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私のCDライブラリより

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私のCDライブラリから思い出の曲を語ります。
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トム・トム・クラブ[私のCDライブラリより]#17

トム・トム・クラブ[私のCDライブラリより]#17

今日は自炊を休んで私の音楽遍歴ともいえるCDライブラリの紹介をする日。しかし世の空気は冷たく重く、気が滅入るばかりだ。

そんな中、YouTube MusicにアップロードしたCDライブラリをザッピングしていてようやくこの曲にたどり着いたときには、なぜかフッと肩の力が抜けてパッと光が射した気がする。

Tom Tom Club は デヴィッド・バーン率いる Talking Heads のバンド内バ

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エニグマ[私のCDライブラリより]#16

エニグマ[私のCDライブラリより]#16

新年最初のCDライブラリシリーズ。今までずっと1980年代の洋楽を中心に紹介してきたが、もっと気楽にランダムに選んでみよう。

年が明けて勝手に厳かな雰囲気に浸っていたら、脳内で鳴り響いたのがこれだ。

リリースは1991年かな。1990年に Soul Ⅱ Soul の "Vol. II: 1990 - A New Decade" のヒットによりグラウンド・ビートと呼ばれるリズムの音楽が一時流行し

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フォリナー[私のCDライブラリより]#15

フォリナー[私のCDライブラリより]#15

やだなー。80年代のCDを掘り出していたらこのタイミングで Foreigner のアルバム『4』を見つけてしまった。何がイヤって「君のような人をずっと待っていたんだ」 "Waiting For A Girl Like You"(邦題:『ガール・ライク・ユー』)なんて、このクリスマスも年末年始も1人で過ごす身にもなってみろってんだ。

家にあるCDはこちら。

他には "Juke Box Hero"

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デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ[私のCDライブラリより]#14

デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ[私のCDライブラリより]#14

アルバムがリリースされたのは1982年だが、”Come On Eileen” が全米1位になったのは1983年らしい。

家にあるCDはこちら。

実際にはこのプレイリストの10曲目までが入ったCDだ。

一応時代的には第2次ブリティッシュ・インベイジョンに含まれるのだが、他のシンセサイザーを多用したニューウェイブ系の音楽とは一線を画す。バイオリンやバンジョーといった楽器を使っていることとか、その

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ヤズー[私のCDライブラリより]#13

ヤズー[私のCDライブラリより]#13

家にあるCDから私の音楽的嗜好の変遷をたどるこのシリーズ、今は1982年をたどっている。

グループ名の表記は Yazoo だったり Yaz だったりするが、私的には Yazoo の方がしっくりくる。1980年代の第2次ブリティッシュ・インベイジョンのころってシンセサイザーを多用したニュー・ウェイブ系が多かった気がする。私もこういうピコピコ系は大好物である。

あらためて聴きなおしてみると、ボーカ

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ドナルド・フェイゲン[私のCDライブラリより]#12

ドナルド・フェイゲン[私のCDライブラリより]#12

今でこそ Donald Fagen が Steely Dan の中心人物であることは知っているが、私の場合スティーリー・ダンを知るより前にこの曲から入っていった。イントロを聞いた瞬間から「ん? 今から何が始まるの?」って感じで心を掴まれた。

家にあるCDはこちら。

この渋くてカッコいいアルバムジャケットが作品の世界観とマッチしている。決してライブで弾けるようなバンドサウンドではなく、緻密で抑制

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HEAVY METAL[私のCDライブラリより]#11

HEAVY METAL[私のCDライブラリより]#11

HEAVY METAL といってもそのジャンルのことではなく、1981年に公開された映画のサントラである。

映画の元ネタはアメリカで発売されていた大人向けのSFコミック雑誌で、都会の大きな書店の洋書・洋雑誌のコーナーに行くと雑然と並べられた中にちょろっと置いてあり、それを見つけるとパラパラとめくるのが楽しみだった。絵柄のタッチが日本のマンガとは明らかに違っていて、SF大好きっ子のハラダコオジ少年

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カルチャー・クラブ[私のCDライブラリより]#10

カルチャー・クラブ[私のCDライブラリより]#10

#8でヒューマン・リーグ 、#9でデュラン・デュランときたらやっぱり次はこれだ。

邦題は『君は完璧さ』。1982年・・・・・・もう38年も前になるのか。今でこそオネエや女装家などテレビで見かけない日は無いかもしれないが、このようなメイクやファッションで表舞台に出てきたポップ・スターというのは彼―ボーイ・ジョージ―が先駆けではないだろうか。

家にあるCDはこちら。

当時としては奇抜な外見にもかか

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デュラン・デュラン[私のCDライブラリより]#9

デュラン・デュラン[私のCDライブラリより]#9

Duran Duran は#8で紹介したヒューマン・リーグと同様、第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンとかニュー・ウェイヴの文脈で語られるのではないだろうか。

そのルックスの良さから10代、20代の女性の人気が高かったが、曲自体カッコいい。これをカッコいいというのはこの頃からニュー・ウェイヴ系の音楽に私が毒されていったからだと思う。

家にあるCDはこちら。

彼らのデビュー・アルバム。カメラ

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ヒューマン・リーグ[私のCDライブラリより]#8

ヒューマン・リーグ[私のCDライブラリより]#8

Don't You Want Me(邦題『愛の残り火』)がヒット。1980年代に始まった第2次ブリティッシュ・インヴェイジョンの先駆けの一つだろう。もともとシンセサイザーの音が好きなのだが、この辺りからその使われ方がより洗練されてきたような気がする。

家にあるCDはこちら。

またまたベスト盤。だってね、おいしいところが皆入っているからね。Mirror Man とか Fascination とか

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TOTO[私のCDライブラリより]#7

TOTO[私のCDライブラリより]#7

これも洋楽を聞き始めたころによく流れていた。1978年なら私は中1だ。

さすがスタジオミュージシャンの集まりといった感じで、演奏に安定感がある。

家にあるCDはこちら。

『宇宙の騎士』と邦題の付いたデビューアルバム。このアルバムもいいが、TOTOはその後もヒットを連発。オリジナル・アルバムを買い揃える経済力もなく、Africa, 99, Rosanna あたりの名曲を補うためにもう1枚買った

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ブロンディ[私のCDライブラリより]#6

ブロンディ[私のCDライブラリより]#6

Heart of Glass がヒットしたのが1979年。割と男臭いメンツが並んだヒットチャートの中で、デボラ・ハリーの存在はパッと明るく華があった。

1人の金髪女性が男性メンバーを従えてぐいぐい引っ張っていくスタイルは当時は並べ較べられるライバルはいなかったように思う。

家にあるCDはこちら。

The Tide Is High(邦題『夢見るNo.1』)でレゲエをやったり、Rapture で

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ホール&オーツ[私のCDライブラリより]#5

ホール&オーツ[私のCDライブラリより]#5

1981年、テレビで小林克也の『ベストヒットUSA』が始まり、テレビで洋楽アーティストのプロモーションビデオがぽつぽつと見られるようになってきた。そんな年にヒットを飛ばしまくっていたのがダリル・ホール&ジョン・オーツ、通称ホール&オーツだ。

1981年だけで、Kiss on My List, Private Eyes, I Can't Go for That (No Can Do) の3曲が全米

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ビージーズ[私のCDライブラリより]#4

ビージーズ[私のCDライブラリより]#4

今のところ、懐かしの洋楽シリーズになっているが、これも外せないだろう。

Googleで検索すると映画『サタデー・ナイト・フィーバー』が日本で公開されたのは1978年7月となっているので私が中1の時か。空前のディスコ・ミュージックブームとなり、ラジオをつければ聞かない日はないくらいStayin' AliveやNight Feverが流れてきて好き嫌いにかかわらず脳に刷り込まれた(結局好きなんだけど

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