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R (あの時、僕たちは人生のコーナーに居た)序章+第一章 葛藤 

【あらすじ】

 時代は昭和の終わり。 
 誰もがこの豊かな時代に歓喜をしていた。虚像が渦巻く好景気に大人は騙され、子供はその恩恵に授かり続けていた。 

 この物語は、少年から大人へと、人生のR(コーナー)を迎えた5人の少年たちの葛藤を描いた、一夜の青春群像物語である。
 成人式を迎えた日、仲間の一人が「今夜で走り屋を辞める」と他の4人に告げた。
 このことから、少年たちはバイクに車、そして恋愛と友情が織りなす中で、大人になることの答えを考え始めた。
 やがて夜が訪れ、峠に集まった5人の仲間は、お互いを理解しあいながらR(コーナー)を攻め続ける。そして、人生のR(コーナー)へと飛び込んでいくのだった。

【登場人物】
光司(コウジ) :主人公
卓也(タクヤ) :光司の親友。高校時代の同級生
春樹(ハルキ) :光司の親友。高校時代の同級生
晃 (アキラ) :光司の友達。走り屋仲間
比呂(ヒロ)  :晃の年下の友達。走り屋仲間

裕美(ユミ)  :光司の恋人
洵子(ジュンコ):卓也の恋人




序章 

令和6年1月 成人の日 午前11時


 突然、けたたましく鳴り響く音が、暗闇の世界を粉々にくだけ散らした。それが、後方の車が鳴らすクラクションだと気付くのに、光司は数秒の時間を要した。交差点の赤信号で停車した僅かな時間に、光司の意識が不思議な世界へと導いていたのだった。それは、暗闇と無数の閃光が飛び散る美しき世界。
 
 現実の世界に引き戻された光司は、まどろんだ意識の中で、僅かな疲労を感じた。ルームミラー越しに後方の車を覗き込むと、若いガキが左手で早く発進しろと合図を送っている。そして、けたたましいクラクションが再び鳴り響いた。

 その態度に、光司は小さく舌打ちをする。
「くっそ」
やりきれない思いに、短く悪態がでる。
 そして、アクセルを思いっ切りに踏み込むと、禿げ上がったタイヤが悲鳴を上げながらも、くたびれた営業車を前方へと押し出していく。
 走行距離は20万KMにもなる老朽車は、車体を軋ませながら加速を続け
る。
 擦り切れたファンベルトの空すべりする音が、エンジンルームから飛び出してくる。まるで、威嚇をする動物のような鳴き声が、フロントガラスを突き破り、ハンドルを握る光司には痛ましい叫び声として届けられる。

 60歳に手の届くところまできたオヤジが、ガキの鳴らしたクラクションに、虚しいまでの反抗心を燃やしている。そんな、くだらない自分のプライドが苛立たしさを抑えられず、無意識にアクセルを力強く踏みつけるのだった。
 ただ、そんなちっぽけなプライドも、すぐに理性を取り戻すと、光司は踏み込んだアクセルを緩めた。すると、ちっぽけな苛立ちも、急速にスピードを落とし始める。サイドガラス越しに流れていた景色も、スローモーションのように現実の世界を映し出しはじめた。

 光司は肩の力を抜き、張り詰めた腕の力が肘から抜けていくのを感じた。その時、クラクションを鳴らしたガキが、若さを感じさせるエンジン音を響かせながら、右側の車線から追い抜いていった。
 光司はガキの薄ら笑いを横目に感じながら、もう一度小さく舌打ちをする。そして、ガキの車から吐き出された忌々しい排気ガスを吸い込むと、くたびれた営業車と同様に身体いっぱいに気だるさを感じた。
 走り去るガキの車に目をやりながら、またひとつストレスを腹の底に溜め込んだのがわかった。ただ、若くてエネルギッシュなガキの車は、あっという間に遠くへ消え去っていた。

 光司は小さくため息を漏らすと、先ほどの暗闇の世界を思い出していた。
「どこか懐かしい世界」と感じるものの、「それが何なのか」は思い出せないでいた。
 マンネリ化した日常の繰り返しが、身体全体に鉛のような重しとなって襲いかってくる。同じ時間に起き、同じ時間に出社し、夜は同じ飲み屋で同じ仲間と愚痴を交わし合う。この惰性の日々が、何十年も続いていた。

 薄汚れたフロントガラスの向こうに見える世界では、静かに吹く冷たい木枯らしが、葉の落ちてまる裸になったイチョウの木をさらに虐めている。
 ふと、ダッシュボードの上の広がるホコリに目がとまった。
若かった頃、あれほど好きだった車。いつも洗車を欠かさず、切れいに磨き上げていた姿を思い浮かべると、「自分はいつから車に興味をなくしてしまったのか」と、嫌悪感が湧き出てくる。

 時間は午前11時を過ぎた頃だった。
低い雲を広げた冬の空が、車を走らせる自分に冷たく覆い被さって来る。
冬の空は、決して逃げられないプレッシャーを無言で与えてくる。
すると、再び前方の信号が赤に変わり、光司はあわてて車を停めた。
ここは大阪のキタと呼ばれる繁華街、JR大阪駅の南側から御堂筋へと進む大きな交差点である。
 光司は再び眠りに落ちないようにと、眉間にしわを寄せ目を凝らした。
目の前に拡がるのは、溢れる車の雑音と、人の群れで埋め尽くされた喧騒の街並み。
 昨年は在阪の球団が優勝をしたことで大いに盛り上がった。
この活気ある町で、何とか生きていた。

 不意に、胸ポケットにあるスマホが鳴った。
光司はスマホを手に取ると、画面に映し出された発信者を確認する。
発信先が会社であることを確認すると、そのまま助手席にスマホを放り投げた。
 しかし、一度切れた電話がまた鳴り響く。光司は助手席に転がるスマホに手を伸ばすと、スピーカモードにする。

「どうした」
「いま、電話に出ても大丈夫ですか」 部下のけだるい声が響く。
「運転中やけど、今は信号に止まっている」
「ああ、そうですか。実は、高橋製造の木村さんから、午後一番に納品して欲しいと連絡がありましたよ」
「また、勝手なことを」

 大阪の三流大学を卒業した光司は、そのまま地元の小さな卸問屋に就職をした。
 材料を主に扱う、お固いイメージの会社ではあったが、それなりに居心地も良かった。そのお陰で、気が付くと30年以上の歳月が過ぎていた。

「ああ、解った。なんとかする」

 電話の向こうで静かに様子を伺っていた部下に告げると、光司は電話を切り、再び助手席に放り投げた。そして、小さく舌打ちをした。

 こんな自分でも、会社では営業副部長の肩書きを仰せつかり、家に帰れば妻と一人の子供が待っている。暮らしぶりは堅実で平凡。「きっと世間から見ると幸せな中流家庭を手に入れたことになるのだろう」と、光司は自分に言い聞かせる。
「まさか、俺がこんなにもまじめな人生を送るとは」と、最近になり頻繁に思うようになった。
 しかし、人間とは我が儘な生き物だ。
少しの喜びでは幸せを感じないが、ほんの小さな失敗でも煩わしさを感じてしまう。ストレスを溜め込み、つまらないプライドがいつも邪魔をすることになる。そして、妻が作る晩飯に幸せを感じなくても、くだらないガキが鳴らすクラクションにストレスを溜めてしまう。
本当は「人間こそが低脳な生き物なのかもしれない」と思った。

 やがて信号が青に変わり、くたびれた社用車は南へと進む。
国道25号線に国道423号線が交わり、大阪名物の御堂筋に出る。
そして、大江橋を渡り中ノ島へと進むと、大阪市役所前の赤信号で再び俺はブレーキを踏みこんだ。いつものとおり、車体は嫌なきしみ音を残して止まった。

 すると、着慣れないスーツ姿の男性や、艶やかな振袖に着飾った女性が、交差点に溢れ出てきた。
 羽織ったコートの襟を立てる彼らの心にも、何十年後かには、空しい風が吹くことになるのだろうか。スマホを必死で弄くりながらも会話をする彼らを見て不安を感じずには居られない。社会を知らないからこそ溢れる彼らの笑顔に、僻みと虚しさを重ね合わせながら、地下道へと降りて行く彼らを見送った。

 淋しそうに佇む御堂筋のいちょう並木を見ながら、世間が休んでいる祝日に、光司は営業車を走らせている。大都市の凍てつくビル群が、いちょう並木の後ろで連なり、その奥にはアルミ色の空がちらりと見えている。そして、冷たい色をしたアスファルトがどこまでも続いており、背中を丸めながら歩く人の姿が、否応なしに淋しさを伝えてくる。

 ふと、光司は自分の成人式の日を思い出した。 
「そうだった」頭の奥に閉じ込められていた、懐かしくそして輝いていた記憶が溢れ出しくる。最高の仲間と過ごしたあの夜。
 そこには「人生で最良の選択をした」と、そう信じたい一日があった。



第一章 葛藤 

昭和61年1月 成人の日 午後1時


 年が明けて間もない。今日は、冬を感じさせない晴天が朝から続いていた。昨年は、どこかで飛行機が墜落する大きな事故も起きたが、地元のプロ野球チームが21年ぶりに優勝を成し遂げたことで、大いに盛り上がった1年でもあった。
その年も過ぎ去り、今年も最高の1年を思わせるような、晴天の冬空が広がっていた。 

「光司は相変わらずキャビンを吸ってるのか」

光司はキャビンに火を付けながら無言で頷いた。

 店長はいつものセブンスターを口に咥えたので、手に持ったライターで火を差し出した。自慢のZippoライターの火が勢い良く高登り、終わるといつものように「カチッ」と高い音を響かせ満足顔でフタを閉じた。

 一年前からアルバイトをしているガソリンスタンド(GS)。今日も朝から、光司はアルバイトに入っていた。大阪の三流大学に通う学生ではあったが、学校にはあまり顔を出さずにアルバイトばかりに精を出している。
勉強は嫌いだったし、なによりも光司にとってはお金が必要だった。
 なぜなら、車の改造費とガソリン代が必要だったからである。

 そう、光司は「走り屋」と呼ばれる一人であった。 
毎夜毎夜、仲間と峠に集まっては、テクニックを競い合っていた。命がけのスリルが快感となり、生きている証が得られる喜びに、満たされた日々を送っていた。

 しかし、光司たちを見る世間の目は冷たく、大人たちが勝手に名付けた「ローリング族」のネーミングに、光司たちは強い拒絶を示していた。
大人たちは、暴走族とローリング族をまとめて、社会のクズの枠にはめようとする。
だからこそ、光司たちは「ローリング族」ではなく、自らを「走り屋」と呼んで鼓舞しあっていた。
 大人たちには決して理解することの出来ない価値が、間違いなくそこには存在をしていた。
 だからこそ、光司は「走り屋」であることに、プライドを持っていた。
そして、暗闇の中から東の空に一光の明かりが差すその時まで、光司は毎夜のように走り続けていた。

 そんな光司のホームグランドは、大阪府と奈良県を結ぶ『阪奈道路』であった。
生駒山地を境にして、大阪府側が約七キロメートル、奈良県側が約十二キロメートルからなる。ひと昔前までは、有料道路であった名残りから、信号の設置台数が少ない自動車専用の道路である。
いつの頃からか、大阪から最も近いこの峠道には、毎夜たくさんの走り屋たちが集るようになった。勾配の強い危険なR(コーナー)の連続が、光司たち走り屋を虜にしてやまなかった。
 昭和50年代の終わりから、ここは走り屋にとって最高の舞台となり、たくさんのギャラリーを携えて、走り屋たちのショーが毎夜繰り広げられていた。

 そんな走り屋のアルバイト先として、ガソリン・スタンドはとても人気が高い。マフラーにタイヤ、それにオイルの交換など、またエンジンを触りたいときには、エアージャッキや工具を拝借できたからだ。
 それに、走り屋にとって車は彼女と同じである。いつもきれいに磨き上げていなければ気がすまない。
 だから、敷地の片隅で洗車スペースを確保できることも嬉しかった。
学校の勉強は面倒くさがる光司たちも、愛車へのワックス掛けだけは欠かさない。


 光司がアルバイトをするガソリン・スタンドも、『阪奈道路』沿いにあった。
もっとも、光司も最初はここの常連客のひとりであった。
「走り屋」は車重を意識して、ガソリンタンクを満タンにすることはない。いつも、10リットルだけ給油するのが、走り屋たちの常識だった。
 ガソリンスタンドで働く人にとっては、毎日、わずかな給油の為に通ってくる走り屋たちは、とてもおかしな存在に映っていただろう。そして、人の良い店長さんに誘われてアルバイトに雇ってもらったのが、およそ1年前のことであった。最初は自分の便宜のために働き始めたのが、気が付けば1年が過ぎ去っていた。

 近頃のガソリン・スタンドには、顧客サービスの一貫として、無料コーヒーを提供するサービスコーナーを設けるのが主流となっている。
コーヒーマシーンなる、便利なものが普及したことで、おいしいコーヒーがボタン一つで飲める時代である。 
あくまでも、コーヒーはセルフサービスであり、もちろん食事などは提供をしていない。それでも、カウンターが数席と、等間隔に丸テーブルを三台並べたスペースは、充分にくつろぐことはできた。
 ボロボロに傷んだ情報雑誌と、スポーツ新聞が丸テーブルの上に無造作に置かれていたが、あえて片付けるようなことはしない。 
 なかには、喫茶店代わりに長居する客もいるが、ほとんどは給油の後、無料のコーヒーを一杯飲むと、いそいそと出て行くのだった。

「店長はいつからセブンスターを吸ってるんですか」

たいして興味もない話を、店長に振ってみた。

「さあ、ガキの頃からかな」

この店長の年齢など、詳しくは知らない。ただ、「ガキの頃から」と返した店長の言い方に、おかしさを感じた。

「店長も海外のタバコを吸ったらどうですか」
「そうするかなあ」
「店長、本当は何でもいいんでしょう」
「まあな」

他愛もない会話ではあったが、お昼の休憩上がりにする会話としては、気遣いもなく助かる。とくに、今日は朝から気が滅入っていたので、難しい話などはしたくない。

「朝から、これで何杯目のコーヒだろうか」
今日はいつもより、コーヒーを入れる回数が増えていた。
おもむろに、胸ポケットからタバコを取り出すと、再びキャビンを口に咥えた。今日だけは、コーヒーだけでなく、タバコの本数も増えていた。
そう、光司は朝から苛立ちを隠せないでいたからだった。

「光司、おもしろいこと、なんか無いか?」

 いい歳をとったオッサンが話すセリフとしては面白いと思った。
実のところ、光司にとって初めて好きになれた大人が、ここの店長さんだった。
 これまで、自分の周りにいた大人といえば、親と教師と白バイ警官だけである。どいつもこいつもくだらない存在にしか感じていない。反吐の出るような大人に囲まれた日々の中で、恩義を感じさせてくれた唯一の大人がここの店長だった。
 ただ何も言わずに、つねに穏やかな目で自分を見つめてくれたからだ。この店長が自分を罵ることなどはきっとないだろう。「走り屋を辞めるように」と、下手な正義感を押し付けることもないと解っていた。

 今年の正月、店長がアルバイトの自分たちを自宅に招待をしてくれた。こんな自分たちに、自慢のウィスキーを飲めと差し出してくれた。きっと高価な洋酒なのだろうが、自分にはその価値など解るはずがなかった。
少し強引ではあったが、好きなだけ酒を飲ませてくれた。飲み過ぎて電気カーペットに吐き出すバカもいたが、店長の目は最後まで穏やかなままであった。そして、嬉しそうな店長の顔が忘れられないでいた。
その時、光司は心の底から大人と向かい合って笑いあえたことに驚いていた。
「こんな自分でも大人の世界で生きていける」
 光司はぼやけた世界に自分を置き、少しの自信を芽生えさせることができた。そして、空洞だった心に、何か新しい感情が湧き上がるきっかけでもあった。

「店長、正月はご馳走様でした」

 これまでに、何回もお礼は言っていたが、その度に店長は照れたように笑う。親子のように歳の離れた自分に、何度もお礼を言われて「バカにされているとは思わないのだろうか」と、逆に心配をしてしまう。
 それでも、光司たちアルバイトに対して笑顔を絶やさないでいるところが、この店長の素晴らしい所なのだろうと思っていた。

 その時、サービススコーナーに1人いたサラリーマンが、コーヒーを飲み終わったのか、無言で出て行った。
 光司はここでコーヒーを飲むサラリーマンの習性にいつしか気付ていた。無言でにこりともせず、コーヒをちびちびとすすりながら、スポーツ新聞を食い入るように読み漁り、やがて強張った顔で車に乗り込んでいく。
ほとんどのサラリーマンが、楽しそうな表情でこの場所を出ていかない。
そんなサラリーマンの背中を、サービスコーナーのガラス越しに見ながら、「あの向こうには何があるのか」、光司は解らずにいた。
ただ、「大人の世界はつまらないのだろうか」と、軽く考えるだけであった。

 店長がタバコを吸い終え、無言でサービスコーナーを出て行くと、光司も2本目のタバコを灰皿に押し付け、重いため息を吐いた。
 今日は朝から、腹の中にとてつもない鉛の玉が居座り続けていた。
 20歳の成人式を迎えた今日、光司はひとつの決意を持っていた。ただ、それを仲間にはどのように打ち明けるべきか悩んでいた。それが腹の底で吐き出すことの出来ない鉛の玉となって、腹の底に居座っている。

 その時、歯切れの良いエンジン音と共に、ブルーのホンダ「シビックSi」が、ガソリン・スタンドに入ってきた。一目でわかる、親友の卓也の車だった。
84年型の3ドアハッチバック、1.6リットルDOHCエンジン搭載は、俺の白の「シビックSi」と外装カラーが異なるだけだ。このタイプのシビックは、従来型に比べて16バルブエンジンのシリンダーヘッド部分に大幅な改良が加えられており、吸排気効率が抜群にアップしている。そう、俺たち走り屋にとっては、天下無敵のマシンと呼ばれていた。



 同じアルバイト仲間の春樹が卓也の車を給油している。光司と卓也、そして春樹の三人は高校時代の同級生でもあり、走り屋仲間でもあった。
 卓也が車に持たれかけながら、給油をする春樹と楽しそうに談笑をしていた。その二人をガラス越しに眺めながら、愛用のキャビンをもう一本口に咥えると火を付けた。一服目を大きく吸い込むと、勢い良く上に向けて吐き出した。

「どうやら、最初の試練が訪れた」光司は心の中で呟いた。
「一番の親友である卓也に対して、朝から腹の底に抱え込んだものをどのように吐き出すべきか」
腹の中にあるおもりが、さらに重くなったように感じる。
 キャビンをもう一度、大きく肺の中へと吸いこみ吐き出した。吸い込んだタバコの煙が、腹の中で纏わりついているようだった。

 給油を終えた卓也は、車をサービスステーションに寄せると、駐車スペースにバックから車を停めた。最後に、その存在をアピールするかのように、アクセルをひと吹かしすると、エンジンが止まった。走り屋なら誰もがする、ささやかなパフォーマンスだった。

 サービスステーションに歩み寄ってくる卓也。
 お昼時を過ぎた午後の時間帯は、ガソリンスタンドも一息入れるタイミングだ。いつもなら、卓也との無駄話しは暇つぶしにもなるのだが、今日はそんな気分ではない。
 両手をズボンのポケットに突っ込み、かかとを擦りながら歩く姿は、卓也のいつものスタイルである。光司も卓也も、暴走族でもなければ不良とレッテルを張られるほどの悪ガキでもない。
 ただ、卓也のかかとを擦りながら歩く姿は、ほんの少しイキがって見せているに過ぎない。思春期の俺たちは、多少は悪ぶって見せたいと思うものだ。自分は強い人間だということを、周囲のものに見せつけたいと思う。

 親友の卓也とは、お互い喧嘩もよくやったし、グレるチャンスは何度もあった。決して品行方正な俺たちではなかったが、それでも他人を傷つけることも無く、これまでやってきた。 

「よう、光司」

 卓也がいつものように、少しあごをつき出して話す。卓也の声は不思議と良く通る。だから、卓也が話し出すと、周囲の者も必ず顔を向ける。
 
「まいど、卓也」 いつもの挨拶を返す。
「光司、今日の成人式には行ったのか」
「いや、やっぱり行かんかった」

多少、けだるそうに話す卓也だが、目はいつも輝いている。
「楽しい毎日を送るには、卓也のような性格が向いているのだろう」と、いつも光司は思っている。無骨な面もあるが、前向きで明るい。何よりも、細かいことにこだわらずに、常にマイペースを貫くのが、卓也の性格であった。

 ただ、そんな卓也も家族とは決して上手くは行っていない。
卓也の父親は、高校生の頃、光司と卓也がバイクを乗り回すのを決して良くは思っていなかった。卓也の父親がバイクを目の敵にするには、ある事件がキッカケとしてあったからだ。
 
 光司と卓也が、バイクと出会ったのは、中学三年の時である。
一つ年上の先輩からバイクを教わった。夕方、家の近くにあった遊園地の駐車場が練習場になった。
 遊園地なんてものは、日曜日以外は客などほとんど来ないから、広い駐車場はただ無駄に存在をしているだけである。
 先輩は地元の暴走族に加入をしてはいたが、光司たちにはとても優しい先輩であった。その頃、暴走族だからだと世間から非難されている。しかし、光司たちが知る先輩や仲間のなかで、世間から非難を受けるほどの悪い人などに出会ったことが無い。
 たしかに、夜中に爆音をたてて、街を拝走することは社会ルールに反している。しかし、「世間を騒がす事件を起こす大人は、その何十倍も存在をしているのに」と思っていた。

「光司、怖がるな。もっとバイクを寝かせろ」

先輩が大きい声で叫ぶ。
光司たちはレーサー気取りで、遊園地の駐車場をぐるぐると回った。バイクは深く倒しこんで、タイヤにバンク角を与えないと、小さな円を描くことはできない。 

「次は卓也、乗ってみろ」
「あ、はい」

先輩の声に、卓也も緊張をしている。

「ウォーン」

アクセルを開けすぎたことで、前輪が跳ね上がった。卓也の目が大きく開いている。そんな卓也の顔を見て、先輩も爆笑をする。

 ある日、光司は先輩のバイクを転倒させてしまい、ガソリンタンクにキズを付けてしまった。先輩に殴り飛ばされることを覚悟したが、少し顔を引きずらせながらも「気にするな」と言ってくれた。

 それなのに、大人たちはバイクに乗っているというだけで、俺たちを暴走族だといって非難している。遊園地の駐車場の前を通り過ぎる全ての大人が、「不良」と蔑んだ眼差しで見つめているのが解っていた。

 こうして、中学生だった光司と卓也は、まだ免許証を持たないまま、バイクに夢中になっていった。
 そんなある日、光司たちの心に深い傷を残す事件が起きた。卓也の二つ上の兄貴がバイクで転倒をして死んだ。
卓也の兄貴は、決して暴走族なんかではない。真面目に学校も通っていたし、近所のラーメン屋で皿洗いのアルバイトもしていた。   
そんな彼が、ある日の夕方、友達の50ccバイクに二人乗りをしていて転倒をした。そして、後部座席に乗っていた兄貴は、頭の打ち所が悪く、あっけなく死んでしまった。
 ただ、すべては彼が転倒をした理由にあった。
それは、暴走族を目の敵にしている地元の派出所の警官が、走ってきた兄貴たちのスクーターの前輪をめがけて、警棒を投げつけたのが転倒の原因であった。当時、逃走を計ろうとするバイクへの対抗手段として、バイクの前輪をめがけて警棒を投げつける警官がいた。
 その警官が投じた警棒は、兄貴たちのバイクの前輪に挟み込んだ。
突然、タイヤがロックしたことで、兄貴たちは前のめりに派手な転倒を強いられた。そして、卓也の兄貴は縁石に頭を打ちつけ、あっけなく死んでしまった。

 50ccバイクに二人乗りをする程度の悪ふざけは、誰でもしていた。それはが死に値する行為では決していない。あとから聞いた話では、兄貴が頭をぶつけた縁石には、ほとんど血痕が付いてはいなかったらしい。それでも彼は二度と意識を取り戻すことも無く、数時間後には病院のベッドの上で逝ってしまった。
 
「くそったれ」

病院から出てきた卓也が大声で何度も叫んだ。
駄菓子屋の店先に置かれた、おもちゃの入った機械を蹴飛ばした。卓也は公衆電話のガラスを何度も殴りつけた。そして、光司と卓也はバス停のくたびれたイスに、闇が深くなるまで座り続けていた。

「どうして、それが殺人として裁かれないのか?」
 中学生だった光司たちに解るはずもなかった。
 そして、気付いた時には、卓也の兄貴を殺した警官は、地元の派出所から姿が消えていた。
 ひとつ言えることは、あの警官は職を辞することもなく、そして罪に問われることもなく、きっとどこかで警官を続けているということだった。

 身近な人の死をはじめて知った光司は、ショックが大きかった。
しかし、卓也の受けたショックはその比ではなかっただろう。そして、卓也の兄貴の敵(かたき)も取れずにいることに、ただただ悔しい日々が過ぎていった。
 
 この事件をキッカケに、卓也の父親はバイクへの敵対心が剥き出しとなった。それは、バイクに興味を持ち始めていた卓也との親子関係を、自ら壊す行為にもなった。そして、卓也と父親の関係は取り戻せないところまで進むことになる。

「おい、光司」

「やっぱり、成人式に行かなかったんや」卓也がぶっきらぼうに聞いてくる。
「別に、朝からバイトしてたからなあ」

 光司の方も、ただ関心が無いと言わんばかりに、素っ気なく言葉を返す。 
決して、成人式を忘れていたわけではなかった。それに、アルバイトの勤務時間を調整することなど、いくらでも可能だった。
 ただ、成人式に出席をしなかったのは、そこに出席をする意味が解らなかったからだった。
 成人式なんてものは、くだらない同窓会にしか思えなかった。その証拠に、成人式に出席する奴らの多くは、ナンパを目的とした盛大なイベントにしか考えていない。それならそうと、大人も知恵を働かせて、くだらない説法をだらだらと垂れるのではなく、お見合いゲームでも取り入れてくれれば面白いのにと思った。 

「そうだと思った。会場で光司の車を見かけなかったからなあ」
「卓也は、まじめに成人式に出席したのか」
「いや、会場の前までは行ったが、中には入ってない。車の中から、目ぼしい女を漁っていただけや」 

卓也は相変わらずの軽口をたたいている。俺も卓也が会場の前で車を停めている光景が目に浮かんでくる。

「卓也らしいなあ。そんなことだろうと思った」
「あげくの果てに、交通整理の警官が近寄ってきたんや。そんでもって、駐車違反の切符を貼り付けるぞと脅される始末や」

 気のせいだろうか、ガソリンスタンドの前を一台も車が通らない。サービスステーションにいる俺たち二人だけが、世界から取り残された気分なる。だがその時、俺は腹の中に居座るおもりを思い出し、慌てて新しいキャビンを口に加えた。そして、一息吸っては長い煙を吐くことで、気持ちを落ち着かせようとした。なかなか、口に出すタイミングを計れない自分がもどかしかった。

「会場で、晃と比呂にも会ったが、あいつら成人式の会場は三件目だと言っていたなあ」
「なんやそれは」
「晃と比呂の二人、目ぼしい女を物色しながら、成人式の会場を徘徊していたで」
「相変わらず、アホなコンビやな」
「その上に、各会場で集合写真に入り込んでいるから、タチが悪いわ」
「どうでもいいけど、晃が成人式の会場にいるのは納得できるが、比呂はまだ19歳やろうが」

 市役所の職員が集合写真を撮る時に、名前や年齢のチェックなど行っていないだろう。たとえチェックをしたとしても、面白がってデタラメを話す者も少なくないだろう。
 流れ作業の中でただ写真を撮り続けるだけの行為に、祝福の気持ちがどれだけ含まれているのだろうか。彼らにとっては、他所の町の者や、まして19歳の者が成人式に紛れ込んでも、きっとお構いなしなのだろう。
 そんな流れ作業の中に組み込まれた部品のように、薄っぺらい祝福を受ける為の成人式など、まっぴらゴメンである。 
 
 有名大学を卒業したエリートが勤める市役所の職員に、「俺たちを祝福するためには、何をしてあげればよいのか」と、真剣に考えている人がどれだけいるのだろうか。だからこそ、成人式と呼ばれた事務的イベントよりも、ガソリンスタンドのアルバイトを俺は選択したのだった。

「ところで洵子(ジュンコ)は来ていたのか」 光司は唐突に卓也に聞いた。
「ああ、見かけたけど声は掛けられなかった」 

 卓也は吸っていたタバコを、灰皿に荒っぽく押し付けると、小さな声で返した。
洵子とは、卓也が高校時代から付き合っている彼女のことである。
高校ではバスケット部のエースとして成らした。背が高くて美人系である。
 多少、気の強いところがあるのは、卓也と似たものといえた。そんな二人は、正月早々に喧嘩をして、まだ仲直りが出来ていないことを知っていた。
 単純で野暮な卓也の性格が災いをして、2人がケンカをするのは日常茶飯事ともいえた。そして、洵子よりも車を優先してしまう卓也の言動が、喧嘩の原因であることも明確であった。
 ただ、これまで何度も喧嘩を繰り返している2人だからこそ、光司も卓也自身もあまり心配をしていない。 

「なあ卓也」
「なんや」
「いやちょっと、卓也に話しておきたいことがあるのや」
「だから、どないしたんや」 

 卓也はテレビに目を遣り、俺に背中を向けたままで応える。そして、タバコをくわえながら、紙コップに注いだコーヒーを美味そうに飲んでいる。
「どうせ他愛もない話だろう」と決め付けているのだろう。
 しかしこちらは、腹の底に抱えていたおもりが、ゆっくりと動き出すのを感じずにはいられなかった。
 話の続きが途絶えてはいたが、テレビに目を遣る卓也は、そのことを気にしている様子も伺えない。「話すのを辞めるのならまだ間に合う」と、もう一人の俺が、頭の中で必死に叫んでいる。

「卓也」
「・・・・・・・」
「卓也」
「なんやねん」やっと、卓也がこちらを振り返る。
イヤそうな顔を露骨にあらわす卓也を見て、思わず言葉を飲み込んだ。

「どないしたんや、光司」
「いや」
「うっとうしいなあ」
「いや、実はな」
「なんやねん、はよ話せや」

卓也は決して怒っているわけではないのだろうが、少しずつ言葉が荒くなってきている。光司はこれ以上黙っていることが面倒になり、卓也に打ち明ける決心をした。

「実は卓也、去年の暮れ頃から考えていたことなんやけども」
「はあ」
「俺、今夜で走るのを辞めようと思っているんや」
「なんやて」

 やっとのことで、のどから搾り出した光司に、卓也の大きな声が跳ね返ってきた。顔をしかめた卓也が、にらみ返してくる。そして、卓也の手に持っていた紙コップから、コーヒーが少し零れた。

「光司、お前、俺を裏切るのか」
「それは、話が違うやろう」
「じゃあ、明日からは俺1人で走れというのやな」
「そんなつもりやないが、走り屋はもう辞めようと思っている。ただ、それだけなんや」
「やっぱり、裏切るのやな」
「違うと言ってるやろう」 

今度は光司のほうが声を荒げた。
押し問答が続く。そして、光司も卓也もその声に苛立ちが募ってくるのがわかった。

「そうしたら、俺は明日から、どうしたらええんやあ」
「卓也には悪いと思ってるんや」
「あほか」
 
 手に持っていた紙コップが窓ガラスにぶつけられ、卓也が口汚く吐いた。光司は言い返そうと口を開きかけたが、思いとどまる 

 冬の昼過ぎ。相変わらず、目の前の阪奈道路は閑散としていた。
ガソリン・スタンドには、一台の車が給油のために停まっており、アルバイトの春樹が対応をしている。サービスステーションの中では、光司と卓也の間に木枯らしが窓ガラスを突き抜けても吹き込んできているかのように、冷たい沈黙が流れていた。

 卓也もこれ以上の口論は不味いと思ったのか、再び背中を向けたまま沈黙を通している。くだらないTVのアナウンサーの声だけが響いていた。
そこに、給油を終えて車を送り出した春樹が、サービスステーションに戻ってきた。

「今夜は走りにいくのやろう」

サービスステーションに飛び込んでくるなり、春樹が話しかける。

「ああ」

 光司は間髪を入れずに、軽く返した。
 卓也は光司と春樹に背を向けたまま、何も反応を示さない。テレビに見入ることで、春樹の存在に気づいていないかのような態度をとっている。
 春樹はそんな卓也の様子など意に介せず軽快に話しを続けた。

「光司は夕方でアルバイトが終わりやろう。俺も仕事は21時で終わりやから、それから駆けつけるようにするな」
「わかった」
「なんと言っても、今日は俺たちが大人になった記念すべき夜やからな」
「そんなに、立派なものでもないやろ」

 光司は軽く言葉を返しながらも、春樹が言った「大人になった」のフレーズが引っ掛った。改めて、今日は俺たち3人が成人式を迎えたことを思い出したからだ。

 楽しそうに話しをする春樹は、ガソリン・スタンドのユニフォームが良く似合っている。カーキー色のツナギは、石油元の会社のカラーでもある。
 ここのガソリン・スタンドのユニフォームは、走り屋の間でも人気が高かった。
中学生の頃は、ここのガソリン・スタンドのツナギを着て、バイクを乗り回している人を、「かっこ良い」と見つめたものだった。だから、春樹はアルバイトの無い日でも、普段着としてここのユニフォームを着ている。春樹のように普段着として町を歩いてもらえれば、ガソリン・スタンド側も良い宣伝になっているはずだ。
 
 光司も自宅でバイクや車をいじる時、この店のつなぎを着用することが多い。そのため、アルバイト先から2・3着ごまかして、無断で拝借をしていた。
 おそらく店長にはバレているのだろう。ただ、それを問われたことは無い。恐らく、店長はこれからも問い詰めることなどないだろう。

「しかし成人式の日までバイトやで」 

春樹が再び話し出す。光司も小さくうなずく。

「もしも、参加料が貰えるのだったら、成人式に出席してあげるんやけどなあ」
「せめて、ビールぐらいは用意して欲しいよなあ」 

春樹の軽口に光司も調子を合わせる。

「ほんまに、成人のお祝いをするのだったら、お酒の飲み方でも練習させてくれたらいいのに」
「それやったら、春樹もアルバイトを休むやろう」
「あかん。先週に起した事故の修理代を稼ぐのが先決やからなあ」

 春樹は事故をした時を思い出したのか苦笑いをする。そして、右手の親指と人差し指を丸めるようにくっつけると、お金のサインを光司に見せた。

 春樹の事故はたいしたものではなかった。
夜中の阪奈道路で一般車と軽く接触をしたに過ぎなかった。光司たちの舞台はあくまでもサーキットではなく一般道路である。一般ドライバーに迷惑を駆けていることも充分に承知をしてる。もちろん、その行為を肯定する気持ちもない。
 それでも、走り続けなければならない何かがあった。世間から「ローリング族」と、溢れるばかりの非難を浴びせられてもだ。

 だからこそ、光司たちは一般車の少なくなる深夜を選び、追い抜く際には最善の注意を払う。事故を起したくない気持ちは、光司たちも一般車も変わりはない。
 通常ならば、一般車を追い抜くのは一瞬で終わる。スピードがあきらかに違うのだから、当然のことといえる。ただ、追い抜かれる一般車の中には、故意に抜き去ろうとする俺たちをブロックしようとする者がいる。
 コースをブロックする行為自体は、走り屋同士であれば当然のことでもある。ただ、それが一般車となれば、問題が発生をする。
 走り屋と一般車とでは、ブロックする際のライン取りが異なるからである。速く走るためのライン取りを知り尽くしている光司たちにとって、一般者のブロックは思いもかけないラインをとることになり、事故に直結する恐れがあった。

 春樹も一般車からの予想外のブロックを交わしきれずに接触をしてしまったのだ。もちろん、余計なブロックしてしまった一般車両のドライバーも、後で後悔をする羽目になってしまう。車同士の接触事故ほど無意味なことはなく、得をするのは修理屋だけなのだろう。

「春樹、修理代いくら掛かったんや」
「右フェンダーの板金と塗装で10万円ってとこやな」

 春樹の車はホンダCR-Xである。
光司の乗るシビックSiのテールエンドを断ち切った独特の形状は、マニアには人気の車種である。排気量1.6リットル直列4気筒DOHC16バルブ搭載のエンジンはパワー満載の車だ。  

「ホンダ車の車体は弱いからなあ」
「軽量化を重視している分、それは仕方が無いやろう」
「修理代は割り引いてもらったんか」
「それなりにやな」
「そっか」
「修理、急いでもろたしな」

 春樹が軽く笑い飛ばした。
たとえ事故を起しても、くよくよせずに笑い飛ばせる春樹の器量の大きさに敬服をする。「仲間のなかでも、一番大人に近いのが春樹ではなかろうか」と光司は常々感じていた。
 ただ、そんな春樹もこれまで決して楽な人生を送ってきた訳ではない。

 光司と卓也は中学からの友達であったが、春樹とは同じ高校に入学したことで知り合った。高校1年の夏、そんな春樹を急に病が襲った。
 楽しい夏が始まる矢先のことであった。
そして、春樹は長期間の入院を余儀なくされた。病名は慢性の肝臓病と聞かされた。幼児期に受けた輸血が原因だったらしいが、詳しいことまでは解らなかった。
 熱い夏、ひとりベッド生活を強いられた春樹は、気持ちが腐りきっていた。学校も友達も失った春樹は、リセットできない人生を悔やみ、病院のベッドの上で日毎に塞ぎがちになっていった。

 ある時、病院を見舞った光司たちは、春樹にバイク雑誌を大量にプレゼントした。落ち込んでいる春樹を励ますためには、「楽しい話を聞かせることしかないだろう」と、考えたからだ。
今の光司たちが一番楽しく話せるもの、それはバイクしかなかった。

 高校一年の夏、光司と卓也はバイクを買うために、アルバイトの毎日を送っていた。ただ時間を見つけては、春樹を見舞った。
「どうして、春樹のことが気になったのか?」今になっても解らない。ただ、アルバイトで疲れ切った身体も、病気と闘う春樹を見舞うことで、何故か明日へのパワーが生み出されて来るように感じていたのかもしれない。
 
こうして週に何度か、光司たちは春樹に会いに行くことで、お互いの繋がりは強くなっていった。春樹も多くの友達を無くすなかで、光司と卓也だけは仲間として認め合うようになった。
そう、もっとも辛かった夏に、三人は強い絆を結び合った。

 夏が過ぎ念願のバイクを手に入れた光司たちは、バイクを走らせて春樹の見舞いにも出向くようになった。
 春樹は病院の駐車場にまで重い身体を引きずって、俺たちのバイクを眺めにやってきた。春樹の母親の冷たい目線を感じずに入られなかったが、春樹の目はそれとは逆に輝きを取り戻していった。
 春樹の両親が、俺たちをいくら中傷しようとしても、笑顔を取り戻して行く春樹の前では抑えずにはおれなかった。
 そして、長い闘病生活を終えて退院をした春樹は、直ぐにバイク免許を取得すると、俺たちと一緒に走り始めたのだった。

「今日は祝日だって言うのに、車が少なくないか」
「確かに、客も来ないなあ」
「ま、夜になったら、今夜もたくさん走り屋が集まってくるやろう」

 卓也は相変わらず背中を向けている。卓也の戸惑いが、その背中から伝わってくる。ただ卓也には悪いが、これ以上の会話はしたくなかった。
 とにかくこのまま、夜が来ることを願っていた。
早く夜になって、卓也とは何事もなかったかのように一緒に走りたかった。「そうすれば、すべてが上手く行く」と、確信をしていた。 

「卓也は成人式に出席したのか」

 春樹が話しに加わってこない卓也に話し掛けた。

「ああ、行った。俺は光司と違うからな」 

少し間をおいてから卓也は答えたが、その口調には少し嫌味が感じられた。明らかに、サービスステーションに入ってきた時と、卓也の様子は異なる。低くぶっきら棒な声が、光司の耳にノイズのように届いた。

「それよりも春樹、お前知っているのか」
「どうしたんや、元気ないのと違うか」
「俺のことやない。光司が今夜で走るのを辞めることや」

 とうとう、春樹にも告げられた一言。それも、卓也の口から伝えられた。朝から腹の底に抱えていたおもりが、不快感をさらに増幅したのがわかる。話が蒸しかえされたことに、光司は怒りよりも焦りを感じた。
 
「光司どうしてや」

 春樹が心配そうに聞く。
 春樹も動揺をしている様子が伺えるが、卓也ほどではない。やはり、付き合いの長さが左右をしているのだろうか。春樹との付き合いも決して短くは無いが、ガキの頃から親友の卓也とは、ともに過ごして来た時間が違いすぎる。

「卒業やな」

 邪魔くさそうに、それだけを吐いた。
 ただ、直ぐに、くだらん台詞を吐いたこと後悔をした。
自分の投げやりな口調が、二人には申し訳ないと心の中で反省をもした。それに、卓也や春樹を説得できるほどの言葉が思いつかない自分に、苛立たしさが積もる。「早く夜が来て欲しい」と、再び願った。 

「何、かっこつけとるんや」

 卓也の罵声が飛ぶ。何かを投げつけそうな勢いでもあった。
いきりたつ卓也の様子に、春樹も驚きを隠せないでいる。

「卒業して、次に何が待っているというんや」 

 卓也が俺を攻め立てる。そして、イヤな顔を露骨に見せつけた。
この時間がもう少し続くのならば、喧嘩になるかもしれない。しかし、今日だけは、親友との喧嘩だけは避けたいと心から思った。
そして、光司は「わからん」と小さくつぶやいた。それが精一杯であった。 


「晃さん。今日は上手くいきませんね」

 ひとつつ年下の比呂の言葉に、晃は少し肩を落とした。しかし、すぐに胸を突き出すと、何も無かったかのように虚勢を張った。

「まだまだ、これからやろ」
「でも、もう目ぼしい女はいませんよ」

 成人式の今日、晃は比呂と式場をめぐっていた。
この式場で3ヶ所目になるが、さすがにお昼を過ぎると、売れ残った女がまばらに話し込んでいるだけだ。いい女は早々と切り上げて、男の車で消えていってしまう。

「晃さん今日は無理ですって」
「・・・・」
「晃さんが気合入れたのは解りますけど」
「うるさいな」

 年下の比呂の慰め言葉に苛立った晃は、低く落とした声で返した。
比呂は少し驚いて黙り込んだ。
 晃は比呂のことが好きであった。ただ、いつもひとつ年下の比呂とつるんでいることで、馬鹿にする仲間もいた。そのことで、引け目を感じてはいないつもりではあったが、やはりどこかで引っかかるところもあった。

「いや、悪かった」

しばらく沈黙の後、晃は比呂に謝った。

「いえ、大丈夫ですよ」
「夜に期待やな」
「やっぱり、ミナミにでましょうか」
「そうやな。ちっぽけな町でナンパしててもあかん。ミナミにでやんとな」
「そうしたら、夜まではどこかうろつきますか」

 晃は少し躊躇した。
晃自身も今日が成人式。大人になった門出の一日。
ただ式典に出席するわけでもなく、式場の前に車を止めてナンパを繰り返している。自分で望んだ一日ではあったが、なにか良く解らないものに選択を迫られているように感じた。

「いや、一旦、別れよう。家まで送っていくわ」

晃は比呂に行った。
比呂は残念そうな目をしたが、問い正すようなことはしなかった。

「夕方になったら、家にまで迎えに行くから」

 晃の言葉に比呂も黙ってうなづく。

 1人になったからといって、することがあるわけでもない。ただ、晃の胸にも何かが引っかかっていた。

(第二章 昔日に続く)


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