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圧倒的な「命」の重み―書評『選べなかった命』河合香織

 こんにちは。ちいさなへやの編集者です。今日は、河合香織の『選べなかった命―出生前診断の誤診で生まれた子』の書評を書こうと思います。3分以内で読めますので、どうぞ最後までお付き合いください。

 わたしは会社の同期との昼食のさいに、おたがいが読んでいる本の話をすることがあります。この本も、その同期の話を聞いていて、読んでみようとおもった一冊でした。

 出生前診断については、さいきんまで、ほとんどなんの知識ももってはいませんでしたが、2か月ほどまえに、日本産科婦人科学会の認定外の施設が増えている、という記事を新聞で読んで以来、すこしずつ関心をもつようになりました。

 この本は、出生前診断をめぐって実際に起こってしまったできごとを取りあげた、ルポルタージュです。
 そのできごととは、当時四十一歳だった母親が胎児の染色体異常を調べる羊水検査を受け、実際にはダウン症という結果がでていたにもかかわらず、医師から「異常なし」と伝えられたというものです。
 結果、出産した男児はダウン症をわずらっており、その母親は、もしも出産前にダウン症だと知っていたら「中絶していた可能性が高い」とし、一〇〇〇万円の損害賠償を求める訴訟を起こしたのです。

 読むまえからわたしは、「どんな障害をかかえていたとしても、その子を産むという選択が正しいのではないか。命の選別をするべきではない」と、じつにそぼくな倫理観からそう考えていました。
 しかし、読むほどに、そのような倫理観が「きれいごと」かもしれないということについて非常に考えさせられることになりました。

 読んでいて、これほど「つらい」と感じる本に、なかなか出会うことはありません。
 訴訟を起こした女性は、命の選別を助長するとして、さまざまな団体・メディアなどから批判を受けますが、産んだ子どもが障害を持っていることをどうしても受け容れられないいっぽう、それでもなんとか受け容れようと葛藤します。
 その姿には、言葉を絶するほどに胸をえぐられるおもいがしました。

 この訴訟は、日本初の「ロングフルライフ訴訟」というものでもあったそうです。
 親の自己決定ではなく、子じしんを主体として、誤診がなければ苦痛に満ちたじぶんの生は回避できた、とする訴訟のことです。
 いわばそれは、「生まれてこない権利」をめぐっての訴訟であることを意味します。

 本書は、けっして、著者の立場や訴訟を起こした母親の立場を特権化した語りをしてはいません。
 出生前診断をおこなえずにダウン症の子どもを産んだ女性、ダウン症児を里子として育てている家庭、胎児に重大な異常があると知りながらも子を産む決断をした女性、中絶にたずさわる医師や助産師、ダウン症の当事者の女性など、さまざまな立場のかたへのインタビューをとおして、この問題がけっして一面的に判断できるものではないことを明らかにしています。
 
 読めば読むほど、わたしには、この出生前診断にたいする「正解」がわからなくなりましたが、それは、「命」というものそれじたいのわからなさであると感じています。
 そこには、どのような法律論も、「かくあるべし」という倫理的規範論も通用しえない、圧倒的な、あまりにも圧倒的な「命」という「問い」が立ちふさがっています。

 2018年に刊行された本書は、翌2019年の大宅壮一ノンフィクション賞と、新潮ドキュメント賞を受賞しており、先月に文庫本が出されました。ぜひ多くのかたに手にとってほしいと感じた一冊です。

 誰を殺すべきか。
 誰を生かすべきか。
 もしくは誰も殺すべきではないのか。

 この著者の「問い」は、わたしたちひとりひとりの家庭に鋭く向けられています。


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