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⚫︎奈良の似顔絵⚫︎十一面観音菩薩立像@室生寺


[Global NARA] 2001 No.18

グローバル奈良 第18号 2001年9月発行(表紙+裏表紙)イラスト、表紙の言葉/中田弘司

表紙の言葉
頭上の十一の仏頭が、人々のさまざまな苦悩に対応するため、全ての方向に顔を向ける女人高野「室生寺」の十一面観音菩薩立像。その姿は、平安期の女性のように華麗で優しい。けれど、どこか困っているようにも見える。さて、どうすればいいのだろう?

企画・編集・発行/奈良県企画部文化観光課

女人禁制の高野山の金剛峯寺に対して、女性に開放されていたから「女人高野」と呼ばれた室生寺。

かつては龍王寺と呼ばれ、古代の水神信仰と深く関わってきた。近くには水の神、竜神を祀る「龍穴神社」があり、室生口大野駅からは吸い込まれそうな静寂の滝や「龍鎮神社」の渓谷地帯を歩くハイキングコースもある。

今見える事柄は一つだか、歴史は階層になっていて、レイヤーから透けて見えるヒントが面白い。絵も同じように、重ね塗りした下地は表面に影響を与え、画面には深みが増す。今ここで見えている事以外の要素が、魅力につながってくる。

さて、この十一面観音立像、以前は金堂に横並び配置された五体の一つとして、前面には十二神将を従え、まるでヒーローのように並んでいたが、現在は寳物殿に移動された。そこでは横から下から、近くから眺めることができ、より身近に感じることができるが、理解しきれない表情は残る。


それを渋澤龍彦は「密教的」といい、白洲正子は「呪術的」と表現した。

表情はどこか不安を感じさせるような硬さがあり、密教的である。

「澁澤龍彦の古寺巡礼」(コロナブックス・平凡社)より

私にいわせればやはり山間の仏で、平野の観音の安らぎはない。両眼をよせ気味に一点を凝視する表情には、呪術的な暗さがあり、まったく動きのない姿は窮屈な感じさえする。

白洲正子「水神の里」(十一面観音巡礼・講談社文芸文庫)より

なるほど、そんな魅力は感じるが、やはりどうすればいいのかは、わからない。







室生寺のとても小さな五重塔。平成十年の台風の被害からわずか二年で、綺麗に蘇った。


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