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ダイバーシティといって一面的見方を学ぶのはユニバーシティだという話-ダイバーシティ(1)-

多様性受容(diversity and inclusion)が言われ始めて久しい。最近はDEI(ダイバーシティ、エクイティ、インクルージョンと言われることも)そもそも多様性とはなんだろうか。

性別、国籍、宗教、年代などへの配慮をすることがダイバーシティだという狭い枠に収まっていると感じる。「D&Iは違いを受け入れること」なのはトートロジーっぽさはあるが、その通りである。大切なのは、「違い」とは何か、「受け入れる」とは何かだ。「当社には女性役員がいるから、ダイバーシティに配慮している」と言われたら、「ん?」と思うのではないだろうか。性差はあくまでも違いの一つに過ぎないと感じるだろう。

人間というものを理解する際には軸を取ってみるとよい。その際に、性別軸、人種や国籍軸、宗教軸、年齢軸くらいしか出せなかったらロジカルシンキングの研修では、もっと考えろと言われる。50くらいは出したいところだ。

こうした軸の取り方には、文化軸や価値観軸、強み軸、性格特性や行動特性、マネジメントスタイルなどなど様々ある。はたまた血液型や動物占い、干支や四柱推命、更にはXQ(IQやEQなど)、うんこ占いだって軸なのかもしれない。究極的には私は選ばれし民であるというちょっとあれなものの見方であってもなんらかの軸に基づいている。

人は理解できない。だから、各種の診断という名の軸で「私は〇〇」とラベリングすることで、簡便に理解できるようにするのだ。ラベリングを言い換えるとレッテル貼りである(レッテルはオランダ語のletter)。

軸とは何かを一面的に切り取ったものであり、ダイバーシティとは多面的な視点のことである。一面、二面、三面、四面と面が増えていき、多面にいたる。僕たちは人が理解できない。だからさまざまな軸で人を理解するのを好む。

軸を一つ入手して人が理解できたように感じてそれを振りかざすのは愚かである。更に、そこに登場するレッテルを貼って人を理解した気になるのはなお愚か。学び続けて、幾百の面を身に付けなければならない。その姿勢がインクルージョンである。

ここの話はなかなかに深く、陰は陽を孕み、陽は陰を孕むといった例えや十牛図のような話になってくる。

また、形状を式で捉えにくいものを捉えるという点では積分と近い話のようにも思うが、深入りはさける。

さて、先日、ダイバーシティの研修の相談を受けて、人を切り取れるものであれば何でも良いがそれをやることはダイバーシティをインクルージョンするための一歩でしかないと答えた。研修で一つ一つ軸を身に着けていけば、最後は多にいたる。一つでは十分でない。

一つの見方を学んでdi-verseすることはできない。一つの見方を学ばせて終わるならそれはダイバーシティではなくユニバーシティ研修だ。

何が一番いいんですかと聞かれたら、軸の数が増えればいいと答えたい。研修をやるために作り込まれた複雑で立派な軸である必要はない。

なお、この話は人間に限る話ではない。新しい組織の形態といいながら、会社を一面的に切り取ることもまた愚かである。

さて、なんでこんな話を書いたかというと、ロジカルシンキングのお仕事の開発を終え、最後に書き残した「軸」の話を書きつつ、次のテーマに遷りたいと感じたからだ。今回のnoteはその橋渡しになるんじゃないかと思う。

次回はこちら。


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