『生物と無生物のあいだ』【読書感想文】
ご訪問いただきありがとうございます。
学生時代の畏友であり今はご同業のN先生(特に伏せる必要もないかとは思いますが,ご本人の了解を得ておりませんので(笑))の推薦で手に取った本が,本稿のタイトルに掲げさせていただいた福岡伸一氏著の『生物と無生物のあいだ』です。
タイトルからウイルス学の先端知見が書かれているのかなぁと思い読み始めましたが,ちょっとイメージとは違う内容でした。しかし,非常に面白かったです。良い意味で裏切られました。
端的に申し上げると,著者ご自身の体験談を交えた近現代の生化学史というべき内容が記述されています。
なお,以下は本書のネタバレ的内容を含みますので,未読の方はご注意ください。
1 導入
記述は,ロックフェラー大学図書館から始まります。わが国の科学者・医学者の大いなる先達であり,紙幣の肖像ともなった野口英世の話から。
そして,辛辣な記述が…
野口の研究業績の包括的な再評価は彼の死後五十年を経て,ようやく行われることになった。それもアメリカ人研究者の手によって。…彼の業績で今日意味のあるものはほとんどない。
野口が人格的に破綻者に近かったことは,近時ある程度知られています。電子顕微鏡のなかった時代であり,その業績には限界があったことも。しかし,「今日意味のあるものはほとんどない…」とまでいわれるとは。
そして,ここからウイルス学へと話がつながれていきます。
ウイルスは生物と無生物のあいだをたゆたう何者かである。もし生命を「自己複製するもの」と定義するなら,ウイルスはまぎれもなく生命体である。…しかし,ウイルス粒子単体を眺めれば,それは無機的で,硬質の機械的オブジェにすぎず,そこには生命の律動はない。
2 DNAの対構造
DNAが対構造でらせん構造を持つことを知る人は多いでしょう。
しかし,私は不勉強にしてこのことが自己複製機構を意味することは知りませんでしたし,気づきもありませんでした(高校生物を履修すると学ぶのでしょうか。)。説明を受ければなるほどというほかないのですが。
そして,話はここから,人工的なDNAの複製,増殖へと進み,この1年で人口に膾炙することとなったPCRマシンの話へとつながります。
PCR検査で用いられているPCRマシンは一体何をするものなのかが出てきます。ものすごく単純化していうと,PCRマシンとはDNAの特定の一部を抜き出してそれを増殖させる機械ということです。
3 動的な平衡
本書の記述は,さらに生化学,分子生物学の発展を辿りながら進んでいきます。そして,近年目にすることの多い,動的な平衡の話へと進みます。
よく私たちはしばしば知人と久闊を叙するとき,「お変わりありませんね」などと挨拶を交わすが,半年,あるいは一年ほど会わずにいれば,分子のレベルでは我々はすっかり入れ替わっていて,お変わりありまくりなのである。かつてあなたの一部であった原子や分子はもうすでにあなたの内部には存在しない。
生物が生きている限り,栄養学的要求とは無関係に,生体高分子も低分子代謝物質もともに変化して止まない。生命とは代謝の持続的変化であり,この変化こそが生命の真の姿である。
よく脳細胞はわずかな例外を除き分裂も増殖もせず,DNAの自己複製の機会はないといわれます。確かにそれはそうなのですが,その脳細胞ですら,構成原子・分子は絶え間なく入れ替わっているのだそうです。
なぜなのか。
それは,増大し続けるエントロピー(乱雑さ)を体外に排出して身体を再構築し,体内秩序を保つためということのようです。
ここに,「生命とは動的平衡にある流れである」との定義がなされます。
要するに,生命は自己を構成する物質を入れ替えないと,エントロピーが増大し続けてやがて閾値を超えたときに自己を保てなくなって死を迎えることから,これに抗するために絶えず身体を再構成し,恒常性を保とうとしているということでしょう。
4 動的平衡の許容性
さらに,このような動的平衡は,かなりダイナミズムに溢れるもののようです。
ある特定の遺伝子情報を完全に欠缺(ノックアウト)させたマウスの胚をつくり,それを育てたらどうなるかという実験で,確かに当該遺伝子情報が完全に失われたマウスが生まれたが,生命としては異常がないという結果になったというのです。
つまり,生命の動的な平衡状態においては,ある要素が欠落した場合,その欠落をできる限り埋めるような調節が起きるというのです。そのために,生命現象には様々な重複と過剰が用意されているのだと。
もちろん,このような調節にも限界があり,平衡が回復できない場合は致死的結果になるわけですが。
また,生命の平衡は完全な欠落よりも部分的な欠落に弱いという指摘も示唆的でした。
5 最後に
非常に興味深い本でした。
しかし,膨大なこの分野の学問的営みからすればほんの序の口にすぎないのでしょう。実際,読了後の満腹感はなく,むしろより知りたいという不足感の方が目立ったかもしれません。
とはいえ専門的知見が非常にわかりやすく記述されており,入門書としては最適の一冊かと思います。
拙稿に触れられて興味を持たれた方は,是非お手に取ってみてください。
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