[Global NARA] 1999 No.13
明治政府から関西古社寺調査団の顧問に抜擢されたフェノロサが、夢殿を開扉し、救世観音像は2000年ぶりに姿を現した。
法隆寺のある斑鳩町の隣の村で、わたしは子供の頃に育ちました。こんなに貴重なお寺とも知らずに過ごしていました。自転転で遊ぶ頃には、出かけるのにはちょうど良い距離で、スカスカした風景が今も懐かしい。
また3月の聖徳太子のご命日に、その遺徳をたたえ供養する法要「お会式」が行われ、毎年楽しみで通っていました。その時は参道いっぱいに露天が並び、普段の静けさや地味さとは違う、お寺の晴れの表情にワクワクしていました。でも当時、子供だった私は仏像を見ていませんでした。