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Road To H3 その2:Hロケット始動

前回の続きです。
なお、きっかけとなったH3ロケット打ち上げは、投稿時点では2月17日打ち上げ予定です。

日本ロケットの父、糸川氏の尽力で鹿児島県内之倉に発射場が完成し、1966年の引退後もその精神は引き継がれ、1970年についに初の人工衛星「おおすみ」打上に成功します。内之倉がある半島の名前からとっています。

それまでは、糸川氏の働きかけから連なる大学の研究所(東京大学宇宙航空研究所)が開発を担っていましたが、日本政府も宇宙開発の組織を設立し、1969年にNASDANational Space Development Agency of Japan)が誕生します。

ロケットの系統に話を戻します。

初の人工衛星「おおすみ」を打ち上げたのは「カッパ」という妖怪をもじったギリシア文字で、以後もそれに倣って以下のような名称でロケット開発が進んでいきます。略称の頭文字でどのタイプかが分かります。

K:カッパロケット(1956年 - 1988年)
L:ラムダロケット(1963年 - 1979年)
M:ミューロケット(1963年 - 2006年)

最後のミューロケットは、時代が変わる象徴的なロケットとも言えます。

糸川氏たちが始めた開発では、日本独自の固定燃料を採用していました。
ただ、戦後ということもあり、カッパロケットは兵器転用の疑いを掛けられてアメリカから管理されていました。

もう1つ、新しい時代への対応も背景にありました。

実は、1969年のNASDA設立目的も新型燃料の開発に関係します。

従来は科学調査目的が主でしたが、これから商業目的など目的が広がる人工衛星を打ち上げるにあたって、燃料調節がしやすい液体燃料のほうが良いのでは?という声も上がっていました。

かつ、一般論ですが固体燃料のほうがコストがかかりがちで、特にMロケット最後となる「M-V」ロケットのコストが比較的割高になったことから、2006年にその系統の開発は終了となります。

液体燃料ロケットの開発がスタートしたのはNASDA設立の翌年1970年からで、当初はノウハウがなかったため、結果としてアメリカ製ロケット(デルタ)の技術提供を受けるという選択肢をとりました。

それで誕生したのが「NⅠ/Ⅱ」ロケットで、1975年〰1981年ころに何度も打ち上げに成功しています。
このころには通信衛星や気象衛星も軌道上に配置され運用されています。

ただ、やはり国産ロケットを目指す夢は追い続け、ついに1986年、国産化率をあげた「HーⅠ」ロケットの開発に成功します。NASDAと三菱重工などが主に開発に関わっています。

出所:Wiki「H-Ⅰロケット」(タイトル画像もここより引用)

比率をあげた、と書いた通り純度100%ではありませんが、直前のN-Ⅱが60%に対して、80%にまで上がっています。
具体的には第二段エンジン「LE-5型」を国内で開発し、そこに液体水素を採用したので、その英語の頭文字「H」と名付けました。

これでついに、純国産ロケットにつながる「H」系統ロケット開発の船出が始まることになります。

<参考書籍>

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