると、昨日の症状はやはり高山病ではなく、風邪だったのだろうか。

若干の倦怠感を残しながらも、こんなところでギブアップは絶対に御免なので、朝からなるべく行動し、体内に酸素を循環させるように心がける。


朝食の前に、ロッジの上にある高台へ。

そこから遥か彼方に、エベレスト、ローチェ、そしてアマダブラムの姿を一望することができた。

す、すごい・・・。

本当にヒマラヤにいることを改めて実感。

暖かい朝日を受けると、なんだか昨晩失われた力が戻ってくるようで、全身に大きな喜びを感じた。

今日はナムチェバザールにステイ、高度順化の日だ。

ほとんどの人がここナムチェでの2日目、同じ目的地を目指し高度順化を図る。

その目的地となるのが、エベレスト・ビュー・ホテル。

シャンボチェの丘、標高3,880mの高さにあり、ヒマラヤ観光開発株式会社の宮原巍氏が建てたホテルである。


朝食後、私たちは早速このホテルを目指し行動開始した。

道中、南アフリカから旅行中のカップルと仲良くなる。

ゆっくり、ゆっくり、ビスターリ、ビスターリ、歩みを進める。

大きな岩を見つけたラクパさん、いきなりボルダリングがしたいと言い出し、ヒョイヒョイ岩を登る。

さすが、ロッククライミングのネパール・ナショナルチャンピオン!

いとも簡単に登り切ってしまった。

私も真似してみるが、少し力んだだけで息が上がってしまい、登ることはできなかった。


エベレスト・ビュー・ホテルは、その名の通り、エベレストとアマ・ダブラムがバッチリ見渡せる最高のロケーションに建っていた。

噂では聞いていたが、信じられないほど立派な外観だった。

敷地にはバレーボールのコートなども完備されていたが、誰がこんな高所でバレーなんかするんだろう。

オープンテラスで、しばしの休息。

エベレスト、標高8,848m。

地球上で一番高い場所。

頂上付近は、時折雪煙が舞って、さも白竜が神聖なる頂を守護しているようだった。

肉眼では見ているのだが、やはり別世界だった。

あの頂にラクパさんは六度も立っている。

ニマさんもクライミングシェルパとして8,400mのサウスコルまで登った。

そう考えると、今、隣で談笑しているシェルパ族の男たちが一層頼もしく感じられた。

エベレスト・ビュー・ホテルからの帰り道、またまた野口さん一行と出会った。

ここで会ったのも何かの縁と、私たちの登頂旗にサインをしてもらった。

一緒に写真を撮ってもらったニマさんはご満悦な様子。

お互いの旅の無事を祈念し、お別れ。

昼食は「モモ」と呼ばれるチベット式の蒸し餃子。

小麦粉の薄く伸ばした皮で包まれた気になる中身は、チンゲン菜やニンジンなど、みじん切りした野菜と鶏肉。

味は想像以上にあっさり系。

ピリ辛のソースにつけて食べると、美味しさが引き立った。


午後は、ラクパさんたちがロッジの裏山にロッククライミングしにいくとのことなので、付いていくことに。

しかし、ここで再び体調悪化の兆しが・・・。

どこからともなく襲ってくる倦怠感。

せっかく、回復したと思ったのに。

そりゃないよ。

何のためにエベレスト・ビュー・ホテルまで高度順化しにいったんだ。

たかだか、富士山の高さでこの状態じゃ、この先どうなる。

しっかりしろよ・・・。

思うようにいかない自分自身に腹が立つ。

深呼吸で気持ちを落ち着かせ、岩壁を登るラクパさんたちに声を掛け、先に一人、山を下る。

このままロッジで休みたかったが、なるべく高所に体を慣らしたかったので、ナムチェバザールをゆっくり散歩することにする。

ナムチェバザールは、さすがヒマラヤ登山の拠点というだけあって、「町」と形容しても決して過言ではないスケールである。

メインストリートを歩くと、日用品や登攀用品を扱うショップ、レストラン、インターネットカフェ、さらにはベーカリーまでもある。

本当につながるのか疑問だが、あちこちの店で「wifi」という文字も見かける。

軒先に吊るされたダウンジャケットは、ノー○フェイスやマ○ートといった某有名ブランドのロゴが誇らしげに刺繍されているが、こちらはもちろんメイド・イン・ネパール。

中でも特に目を引くのが、アメリカのマウンテン・ハードウェア社のもろパクリメーカー、その名も「エベレスト・ハードウェア」。

ここまで正々堂々していると、逆に好感を覚える。

ちなみに、本物のマウンテン・ハードウェア社も、なんとナムチェバザールに独立店舗を構えているのだ。


ウインドー・ショッピングだけでも、十分楽しめるのだが、店内に入るともっと面白い。

いくら探しても見当たらない店員。

どこにいるのかと思えば、レジの後ろに座り込み、仲間同士で賭けトランプに興じている。

お客さんはそっちのけ。

これじゃ万引きされても文句言えない。

別の店では、店員が外の用水路で洗濯に勤しんでいたりと、どこのお店にいっても、まともに接客してくれない。

世界でも特に手厚い接客に慣れ親しんだ日本人にとっては、まさにカルチャーショックの世界。

でも、まぁ海外は結構こんな感じだけどね。

それにしても、ここは極端すぎる!


ここナムチェバザールで印象に残った出来事がもうひとつ。

ラクパさんに連れられ、中心部にある広場へ。

そこはスラムという言葉がぴったり当てはまる場所だった。

見るからに怪しげなテント、大量のゴミと散乱した商品、そして鼻をつくあの独特の生活臭と垢だらけの服に身をまとった人々。

話を聞くと、チベットから亡命してきた人々だという。

しきりに自分たちの商品を買わせようとするが、どうみても、そこら辺に散らかっているゴミと区別がつかないような商品だ。

それでもラクパさんは、そのゴミ山から一脚のプラスチック製の椅子を手に取り、購入していた。

なんでも翌年のエベレスト遠征時に、ベースキャンプのシャワー室で使うらしい。

わざわざ、こんな汚いところで買わなくてもいいのにと言うと、ラクパさんはこう言った。

「この人たちも、好きでこうなっているわけではない。中国のチベット弾圧でこういう貧しい人々は行き場をなくしている。本当にお金がなくて困っているんだ。でも、どうしようもないんだよ。」

だからここで買ったのかは不明だけど、私にはその言葉がとても重かった。



つづく

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