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Week6 「豊かさの裏に」マレーシアで物乞いについて考える

マレーシアは豊かになりつつある。東南アジアではシンガポールに次いで2番目に発展している国だ。先進国入り目前ではないかと述べている人も多い。

実際にデータを見ても中国と同等の経済成長率(1人あたりGDP)を誇っており、少し古いが2018年のGDPは世界37位(196カ国中)を記録している。

街を歩いていてもその豊かさを存分に感じる。

高層ビルがあちこちで建設ラッシュで、レストランのオーダーも自動化されていたり、キャッシュレスオンリーのお店を見かけたり、ハイブランドがやたらと入っているショッピングモールが市内にいくつもあったり。自動化という意味でも「日本より進んでいるでは?」と思える光景を何度となく目にした。

クアラルンプールのビル群


けど、それはマレーシアの上っ面にすぎない。めくるめくほどの発展の早さに誰だってついていけるわけではない。


クアラルンプールで最も発展している地域「Bukit Bingtang」で撮影
日本で言えば「渋谷」みたいな場所
こちらも「Bukit Bingtang」で撮影
プライバシー保護の観点から顔にモザイクを入れています
母親と思わしき人の上に子供が座っている。
この写真には写っていないが、これのすぐ近くでは子供だけで座って何かを販売していた。
夜10時近くにも関わらず。彼らは学校に行けているのか。
クアラルンプール郊外の有名観光地「Batu Caves」で撮影
プライバシー保護の観点から顔にモザイクを入れています
クアラルンプールからバスで2時間ほどの観光地「マラッカ」で撮影
ぬいぐるみを着ていてかわいらしいが、お金をせがまれる

観光地人々の移動が多い駅の通路、比較的お金を持っている人が集まりやすい場所などには物乞いをする人や、自力で集めた小物を販売する人がいる。

この人たちに帰るべき場所があるのかどうかは定かではない。発展していると言えど、衛生環境は日本とは遠くかけ離れている。道路にはゴミが散乱し、しっかり舗装されていない場所だってある。その環境の中で外に居続けなければならない状況に陥っていないことを心の底から願っている。

物乞いをする人の特徴として、体に何らかのハンディキャップを抱えている人が多い。1枚目の写真の人も車椅子に乗っている。ハンディキャップを持った人に対する雇用のアクセシビリティが整えられていないことの裏付けでもある。

私も何度か車いすの人に話しかけられ、笑顔でお金の入れるためであろうバケツを差し出されたことがある。心臓を握られたかのように胸が苦しくなった。

物乞いを思考する

善意と理性がけんかする。お金を渡すのは楽な解決策だ。渡すだけなので、渡す額だけ考えればいい。なんなら、自分がいいことをしたという気分にもなれる。

でも渡すことが正解でもないだろう。お金をもらうことに依存し、自律的な生活を妨げて思考停止にしてしまうのは、自分がもっと避けたいことでもある。考えに考えて、結局これしか今を変える方法が無くて、この行動をしている可能性も否定できない。

別側面からもこの事象を捉えられる。

経験則から、物乞いをする人の特徴は以下の2つだ。

  • 観光地や比較的富裕層がよく通る場所に多い

  • 目立つところにいることが多い(例えば、近くに日陰があったとしても、炎天下にも関わらずひなたに座っているひともいる)

文化的な側面を考慮すると、マレーシアはイスラム教国家であり、イスラム教の教えのひとつに「喜捨(ザカート)」がある。
喜捨は「徳を積むため、もしくは宗教的な戒律にしたがって、金銭や物品を貧者や僧侶に差し出すこと」である。つまり、文化的にはこの状況では寄付してあげる人が多い。

日本では自己責任論が根深い文化なので、データで見ても他国の国より圧倒的に寄付額が少ないため(2020年時点でGDPで約6倍ほどアメリカの寄付額と差がある)、あまり想像できないかもしれないが、物乞いの人のお金入れを見ると結構入っている

これらを考慮して、誤解を恐れずに言うと、物乞いも一種の体系化されたビジネスのように思えてくる。

どこに人が集まるかを分析し、どのようにふるまえば人間の善意に突き刺さり、お金を払ってもらえるかをしっかりと文化的要因なども考えた上で行っているようにも見える。

であれば、物乞いは職業的側面を強く内包しており、前述したように「自律的な生活を妨げ」るものではなく、自律的にお金を稼ぐための手段ということになる。物乞いを自律的でないとする考えは、物乞いを意識的に職業という分類から除外し、物乞いという行為とそれを行う人を見下してしまっている。

とはいえ、その他にも多様な職業の選択肢は与えられてしかるべきことである。そのセーフティネットについても熟考していく必要があるのは言うまでもない。

では結局どうすべきなのか?

物乞いに対してどうふるまうべきか

答えは自分でもよく分かっていない。
だが、物乞いを単にお金のないかわいそうな人と感情的な側面のみで処理するのは不十分だ。

多様な視点から物乞いを見つめ直し、また自分にかかっているバイアスをはがすために、物乞いの人とも会話をする必要がある。

見た目だけで判断するのは簡単だ。
でも本質は絶対につかめない。人間を知る唯一の方法は、対話だ

言葉が通じないかも知れないし、何かされるかもしれない。

だが、つきまとう恐怖感を乗り越えなければ見えない世界を知り、自分の中で明確な答えを用意するためにも、次は勇気をもって話しかけてみようと思う。


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