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親から学ぶ人生の意味

いままで、父は要支援だったのだが
最近の物忘れや、体調の悪さなどから
介護度をあげたほうがいいとのことで
聞き取り調査を受けることになった

そのため、これまでお世話になった訪問看護師さんとは
お別れとなり、また違う施設から看護師さんが来るとのこと

帰りにお見送りがてら、看護師さんのご両親のことを
お聞きしたら、実のご両親はもう他界されているけど、
同居の舅姑がいて、認知があり、帰ってからも色々大変とのこと

その前の看護師さんも、介護のため仕事をやめて地元に帰った

比べるものではないけど、うちなんてまだまだ・・
弱音を吐いて申し訳ないとさえ思ってしまう

フォロワーさんにも介護の専門家の方もいらっしゃるので
当たり前のことを書いていて申し訳ないけど

どこもかしこも…
身近に迫る少子高齢化

ーーー

母も亡くなる前、少しずつ出来ることが
少なくなっていき、そのことを私に何も言わないが
見ていて本当につらかった

老いるってなんだろう?
生きるってなんだろう?

と、人間の一生に深い諦めと絶望を感じた

なぜ、高齢になって、老いてしんどくなるのに
それでも生きなきゃいけないのかとわからなくなった

そして、父のいま

立ち上がったり、歩きにくくなって、
トイレも行こうと思いながら
間に合わなかったり、
食事も楽しみではなく、
ただ面倒なものになっているようだ
始終たくさんの薬を飲み、
週3回も4時間の透析を受け入れ、暮らしている

ーーー

歳をとって、少しずつ日常生活が面倒になったり
不便になったり、色々なことを我慢し、
それを受け入れながら、生きるとは…?

勝手に元の生活に戻れるように願い
必死に支援しているが
それは、違うのかもしれない

今の状態をありのまま、
つまり、親が老いと向き合うことを
私も受け入れないといけないのかもしれない

そうやって、親の老いを受け入れながら
最後の親孝行をさせてもらっている

ーーー

誰にも親はいる
もちろん、早くに亡くしたり
生き別れたり いろいろあるかもしれないが

今の自分がいるということは、親がいる(た)ということ

その親の世代が看護や介護になり
そのうち、自分も高齢になり看護や介護になり
順番に繰り返し…

わたしもいつかそうなる…

少しでも迷惑をかけたり、自分がせつなくならないよう
老いに抗うために
身体のメンテナンスや健康に気をつけた食事なども
心掛けているけど、完全に老いは自分事

なんかしんみりと
高齢者に優しい社会になりますように
と、願わずにはいられない

父のためにも
自分たち世代のためにも



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