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ブラックホール発見の光と影

光でさえも閉じ込めてしまう究極の掃除機「ブラックホール」。

2010年代に歴史的な偉業が続きました。以下に主観で書き下しておきます。

2016年:ブラックホールの衝突で重力波を実検証
2019年:M87星雲にあるブラックホールの画像化に成功
2020年:ブラックホールの研究者がノーベル賞受賞
2022年:天の川銀河にあるブラックホールの画像化に成功

丁度最近に、日本で最大(45メートル)の電波望遠鏡を誇る野辺山宇宙電波観測所の所長が、非専門家向けにその経緯を投稿しています。

長いので要約は割愛しますが、要は観測は我々が想像する以上に幸運に恵まれたようです。

そんな脚光を浴びたブラックホールですが、改めて史上初のブラックホール画像に繋がる1分のイメージ動画を貼っておきます。


この中央の影を「ブラックホールシャドウ」と呼びますが、このシャドウに関して、同じく撮像を目指す専門家から違った影が落とされています。

まだその論文を見てないので何とも言えないのですが、全国紙メディアに載ったということは、ある程度の根拠はあるのでしょう。
この動きは、注意深く定点観測していこうと思います。

今回は、せっかくですので、このブラックホールシャドウにまつわる話について触れてみたいと思います。

まず、直感的にはこの中央の影が光すら吸い込む究極の領域だと思いますが、実際にはもう少し小さくなります。

水のコップの中に入れたものが屈折して曲がって見える現象と同じようなことが天体の世界でも起こっており、例えて「重力レンズ」と呼ばれます。
これは時空が相互影響を与える一般相対性理論に基づく効果です。余談ですが、この理論の検証もこの効果による天体の見え方によるものでした。(1919年)

下記の記事が、当時の時代背景も添えながら分かりやすく解説しているので紹介しておきます。

上記では一言だけに絞ってますが、当時のドイツは世界大戦の中心にあり、世界の中でも比較的孤立していました。
科学者の普遍的な理論でさえもそれと無縁ではいれず、当時敵国であったイギリスの科学者エディントンによる政治的な尽力も、アインシュタインが脚光を浴びた影の貢献と言えます。

さて、その重力レンズ効果を除いた理論的なブラックホール半径のことを、初めて導いた方の名前をとって「シュバルツシルト半径」と呼びます。

シュバルツシルト(1873-1916)は、元々優秀なドイツの科学者だったのですが、第一次世界大戦(1914年)がはじまると、砲兵技術将校として最前線であるソ連(当時)に赴いていました。

そんな戦禍の中、アインシュタインが発表した一般相対性理論(1916年)を戦線中に読み、本人ですらあきらめかけていた数学的な厳密解を解いて手紙で本人に送りました。(論文発表後たったの4カ月後の話です)

アインシュタインは相当感銘を受けたようで、戦地から離れられない本人の代わりにドイツアカデミー協会に提出して代読したといわれています。
アインシュタインが代読する風景を想像するだけで、個人的にはうるっときてしまいます・・・。

不幸なことに、手紙を送ったほんの数か月に、戦地で患った病気が原因でシュバルツシルトは亡くなり、今でもその功績を称して同名の用語が使われています。

そのシュバルツシルト半径ですが、身近な天体の太陽に当てはめると約3km、地球だと約1cmと計算できます。
我々が住んでいる地球をビー玉ぐらいにするとブラックホールになるということです。

よくある例え話ですが、このシュバルツシルト半径付近まで人間が落ちたらどうなるのか?は興味をくすぐられます。

結論だけ書くと、見る人によって違った景色が見えます。

理由は一般相対性理論によると、重力の強さによって時間も影響を受けるからです。
具体的には、そこより重力がはるかに小さい地球上に住む我々から見ると、ずっとその付近にとどまっているように見えます。(つまり当事者よりも時間が極端に遅れて見えます)

有名なSF小説で、うっかりブラックホールに落ちた人が、絶対にそこから脱出出来ないので死亡に等しいのですが、見かけ上は常にそこにずっと存在して見えるので死亡保険がおりない、というネタを今でも覚えています。

さて、このシュバルツシルト半径ですが、アインシュタインは感銘を受けたもののあくまで数学上の産物で、実際にはブラックホールは存在しないと思っていました。(彼の宇宙に対する美学も影響していたと想像します)
確かにこの解は簡略化したモデルで、後世にそれを複雑(電気や回転量も加味)にした数学解も出てきています。

そしてシュバルツシルトが亡くなって100年余りが過ぎた2019年に、史上初の画像化に成功し、彼の功績が改めて評価されています。

もう1つ。余り知られていませんが、この方の名前をとった「シュバルツシルト賞」が戦後に創立され、初代はなんと彼の息子(天文学者)が受賞しています。疑いなく、父親の影響を受けたのだろうと想像します。

科学という客観的にみえる世界でも、政治や個人の思想に揺さぶられるのは世の常ですが、シュバルツシルトの残した功績は今でも脈々と引き継がれています。

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