老人ホームは、民俗学的な「語りの森」らしい。-『驚きの介護民俗学』六車由実-
老人ホーム。
中学生のときに職場体験で行ったとき、おそらく認知症でコミュニケーションもままならないおじいちゃんおばあちゃんたちがいて、どう接していいか戸惑った記憶がある。
それ以来、老人ホームには行けてない。それどころか、なんとなくあまり行きたくない(というか、行ってもどうしていいかわからない)という気持ちがあるのだった。
さいきん、『驚きの介護民俗学』を読んだ。
大学をやめ、老人ホームで働きはじめた気鋭の民俗学者・六車由実さんは、老人ホームで介護の仕事をしながら聞き書きをしていた。すると、これまで民俗学の研究では取り上げられてこなかった生き方をした人に出会うことに気づいた。
老人ホームには「忘れられた日本人(※)」たちがいたのだ。
この本の帯に「語りの森へ」という言葉がある。まさに老人ホームは「語りの森」だ。
そこでは、たとえば仕事中の事故で右手と、夫をなくした女性の次のような語りがある。
伊豆の崖っぷちに行ったし、それから富士の樹海にも行ったりしたよ。死にたくて死にたくて。こんな体になっちゃったから死ぬしかないと思った。もう仕事もできないし、お父さんもいないし。なんで生きていかなきゃいけないのかなとね。
でもね、どうしても死ぬことができなかったんだよ。崖の上から下をのぞいてね飛び込もうと思ったの。だけど途中に木が生えているでしょ、そこにひっかかって死ねなくて結局生き恥をさらすことになるのではないかと思うとね。どうしても死ぬことができなかった。
(180頁)
そして、介護民俗学は「人々の記憶を保存し、継承する」という民俗学的な意義だけではなく、「ケア」としての意義も持つ。
通常のケアでは、「ケアする人-される人」という優劣の関係ができてしまうから、しかし、聞き書きの場面においてはその関係がフラットになるか、逆転するのだ。
介護の現場における聞き書きは、介護職員と利用者との固定された優位-劣位の関係を一時的に逆転させ、それが利用者の自信を回復させることにつながるのではないか。(170頁)
この本を読み終わったあと、なんとなく近寄りがたかった老人ホームという場所が、違ったふう思えてきた。そこにはかけがえのない人生を生きてきた人たちがいて、そんな人たちの語りと出会うことができるのだ。もちろん、その「語り」を聞くのは簡単ではないだろうけれど。
そう考えると、僕が住む東京でもあちこちに「語りの森」があるってことだ。「老人ホーム=語りの森」っていう見方をすると、まちの見え方もちがってくる。高齢者がたくさんいるまちは、緑深い森だともいえるんじゃないかしら。
※「忘れられた日本人」
民俗学者・宮本常一が、全国をくまなく歩き各地で出会った老人達の語りを生き生きと写し取った名作。
サポートがきましたって通知、ドキドキします。