自分を責めてしまう人へ

赤ちゃんは肌が弱い。
例に漏れず、生後間もない息子にもお顔全体に湿疹ができた。
「よく洗ってあげてね。クリームは無添加がいいよ。」
周りにこうアドバイスされる度に私は胸が苦しくなった。



初めての育児。
日に日にひどくなる湿疹。
どうしよう。
ごめんね。
ママの洗い方が悪いのかな。
ごめんね。

色々な本やサイトで調べて、良いと分かったことは何でも試した。
診察にも行ったし市販のクリームもたくさん試した。毎日朝と夜に2回お風呂に入れた。

それでも良くなるどころか一層悪化していく。
そんな時にアドバイスをもらう。
何度も何度も見たその解決方法に、私は「そうなんですね…!ありがとうございます。試してみますね!」とできるだけ『助かります』という表情を浮かべ、答えた。

息子のことを心配してアドバイスをくれていたのだと思う。
それは頭では分かっていても、反射的に自分が責められていると感じた。
周囲からのアドバイスが自分を攻める言葉に聞こえた時、私は初めて自分で自分のことを責めていたことに気がついた。
そして同時にそれは危険なことだとも思った。

私は、自分の息子を自分がどうにかできる存在だと思っていて、その責任は全て自分にあると捉えていたのだと思う。
もちろんまだ乳児である息子には私の介入が必要だし、その介入が息子に大きな影響を及ぼしていることは確かだ。
しかし、その捉え方のまま子育てをしてしまうと、今後息子に起こる良いことも悪いことも、母親である「自分のおかげ」であり「自分のせい」であると思ってしまいそうな気がした。
それは、自分が息子をコントロールしてしまう、危うさがあると思った。


人間関係における『課題の分離』に悩んでいる人は多いと思う。
我が子の〝できない″ は自分のせいだと責めたり、部下の評価=自分の評価と捉えてしまい悩んだり……。こうなると、相手を縛ってしまう方も縛られている方も辛い。

そんな人は、まずは、それだけ「自分事」の範囲が広がっている自分を褒めてほしい。そしてその上で『課題を共有』する意識を持ってみてはどうかと思う。

これはあくまで私自身の感覚だけど、課題を『同一視』でも『分離』でもなく『共有』することによって、関係性が一方的ではなく相互的になる気がする。

今ある状況をあなたはどう捉えているのか、そしてあなたはどうしたいのか、私にはどうしてほしいのか、お互いに耳を傾け合う。そうすることで、親子でも、恋人でも、仕事仲間でも、健全な関係性が築けるのではないかな、と思う。

そうはいっても、大切な存在であればあるほど、その関係性を築くのは難しい。家族となるとなおさらだ。

私は実際に「親のエゴ」も立派な愛だと思う。同じように、親に対する「子のエゴ」も愛だと思っている。ただ、その「愛」によって辛い思いをしているとしたら、相手の課題を背負いすぎていないか、今一度振り返ってみてほしい。

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