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みんな菩薩になろう!菩薩の生き方、 6つの修行とは?

今回は、悟りに向かって歩む、菩薩の生き方、仏教の心がける、6つの修行方法、   「六波羅蜜」について考えてみたいと思います


菩薩の修行徳目であり、心を 豊かに、穏やかに生きるための教えですので、
菩薩でない方も、仏を目指している方も読んでいただければ、幸いです


六波羅蜜とは、

仏教で教えられている

六波羅蜜(ろくはらみつ)とは、大乗仏教で説く悟りの彼岸に至るための6つの修行徳目

完全な智慧(般若波羅蜜)に至るための修行徳目
最高の智慧を完成させること

大乗仏教における菩薩の修行徳目としての六種

布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧

自らの行動を慎み(戒)
自己の心を統御すること(禅定)によって
正しい見識(智慧)が生じて
安らぎ(涅槃)に至る

このように、戒、定、慧の教えにも通じます


上座部の十波羅蜜は、
五種類(・布施・持戒・忍辱・精進・智慧)

に加え、上座部仏教では、

・出離(離欲。自己の所有欲と利己心を放棄し、 無私無欲である。欲望から自由になること、ネッカンマNekkamma)執着と反対のこと

・真諦(しんたい)(究極の真理の事、つまり、真理を求めること。サッチャsacca)

・決意(請願)(悟りの境地への決意。決めて悟りを目指していく。アディターナAdhiṭṭhāna)

・慈(慈悲慈しみの心を持つこと。メッターMettā)

・捨(落ち着いた、平静な心。かたよりのないこと。ウペッカーUpekkhā)

このように、10種類の性質、10種類の波羅蜜があります


波羅蜜とは(パーリ語でパーラミーPāramī)
仏教において、迷いから悟りに至るため、仏になるために、菩薩が行う修行のこと
般若(はんにゃ、パンニャー)とは、全ての道理を見抜く深い智慧。 悟りを得る智慧。

般若波羅蜜(はんにゃはらみつ)とは、
悟りに至る、真理を認識する悟りの智慧。悟りを得るための修行徳目


菩薩の生き方とは?


菩薩(ぼさつ)とは、ボーディ・サットヴァ(梵: bodhisattva) の音写である菩提薩埵(ぼだいさった)の略であり、仏教において一般的には菩提(bodhi, 悟り)を求める衆生(薩埵, sattva)を意味する

まず、六道輪廻の苦しみの世界から抜け出す「解脱」と言う目的を達成するために、波羅密を育んでいきます

なぜこのような、教えがあるのか?

人が何のために、生きるのか?を仏教は教えてくれています

仏教的には、有名人になることや、お金持ちになることが目的ではありません

お釈迦様ご自身は、超有名人ですが、

最終目的地に至るまでに、そうなってしまうこともあるかもしれませんね、

仏教の目的菩薩の生き方は、

智慧慈悲をもって生きとし生けるものの迷い、苦しみをとりのぞき、自己と他者の幸福のため、

安楽と悟りの喜びのために、生きる

仏の教え「法華経」を広めて生きること。


そして、全ての人々、我々の目指す境地は

執着を手放し「解脱」して、

」を悟り

「何もないことが全てである」

ものは本来、何も生ずることが無いから全てなんだ、と容認する知

「無生法認」むしょうほうにん)を悟ることが、目的です


生きとし生けるものを迷い、苦しみから解放する、そして滅尽するために。

その目的のために、お釈迦様の教え、仏教は説かれています


私は、そんなこと求めてないよ、と言う人もいるかもしれませんが(笑)

各自の人生には、それぞれの目的があると思います、

しかし、人間として生まれてくる目的は、苦しむためではなく、本当の幸福になるために、仏になるため(仏であることを思い出すため)に生まれてくるのだと思います、

この、存在の仕組み、「自然の法則」

」に叶った生き方をすることが、

みんなが、幸せに、生きることができるのではないかと考えています

しかし、現実問題、この世での、争いや、戦争、不安や恐怖、憎しみは、つきません、、


仏教で説かれる、幸福は、心の平安の境地
涅槃」(苦しみを離れた安らぎの境地)に至り

周りの人たちも、その幸福、真理に導くと言うことなのです


そのための一つの手段が、「六波羅蜜」の教えになります

それでは、六波羅蜜の教えを一つずつみてみたいと思います


一六波羅蜜の実践一

ポイントは、実践することが大切!

悟り、涅槃に至るための6つの徳目


1.布施

布施(ふせ、ダーナDāna)とは、僧侶などに、金銭や品物をほどこし与えること

布施には、三種類の布施があります


三施
財施(ざいせ)・・・財物・衣類・食物を寄進、他に施すこと
法施(ほうせ)・・・仏陀の教え(真理)を伝えること
無畏施(むいせ)・・・人々の心配や恐れを取り除いて、安心を与えること

この3種類ですね。

布施は、苦しみの原因である、「私のもの」と言う執着を手放して、
安らかな心になるための修行です

分けあたえる喜びにもなりますね


『法華経』の「観世音菩薩普門品」の観世音菩薩は、
恐怖をいだいている人々に、安全と安心を与えるもの(無畏施者)と言われています

つまり、情報発信する人達が、
安心を与えているのか?
不安を与えているのか?

どのような意図で、情報を伝えているのかでその人達が、
観世音菩薩か、悪魔なのかが、わかります。
メディアや、youtubeの見極める参考に。

そんな金銭的余裕もない、仏陀の智慧も知らないよと言う人のために、
無料でできる、布施もあります


財物がなくてもできる布施行として
「無財の七施」という考え方があります。

眼施(げんせ)・・・やさしい眼差しで人に接する
和顔施(わげんせ)・・・笑顔で人に接する
言辞施(ごんじせ)・・・柔らかい言葉遣いで人に接する
身施(しんせ)・・・身体を使ってできることで人に接する
心施(しんせ)・・・柔らかな心で人に接する
床座施(しょうざせ)・・・座る場所を譲る
房舍施(ぼうじゃせ)・・・泊まる場所を提供すること

要は、布施というのは、金額の大小、能力が有る無しに関係なく、

他人のため、社会のために自分ができうる善をなしていくこと

誰にでも、今すぐに出来る親切のことになりますね

喜んで、布施することで、貪りや執着から離れられて
与えたものは、また、周り回って、自分に返ってくる

仏教の「原因結果の法則」、因果応報を真に理解できれば、

与えたものは、結果的に自分に返ってくると言う法則がわかっていれば、

自然に布施することができるようになり、より豊かな人生を歩めますね

まず与える ことを学び、人が見ていなくても、行えるように、陰徳をつんでいきましょう


気をつけたいのは、布施をする時のです、
自分の心に、下心、邪心がないか、見返りを求めていないか?

寄付金にしても、月収100万円の人の1万円と、
月収10万円の人の1万円では、思いが違いますね
お金の金額や量よりも、その思い、「心」が大事だと言うことですね


布施をする相手も大切です、
布施するのに正しい人か、純粋な僧侶か、お寺や、組織か?

悪人や遊び人に施せば、世の中がますます悪くなるかもしれません

寄付や、支援は、その人、その団体が、
敬うべき徳があるのか、世の中のためになるのかを見極めてからしたいですね、

お釈迦様やイエス・キリストような生き方のように
衆生の迷いや、苦しみ、不安を取り除き、

悟りや涅槃に導く、生き方から学びたいですね


慈しみの心で、数えきれない、法施を、し続けてくれた方達に感謝ですね

苦しみの原因である、煩悩の火を鎮め、解脱に導く、

仏法、真理の教えを説く事法施」が、最高の布施ということになります


・『法華経』の功徳

この法施(仏陀の教えの中でも)、
法華経の教え(真理)を
伝える事は、最高に価値ある布施ということになるようです

法華経を語り、伝えることは、どれほどの福徳があることか、

『法華経』を声に出して読み、書き写し、解説したり、暗記すること。
[=五種法師(受持、読誦、書写、誦経、解説)]

法華経の一詩を聞いて心から喜び、ありがたがる人は、とても福徳があると、法華経には書かれています、

その福徳についても、
『法華経』「十六章(分別功徳品)、十七章(随喜功徳品)、十八章(法師功徳品)」
で多く書かれていますので、興味をもった方は、ぜひ、法華経を、読んで頂きたいと思います


おすすめの本、『法華経 』

大乗仏典〈4〉法華経I (1) (中公文庫)
大乗仏典〈5〉法華経II (2) (中公文庫)

『法華経』解説動画

YouTube動画『koji,sDeepMax』法華経大講話

2 持戒

持戒(じかい、シーラsila)とは、戒を守る。道徳を守ること

基本的な五戒

・生き物を殺さない

・盗まない

・倫理に反した、性的関係をもたない

・ウソをつかない

・酒、麻薬の類をとらない


悪口、批判を言わないなど、道徳的な生活をおくることで、
心を清らかに、穏やかに生きることができます

これは仏教的戒律、
五戒、十戒などです

この持戒の重要性は、ヨーガや瞑想が深まってきた人ならば、ご理解頂けると思います

なぜなら、この戒律を破りながら、深い精神集中、深い瞑想状態や、
安らかな心や、心が満ちたりた状態には、なれないからです、

人や自分、他の生き物を傷つけて、清々しくいられないように

誰かのものを盗んでは、犯罪になるように

浮気をしていては、相手や家族も傷つけてしまい

自分に嘘をついていては、本当の幸福にはなれないように

人の悪口を言いながら、心穏やかにいられないように、

お酒を飲みすぎては、過ちを犯してしまうかもしれないように

戒律の重要性が身に染みてきます


因果応報、自業自得、原因結果の法則を理解すれば、もちろんのこと、

心が清らかになれば、
自然に、戒律をやぶることも無くなっていきます

結局、自分が傷つくので、できなくなります

しかし、社会生活をしていると、自分で意図しなくても、誇張して嘘をついたり、
人や生き物を傷つけてしまうこともあります

戒を破ってしまった、、失敗や過ちも、人生を俯瞰してみれば、

正しい道に至るための、学びと、必要なプロセスなので、

過去の自分を責めずに、反省して、過去にとらわれず、自分を認めてあげて、今を大切にいきましょう


この矛盾や悩みと向き合いつつ、実践して、
克服していくのが、この世の修行だと思います

慈悲からなる戒律、まさに戒律は、自分を縛るものではなく、
自分を守るもの、と言うことですね


3、忍辱

忍辱(にんにく、カンティchanti)とは、苦難に耐え忍ぶ。忍耐のこと。

逆境にあっても、安らかに、平静な心をもつこと

傲慢な人たちの悪口や批判に怒らず、耐え忍ぶ。

『法華経』では、
常不軽菩薩(じょうふぎょうぼさつ)は
傲慢な人々に、「私はけっして、あなたがたを軽蔑いたしません。
あなたがたは、最高の菩提(悟り)のために修行しなさい、
そうすれば、将来、如来となるでありましょう」と伝えていたが、

傲慢な人々は、そんな彼に対して、軽蔑し、悪意をいだき、不信感をいだき、
非難し侮辱して、土くれや棒切れを投げつけます

軽蔑し侮辱してくる人々に対しても、
彼は誰に対しても腹を立てず、悪意を起こさない。
そして、法華経を説き明かしたのちに、悟りを得た。と書かれています

お釈迦様は、このように、仏法を伝え、法華経を伝える人たちを、
悪く言ったり、非難、侮辱する者たちには、好ましくない結果が生じるであろう。
と言われています
『法華経』「十九章、常不軽菩薩品」より


非難され侮辱されても
耐え忍んだ常不軽菩薩を見習いたいと思います。


末法の時代に 仏法、法華経を伝えることはとても困難なことのようです、


現代社会でも、真実や正しいことを伝えている人たちが、
非難されたり、落とし入れられたり、しています、
youtubeでも、真実を伝えている動画は、    バン!(削除)されてしまいますね、、(汗)


イエス・キリストの時代も、イエスを貼り付けにするなど、
かなりひどい仕打ちですが、いつの時代も、
真理、真実と言うのは、権力者にとって、都合が悪いのでしょう


4、精進

精進(しょうじん、 ヴィーリヤVīrya )とは、最高の悟りに向かって、努力すること

正しい教えの道に励むこと、努力を行う

悪いことを止めて、善いことを行う努力

対人間係 と環境を整備し調和させる 努カ

生命、人、資源、物、を大切に、
「自然の法則」にかなった生き方をする努力

自分の純粋さ人間性を向上させようと励む努力

『法華経』によると、
娑婆世界、この世で、法華経を説きあかし、読誦し、書写し、供養し、
『法華経』を理解して、伝えるために努力を尽くすこと
それには、多くの福徳があることが示されています
『法華経』「十六章、分別功徳品」より


5、禅定

禅定(ぜんじょう、ディヤーナDhyāna )とは
落ち着いた穏やかな心で、精神統一、瞑想

平静な心で、常に無常と言う真理に気づいている、

平静な集中した心で、真理や物事の本質を見極める

「正しく見る」智慧を得るための瞑想修行。


僕のオススメは「ヴィパッサナー瞑想」です

詳しくは、ヴィパッサナー瞑想、僕の体験談もご覧下さい。


過去や、未来にさまよい、あちらこちらへと落ち着きがない心、、

禅定を通して、その心を、
一心に「今、ここ」に集中すること(マインドフルネス)

呼吸に集中することで、心は落ち着いてきて、静寂がおとずれます

呼吸や、身体の感覚に意識を集中することで、

「今、ここ」にいることができます


自分の心を客観的に観察すること、執着を手放していくこと

どんな時でも、「心の平静さ」は、とても重要だと言われています

少し話がそれますが、

普段、何か作業をする時は、マルチタスクより、シングルタスクが良いようです
色々同時に作業するよりも、一つに集中した方が、
効率も上がると言う、実験結果もあるようです

フードメディテーション(食べる瞑想)も効果的です

一人で食事する時は、テレビやスマホは見ないで、
静かに、食べることに集中する、ただ味わう

目を閉じ、

味、香り、食感に意識を向け、よく噛んで、食べてみる

そして、味の無常性に気づく、
どんなに美味しくても、その味も一瞬で消えていく、、

無意識に食べていたものを、意識して食べることで、

味の深み、満腹感、満足感も上がると思います

「今、この瞬間を生きる」

日常を丁寧にいきる練習に最適です

食べれるありがたさに気づいて、「いのち」や食物に感謝が生まれてきます


6、智慧

般若波羅蜜 、慧波羅蜜、 慧(プラジュニャーPrajñā )

智慧(ちえ、パンニャーpaññā)とは、物事の道理を見極める、心の働きのこと。
真理を明らかにし悟りをひらく働き。
悟りを得るための真実の智慧(般若)


知っているだけ、知識だけの知恵ではなく、体験を伴った理解、智慧です

仏教の「空」の真理、正しく物事を認識した、智慧。

この智慧によって、煩悩、執着を滅することができます

真理、真実を正しく認識する

物事の本当の姿(空)を知る

正しく見る(正見)

因果の道理

無常、無我、苦」の真理を理解

存在の本質、宇宙の仕組み、

色即是空、空即是色「色」と「空」の世界の自覚

現象として「色」は “ある” となるが、
諸行無常、一切が変化し続けているので、
不変的な実体は、“ない” ことを理解する

それらの不変的でない物事にとらわれず、執着することなく

このような智慧を育んでいくことは、とても大切だと思います


・『法華経』に反応した人、気がついた人、菩薩の方の実践は、

『法華経』の五種法師を繰り返すことが、大切のようです

五種法師(ごしゅほうし)とは
(・受持・読誦・誦経(声に出して読む)・解説・書写すること)
『法華経』「第十章、法師品」修行者の五つのあり方より

法華経に気がついた人は、法華経の五種法師をすることが重要であり功徳があると、
『法華経』に書かれています

法華経をよく学び、伝えること、が最も大きな功徳になるようです
『法華経』「第十六章、分別功徳品、十八章、法師功徳品」より


法華経の存在に気がついた人は、
法華経の理解、五種法師することが重要だと言うことですね


仏教の目的

そして、六波羅蜜を完成して、
解脱して、涅槃に至るのが、仏道修行(小乗)の目的になります

そして、自分が救われたのにもかかわらず、
迷い苦しんでいる人たちを、救いだし、
正しい菩提(悟り)に向かわせることが、大乗仏教の目的です


さらに、法華経を説きあかし、
菩薩たちを解脱させ「無生法認」を悟らせる、
授記を授け、現一切色身三昧によって、
無限の宇宙を拡大していくのが、如来の目的、存在の仕組みになりますね

なぜ、ビッグバンがおきて、この宇宙が生まれたのか?の答えです


[修行での注意事項]

苦行は、もちろんですが、過剰な肉体行、(滝にうたれる、山岳修行、題目を唱えるなど)
趣味や体験としては良いのですが、
本当の仏教の悟りへの道としては、
あまり意味が無いようです。
各宗派によって、修行方法は、色々あるようですが、

お釈迦様もこのようなことや苦行では、本当の悟りに至れなかったと伝えています。

恥ずかしながら、僕も、若い時に、真冬の滝に打たれたり、マントラを唱えたり、紆余曲折していたこともありますが(笑)

お釈迦様の言われている悟りには、至れなかったですね(笑)
人生無駄なことはないと思いますが、
できれば、遠回りせずに、正しい道を歩みたいものです、

まずは、八正道、中道で、正しい修行方法を見極めることが大切ですね

八正道については、正しい道、八正道とは?をご覧ください


慢心、自惚れ(うぬぼれ)に気をつけよう

僕たちが気をつけたいのは、
自惚れ、傲慢さや、
増上慢(仏教では、悟りを得ていないのに悟りを得たと思って、慢心すること)
にならないように、注意が必要です

『法華経』「方便品、第ニ章」では、
お釈迦様が法華経以前に説いた教えは仮の教え(導入部)だったとして、
これから真実の仏法『法華経』を説こうとしたところ、
5000人の増上慢の比丘、比丘尼、信男、信女が、
すでに悟りを得ていると自惚れていたために
「それならば聞く必要はない」としてお釈迦様の教えを聞こうとせず、
その座を立って去っていくと言う事が書かれています
これを五千起去(ごせん・ききょ)という。

穴だらけの戒の学問を身に付け、知性の愚かな彼らは、この欠陥には気づかないで、自分たちの煩悩の傷あとを隠しながら退去していった。
釈尊の前から去っていった高慢心を抱き、信をかいた、比丘、比丘尼たち、
お釈迦様は、その退会を無言で許されたのである。
そしてシャーリプトラに
「私の集会は、不要の籾殻(もみがら)が除かれ、無価値なものがいなくなって、
信仰の核心の上に立つものとなった。彼ら高慢なものたちがここから去ったことは、よいことである」『法華経』 「第二章、方便品」より

と、バッサリと言っています

ポジティブにとらえるのは、大切ですが、
偉くもないのに、偉そうな人、
本当の悟りではないのに、「俺は、悟っている」と言う、
自惚れ、高慢さ、勘違いは残念ですね(苦笑)


このように、自分は仏教徒だ、と言っても、
お釈迦様に縁があっても、慢心している者は、
真の仏法を聞こうとしないと言うことですね、、、

やはり、どんなに、偉くなったとしても、
謙虚に、学ぼうとする姿勢が大事なんですね

仏陀の教えを信じると言う、「信心」が大切だと思わされました

まとめ

煩悩と、欲に満ちあふれている、この娑婆世界、、

こんな世の中だからこそ、
苦しみの大海原で、欲に溺れることなく、

おしみなく与え (布施)

道徳的な生活をして (持戒)

感情的にならず、忍耐強く (忍辱)

悟りに向かって、努力して (精進)

心を落ち着け、今ここに、集中して (禅定)

正しく真理を見て (智慧)

迷いを脱し、生死を超越した、悟り、涅槃へ至りましょう

今ここ、今日からできる、六波羅蜜を実践していきましょう!


まずは、やさしいいまなざし、微笑みの布施を実践(^^)

縁って起こる「縁起」によって、

ものがすべて、他のものを原因とし、
他に依存して、相対的にあると言う理(ことわり)

「因果の道理」

「縁起」

他との関係が縁となって、
あらゆるものが生起すること

相互に関係しあって成り立っていることを理解できれば、

様々なご縁によって

様々な、仏、菩薩に導かれ、

様々な「いのち」地球、太陽の光、空気、水、大地、微生物

様々な自然の恵みによって生かされている

その「ご縁」に気づけば、

感謝が生まれ

謙虚に、
自他共に優しくなれるのでは、ないでしょうか

苦の原因は、煩悩、執着と言う、因果関係。

「十二因縁」を理解して、

貪り、怒り、無明、を離れ

執着を手放す


慈悲喜捨の心をもって、

六波羅蜜を実践していく

仏、菩薩である皆さんが、

良い善根、幸福をもたらす種を、蒔きちらして、

やがて善い花を咲かせ、
善い果実、善い結果を結びますように


「今ここ」にある、幸福に気づきますように(^^)

今回も読んで頂いて、ありがとうございます


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