【豪州】ひたすらに広い牧場で地球のてっぺんに着いた~私の取材旅行記~
食品に関する取材のお仕事をしていた頃に書き留めておいたものです。お仕事記事として掲載したものではない裏側のメモを手直ししてnoteします。初回は1989年9月の旅から。
※人名や地名などの名称、記事の内容は当時のものです。
オーストラリアへ
360 度視界が開けて、雲が地平線に交わるところまで見える。そんなに遠くまで見えるのに、見えるものは草原とわずかの木だけしかない。
そんな風景の中をブリスベンから西に延びるBarkly Highwayを、私たちを乗せたバスは時速100km以上で走る。
日本から約8時間。赤道をはさんだ先にあるオーストラリア大陸。
今回はここオーストラリアに牛肉産地の取材にやってきた。
牧場がひたすらに広い
オーストラリアの右肩にあたるクインズランド州。
ジョンデアリアンの町はずれ。
私たちの乗ったバスは国道から左に折れて「右側がロビンさんの牧場です」の説明を受けてしばらく走り、ようやく「ストックヤードフィドロット・キーウィパストラル」の看板。そこから敷地に入ってさらに約10分。ようやく牧場の管理棟が見えた。もちろんその間はひたすらに平坦な畑の中の道。
牧場には約5,000 頭の牛が飼育されている。それを10人のスタッフが管理している。
牧場長のジム・カッドモアさんとオーナーのロビンさんが牧場を案内してくれた。もちろん英語で話すために、詳しくは分からないのだが。
エサのコウリャンを噛む
バスがサイロ舎の中に止まった。
飼料が山積みされている中に大型バスが入れる広さってのもすごいスケールだが、このサイロ舎の中には、牛のエサになる大麦・ソルガム・コウリャン・コーン・綿実・小麦・麦わら・デントコーンサイレージ(コーンの茎も葉もカットし醗酵させた飼料)が積み上げられている。
その飼料と糖蜜をブルドーザーでトラックに積み込み、そのまま牛のいる囲いへ向かい、ゆっくりと進むトラックから伸びたパイプでエサ入れに流し込まれる。
飼料の中のコウリャンをロビンに勧められて口に入れた。乾燥しカサカサのコウリャンを噛むと甘味が出てくる。
これらの穀物飼料は、すべてこの牧場周辺で栽培されているものだそう。ちなみに大麦は牧場の一角(といっても「見渡す限り」の表現になる広大な面積あるのだが)でちょうど収穫期を迎えて、黄金色の穂波が続いていた。
この穀物飼料に味の秘密がある
オーストラリアからの輸入牛の約7 割はグラスフェッド(牧草飼料)で肥育された牛。
これは欧米人に好まれる味。しかし、日本人には臭いや味で嫌がられる。これまで輸入肉の多くがグラスフェッドのため「輸入牛は匂いが悪く風味に落ち、固い」のイメージが日本人には定着してしまった。
それとは対照的に日本人に好まれるのがグレンフェッド(穀物飼料)で育てられた牛。
今回の取材先の牛の飼料はそのグレンフェッド。そしてその穀物も地元で生産されたものなのだ。
さらにストックヤードの牛たちは一辺50mの囲い(ペン)の中に自由に動きまわって、日光も十分に浴びている。
ペンの中には150 頭程ずつが入れられ、そこで100 日から200 日肥育される。そのペンがここには36ある。まさに牛だらけである。
狭い牛舎で十分な運動もできず、輸入原料が多く配合された飼料を与えられ、毎日畜産農家さんが手をかけて肥育された100gウン千円する国内産の銘柄牛肉と比べて、どちらが牛にとって健康的かと考えてしまう。
牛は生産農家と肥育農家がある。これは日本もオーストラリアも同じで、肥育農家は生産農場から子牛を購入して肉牛として育てるのである。
このストックヤード牧場でも子牛を購入している。購入先は契約農家であり、ホルモン剤の投与をしていない証明書付きで購入している。
ストックヤード牧場に子牛が入ったら、まず1 週間程度休息させ、新鮮な牧草と水を与える。その後を体重測定しイヤータグ(耳票)をつけ、コンピューターに一頭づつ登録。このコンピューターに登録された番号は、成牛として牛肉のブロックになって、さらに海を渡って、日本の加工場に届くまで着いている。
短時間に牛さんがお肉になる
ロビンの息子、ロッキーの案内でグラントハムの食肉加工場を見学した。
この工場は牛を屠殺・解体・そして大きな塊にパックしている。
ここでの話で印象に残ったのが、牛の最後にストレスを与えず屠殺すること。そのことで肉質に影響がでないということ。
牧場から連れてこられた牛は、広い囲いの中でゆっくりとした『余生』を過ごす。
『その時』が来た牛達は、前が見通せないゆるやかなカーブが続く通路を自然と歩かされる。
その間に上から下からと水をかけられ洗われる。きっと「きれいになって気持ちいいぜ」と思っている間にその場に着いているのだろう。
一撃で脳死状態にされた牛は「ドサッ」と・・・倒れることなく、後ろ足を上に吊るされ、頸動脈から血液を抜かれる。いわゆる「生き締め」の状態になる。そうすることで、肉の中にうっ血が発生することなく良い肉ができるそうだ。
逆さ吊りのまま皮を剥がれ(これもスルスルと、まるでセーターを脱ぐ様に剥がれる)、頭を切り落とされ、内蔵を出される。最後に背骨にそってチェンソー様のカッターで半身に切りわけられる。
残酷なようだが、これを我々は食べているのだ。
一頭にかかる時間は約10分から15分。
素早く、手際よくすることで肉を傷めず、肉質を落とさず処理する。
こんなにきれいに処理されると、きっと牛も成仏できるのではないだろうか。
一頭ずつ大切に切りわける
「チームボーニング」という言葉。
一般的に解体・処理場では、流れ作業で一頭の牛が順次部分肉に解体され、最後に骨だけになるのだが、ここの工場では1チーム5人で一頭の牛を解体している。
ロッキーは盛んに『トレイス・アビリティ(トレーサビリティ)』という言葉を使った。チームボーニングすることで、牧場に入った時にコンピューターに登録された牛の個体毎の番号をそのまま全ての部位肉(日本に入荷する状態)にまでバーコードとして貼り、牛が牧場に入った時から、肥育状況、屠殺・解体の状態(誰がどんな作業をした)、いつオーストラリアを出荷したかまで追跡できるトレーサビリティのシステムを作り上げている。
もちろん、この工場はHACCP(ハサップ)の運用を行なって衛生管理レベルは、つねに最高のものを追求している。
じつはこの高い衛生管理レベルが、オーストラリアからの牛肉がチルドで日本に届く鍵でもある。
体験!これが本場のBBQパーティー
視察が終わり、牧場内の端にあるロビンの家へバスで移動。家の敷地内をバスで移動するのも想像以上なのだが、途中で野性のワラビーがバスの前を走り抜けるのを見るのも、ある種のアトラクション的な感覚。
家の前にはきれいに刈り込んだ芝生。
ロビンの家の東側は地平線が見えるまで開けている。
はるかかなたにお隣の家が小さく見える。
芝生の上でかがり火を焚いて明かりにし、ガレージにテーブルを並べている。お揃いのエプロンをかけたロビンと息子のロッキーが300gのステーキを鉄板の上で焼きはじめる。肉は脂身がほとんどなく、ついていても焼く時にナイフで切り落としている。
牧場長のジムが『フォーエックス(XXXX)』ビールを私たちに勧める。
このビールはブリスベンに工場のある地元のビールで、軽い口当たりと喉ごしは、乾燥した地域であるここにはピッタリの味。そのビールを片手に、ロビンとロッキーの傍らに立ち、片言の英語とジェスチャーまじりの日本語で会話を楽しむ。
ロビンの家族が皿を配りはじめ、それぞれ持ってこちらへ並べの指示。
映画で見る軍隊の食事風に皿を持って一列になり、皿に焼きたての肉・ライス(鍋で炊いた豪州米)・サラダと順々に乗っけてもらい、自分のテーブルに着く。厚さ3cmほどのステーキはビールを呼び、ワインを呼び、そしてまたステーキを呼ぶ。
ロビンとロッキーが、次々に焼き上がった肉をステンレスのトレイに山のようにのせ、「もう一枚食え」と配る。みなもお替わりの皿を差し出す。中には4 枚を平らげる者もいる。脂がついていないからだろうか、わりとあっさりとしているのだ。
我々が満足し、ワインとアイスクリームをいただく頃、ロビンとジムが我々のテーブルに自分の皿を持ってきた。
ジムの娘のロージーが手伝いを終えたのか、ジムの膝に乗ってきて、何やら父親と笑いながら話をしている。向こうのテーブルではロビンの奥さんのデリーさんやジムの奥さんが、他のメンバーとお互いに身振り手振りの会話と笑い声で盛り上がっている。
日本からの参加者からのお土産プレゼントでパーティーは最高潮。その余韻をフェードアウトするようにガレージのライトを消し、みんなでサザンクロス(南十字星)を探し、一緒に肩を組んで歌を歌う。
歌うのは何故か『上を向いて歩こう』。
激流下りあり、荒野歩きあり
ブリスベンから南西に約100km入った町ワーリック。ここからさらに西へ100kmでイングルウッドという小さな町。その町はずれにジョンディの経営するヤーランブルック・フィードロットがある。
私たちが訪問する3日前に、この地域は『バケツをひっくり返したような大雨』に見舞われたそうで「牧場へ通じる道路が冠水していて、行けるかわからない」という前情報があった。
しかし「せっかく来たのだから」の声で、バスにライフジャケットを積み込み「とりあえず」その場まで行く。
案内の「普段はクリーク(小川)なんですよ」の言葉に見ると、濁流が約10m以上の幅で流れている。
流れの半ばに立つ木が『ここはホントは川じゃないんだもんね』と主張している。
牧場の男達が小型のボートで待っていてくれた。
最初の渡しにライフジャケトを付け、出版社のスタッフと一緒に乗り込む。
4人乗りの小舟がグラリを揺れ「おいおい沈むなよ」と心の中で呟く。思った以上に流れがあるために、ボートは上流に舳先を向ける。
『大丈夫か?』と思ううちにボートは対岸に到着。ちょっとホッとする。
こちらの岸に待っていた車に乗り込み牧場へ向かうが全員は乗り切れない。
「牧場はすぐでしょ。歩いて行きましょうか」と歩きだす。
が、「確かここは牧場の敷地内のはず」なのに歩けども何も見えないブッシュの中の道。
とんでもないスケールの国だと思いつつ、乾燥した土埃と、強い日差しに汗がにじんできたところに第2陣の迎えのトラックがやって来た。
ヒッチハイクのようにピックアップトラックの荷台に揺られ、風を受け、砂埃をあげながら車は牧場の管理棟へ。
ここで冷たい水の接待を受け、牛のいる場所へ再度出発。
『地球のてっぺん』で叫ぶ
牧場のサイロタワーの高さは30mくらいだろうか。
ビデオカメラと一眼レフカメラ、それぞれのフィルムやレンズのセットを身につけ、そうでなくても重たい身体で鉄塔の階段を登る。
最上部からの見晴らしにはただただ「オォォォー!」と叫びたくなる。
視界に入る範囲360度には地平線だけ。
自分よりも高いものは、青い空しかない。
今ここはきっと確かに地球のてっぺんなのだ。
砂漠があるという西の地平線から、オーストラリア大陸の乾燥した風が『ぐわぁー』と東の地平線に抜けていく。
その風を追って東の地平線を見ていると「あの先はどうなっているんだろう?ちょっと行ってみようか」という好奇心が沸き上がってくる。
きっとこれが大航海時代の原動力で、チンギスハンが大陸を制覇した素で、地球上の何処にでも人間がウジャウジャいる原因なのだろう。
『こんなオーストラリの原野を牧場にしてしまう人間ってすごいよ。でも、大陸の風の中では、それ自体もちっぽけだよね』。
そんなことを思いながら、大声で叫ぶ
「牛肉って・おいしぃーーー」
取材日:
1998年9月13日~19日
≪余話≫
ゴールドコーストやシーワールドなどの観光地に行った写真やトゥーンバで町中が花に飾られたシーンなどの写真もあったのですが、当時はスマホもない時代です。退職時にプリントを全部を職場に置いてきて、手元にはほとんど何もない。何本かネガを持っていたのが不思議でした。
◆5000字を越える長文をお読み下さりありがとうございます。
書き留めておいた取材旅行記番外編のひとつです。国内篇も続ける予定ですが、もしよかったら「スキ」を押していただけると励みになります。
※見出しイラストは
カメラマンのイラスト by Loose Drawing
https://loosedrawing.com/illust/1034/
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