本はどの段階で魂が宿るのか考えてみた
ー今日のまとめー
・本は読んでもらえることで完成する
・ずっと画面越しだった本を直接取って手に取る感動
本をみなさん買いますか?
図書館で借りるも 中古で買うも色々あると思いますが
本屋に行くと何が面白いって
面陳された表紙の あのなんとも言えない感じ。
たまにジャケ買いすることもあります。
もちろん失敗することもありますが
なんかこう出逢ってしまった感じがするんです。
本に魂を宿すのは買い手
作者である私は色々な過程を配慮して魂を込めてストーリーを書きました。
そしてイラストレーターは線の一本一本に魂を込めて描きあげています。
デザイナーは表紙から背表紙まで どんなレイアウトにするか全パートの思いを元に形にしていきます。
ここまでの段階で製作者の魂は溢れんばかり詰まっています。
しかし、本当に魂が熱が帯びるのはその先だと思っています。
以前、叱咤激励を受け、流通させる意味から
こういったことを考えてみました。
本や映画に対してインターネットでは
ネタばらや考察たるものが多々あります。
色々な考察がされるだけストーリーに幅があったり
そういった部分も楽しませてくれるわけです。
有名なもので言えば新世紀エヴァンゲリオンも私が小学生3−4年の頃にリアルタイムでみていましたが当時はもちろんですが33歳になった今でも意味がわかりません。
わからないからこそ視聴者・読者一人ひとりに解釈してもらうことも作品によっては醍醐味かとも思います。
そういったコンテンツは読者に働き掛けて作品が完成していくんだなと思いました。結果的に根強いファンを獲得しているのは事実です。
だからといって、この絵本を考察するような内容でもいけないし
育児とはこうするべきだ!などと示すものでもありません。
逆に中途半端な内容になることも重々承知ですが
私からの直球メッセージで
子どもの発達に対する焦りや不安が和らいでももらえることで
絵本に魂がやどるというゴールを考えています。
本物に会えると感動に近いものがある。
ここ最近、SNSで名前と顔を出し、変な髪型をしているものなので
足を運ぶ先ではかなりの確率で声を掛けられます。
身長180近くあってモヒカンなので
このTweetをしたあとDMで「会場でお見かけしましたが声が掛けられませんでした」と、危険人物と思われる一方
「あああ!小島さんだ!」と、某夢の国のキャラクターに何時間も並んで握手をして写真を取るような達成感を持たれた方も会場でいらしゃいました。
あぁ、やっぱりインターネット上で知り合っていても会えたときのこの感動は何物にも変えられないなと当時も思っていました。
現在、作成中の本も完成したらSNSやここnoteでも公開していきます。
中身を知ってもらうためでもありますし、やっぱりこの本に直接会いに来てもらいたい。(私にも会いに来て)
目標は来年のある学会でお披露目ブースが個人的に出せたらいいなと思っています。
そのほかにも昨年登壇したこのフォーラムとか
有識者として登壇したこちらとか
パネリストとして専門職に話題提供したこちらとか
来年は各地に絵本のパイロット版を小脇に抱えて飛び回りたいです。
そして絵本に魂を宿していただきたいです。
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