KOHEYA Ryutaro

弘平谷隆太郎(1990年、横浜生まれ)。短歌と料理を作ります。所属なし。友人なし。第3…

KOHEYA Ryutaro

弘平谷隆太郎(1990年、横浜生まれ)。短歌と料理を作ります。所属なし。友人なし。第38回現代短歌評論賞受賞。2021すばるクリティーク賞最終候補。第4回BR賞佳作。

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最近の記事

結婚記念日に急性虫垂炎(盲腸)で緊急入院した話

11/1(水)緊急入院 この日は外勤の仕事があったので、昼前に家をでた。11時に、東京駅で合流した同僚と早めのランチをとり、その後、用務のために舞浜界隈へ向かう。昼食後から、腹痛とまではいかないけれども、胃もたれのような違和感があり、用務のあいだ、しだいにその感じが亢進していった。15時をまわったあたりでいったん用務は終わり、同僚とは別れて、先に帰ることに。京葉線に乗って東京駅へ向かうも、車中、「さすがにこりゃあ、ただの胃もたれとは違うかもしれん……」と苦しみが募りだす。

    • 存在「感」について|【書評】郡司和斗「遠い感」

       これは、郡司和斗が短歌研究新人賞を受賞した連作「ルーズリーフを空へと放つ」におさめられている一首だが、はじめにこの歌を読んだときは、「ゆうれい」は「水」のことをいいかえている、とそぼくに受けとめていた。穂村弘も、郡司の第一歌集となる本書の栞文のなかで、「『水道代払わずにいて出る水』は『ゆうれい』」と書いている。  ……あれ? と、ふと思う。これは、そんな単純な歌なのだろうか? いま目のまえにみえているはずの「水」をみて「ゆうれい」とつぶやく。それって、なんだか、ちょっとおか

      • 短歌研究四賞授賞式のこと(ひとりの「転校生」の話)

         今朝は6時ごろに子どもの泣き声で目を覚まし、妻がおむつを変えているあいだにじぶんはミルクをつくり、しているうちに、猫が暴れだしてうんちをしたので鼻をつまみながらそれを片づけ、小雨が降るなかごみ出しに行き、あ、そういえば、この雨、豪雨のような昨日の雨とひとつづきではあるんだよなー、と思いいたったので、子どもの寝ているいまこのすきに、昨日のことをざっとここに書き残そうと思います。  昨日、短歌研究四賞の授賞式に、受賞者のひとりとして参加してきました。わたしは2020年に現代短

        • そうだバンザイ生まれてバンザイ|【書評】俵万智「プーさんの鼻」

           わたしには、もうすぐ5か月になる息子がいて、そうすると、実用的な育児本だけでなく、子育てや育児に関する文芸書にも、しぜんと目が向くようになる。子育てだの、育児だの、そんなことは夢にも見なかったころには素どおりしていた、素どおりしていることにさえ気づかなかった本たちに、わたしは日々、新鮮なきもちで出会っている。  俵万智に、子育てを中心的に詠んだ歌集がある、ということさえ知らなかった。2005年に刊行された四番目の歌集、「プーさんの鼻」がそれであるが、40歳を過ぎての妊娠、出

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        記事

          「自己表現」と「自己実現」の違い|【書評】阿部昭「新編 散文の基本」

           日本の文学史に、「内向の世代」としてくくられる作家の一群がいます。おもに、1970年(前後)頃に文壇に登場した作家をさしており、古井由吉、後藤明生、黒井千次、坂上弘、小川国夫、高井有一などの名前を挙げることができます。  などと、さも勝手知ったるかのように書いてはいますけれど、わたしも、古井由吉をのぞき、「内向の世代」の作家の小説を、語れるほど読んできたわけではありません(というか、ほぼ、読んでいない)。  庄野潤三、吉行淳之介、小島信夫、安岡章太郎、といった華ばなしい

          「自己表現」と「自己実現」の違い|【書評】阿部昭「新編 散文の基本」

          文体から放たれるオーラ|【書評】辻仁成「海峡の光」

           小説だろうが詩だろうが、エッセイだろうが評論だろうが、すぐれた作品にはかならずある種の「オーラ」というものがただよっている。たとえそれが、あらすじさえ知らないままにはじめて繙読する作品であろうとも、冒頭の一行ないし数行に目にとめるだけで、これは、とこちらに思わせる一種異様な「佇まい」を感じさせる作品というのが、確かにあるのです。  第116回(1996年下半期)の芥川賞受賞作である辻仁成の「海峡の光」は、このような冒頭ではじまります。わたしは先に、「オーラ」とも「佇まい」

          文体から放たれるオーラ|【書評】辻仁成「海峡の光」

          反散文と反短歌、その先にある「詩」について|【書評】千種創一「砂丘律」

           歌人であり詩人でもある千種創一の第一歌集が、今月、筑摩書房より文庫となって刊行されました。それが、本書、「砂丘律」です。  「砂丘」という無機質で非生命的な言葉と、「律」という形式ばった規則正しげな言葉からなるタイトルとはうらはらに、歌集におさめられた歌は、抒情性が豊かで、かつまた、「型破り」なものが多いと感じます。  千種創一の詠む歌がユニークなのは、短歌というかたちを(いちおうは)とりながらも、本質的には、反・短歌を標榜しているかのようにみえる、というところにありま

          反散文と反短歌、その先にある「詩」について|【書評】千種創一「砂丘律」

          人生いかに生くべきか|【書評】浜崎洋介「小林秀雄の「人生」論」

           その名前を聞くだけで、あるいは目にするだけで、なにか胸に迫るものがある。そういう存在がみなさんにはいらっしゃるでしょうか。  小林秀雄。わたしにとっては、まさにこのひとが、そうした存在にほかなりません。  以下、ほとんどが、本書の書評を逸脱し、小林秀雄をめぐる個人的な(感傷的な)メモワールに終始しますが、なにとぞ、ご海容をたまわりたく存じます。  来年、2023年で、死後40年を迎えようとしているこの批評家の名前を、10代、20代、30代の若い読者はどれだけ認知してい

          人生いかに生くべきか|【書評】浜崎洋介「小林秀雄の「人生」論」

          「優しいマジョリティ」への違和感|【書評】高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」

           2022年上半期(つまりは最新の)芥川賞受賞作となった、本書、高瀬隼子の「おいしいごはんが食べられますように」。受賞発表からすでに4か月ほど経ってはいるのですが、いまさらになって興味をひかれ、読んでみました(読書って、なぜか、「いまさらになって興味をひかれ」ることの連続な気がします。しませんか?)  結論からいってしまえば、おもしろかったです、むちゃくちゃ。おもしろすぎて、ぞっとしました。読みはじめるや、巻を措く能わず(という漢文訓読調が口をついてしまうほどの速さで)、一

          「優しいマジョリティ」への違和感|【書評】高瀬隼子「おいしいごはんが食べられますように」

          おからの猫砂、だめ、ゼッタイ|猫エッセイ#1

           2か月ほど前から、わが家の飼い猫チルが、ふしぎなトイレのしかたをするようになった。オシッコはぜんぜん問題ないのだけれど、ウンチのときに、トイレのふちに前脚をかけてコトを致すようになったのだ。  トイレのふちの高さは10センチほど。チルはなにやら神妙で思索的な顔をしながら(猫がウンチのときにみせる例の表情ですね)、ふちにかけた前脚をピンと張って、股を広げ、そうして、ぼとり、ぼとり、とウンチを猫砂に垂らしていらっしゃるのです。  はじめこそ、「妙な格好でやりよるなあ、ま、そ

          おからの猫砂、だめ、ゼッタイ|猫エッセイ#1

          清らかで孤独ないばら道|【書評】枡野浩一「毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集」

           率直にいって、枡野浩一という歌人について、わたしが漠然ともっていたイメージ(もとい偏見)は、「きっとなかなかトガッたひとなんだろうなあ」といういい加減なものでした。  特定の結社に所属することもなく、反既成歌壇という旗幟を鮮明にし、「マスノ短歌教」なる言葉の上だけにしか存在しない宗教の「教祖」を自認する、孤高のローンウルフ、ないしアウトサイダー(要するに、なんだかちょっと「ヤバそう」なひと)。  その勝手なイメージは、枡野短歌の代表歌としてもしばしば目にするつぎのような

          清らかで孤独ないばら道|【書評】枡野浩一「毎日のように手紙は来るけれどあなた以外の人からである 枡野浩一全短歌集」

          宇宙はわたしたちのからだのなかにある|【書評】三木成夫「内臓とこころ」

           わたしの妻は、現在、妊娠6か月目を迎えたところなのですが、先日の妊婦健診ではじめて、「4Dエコー」なるものを使うことになりました。健診が終わったあと、わたしも、そのエコー写真をみせてもらいました。ところが、です。  これが、なんと形容したらよいものか。その写真をみても、いったい、どこが目でどこが口なのか(そもそもどこが顔なのか)、どこからが手でどこからが胴体なのか、まったく判別がつかないのです。  まるで無造作にこねくりまわされた粘土か何かのような、ボコボコとしたピンク

          宇宙はわたしたちのからだのなかにある|【書評】三木成夫「内臓とこころ」

          「センスがいい」とはどういうことか?|【書評】松浦弥太郎「センス入門」

           「あのひとのファッションはセンスがいい」とか、「あのお店の内装はセンスがいい」とか、ことあるごとに「センス」という言葉を耳にします(しませんか?)。じっさい、うまくその対象を評価する言葉に困ったとき、わたしたちは、「センス」という言葉をもってくることで、なにかをいちおう「言い得た」気分になってしまうこともすくなくありません。  でも、あらためて「センス」というのがなんなのか、具体的に考えてみようとすると、これがなかなかむずかしい。みなさんは、「センス」というのは、つまると

          「センスがいい」とはどういうことか?|【書評】松浦弥太郎「センス入門」

          【書評】そこには「見えない」仕事の力|牟田都子「文にあたる」

           石原さとみが主演のドラマ「校閲ガール」が数年まえに放送されてから、「校正」ないし「校閲」という仕事が世間に広く認知されるようになった印象があります。  かくいうわたしも、新卒でいまの出版社に勤めるまえ、学生のころに四年ほど、予備校で高校の国語の教材の校正のアルバイトをしていた経験があります。  といっても、この「校正・校閲」という世界に、個人として名のとおっているひとがどれだけいるのか。わたしは、寡聞にして、神楽坂にある校閲専門会社「鴎来堂」の社長、柳下恭平さんぐらいし

          【書評】そこには「見えない」仕事の力|牟田都子「文にあたる」

          裏切りのコミュニケーション―書評「シンプルな情熱」アニー・エルノー

           今年のノーベル文学賞を受賞したことで、にわかに注目を集めはじめた(?)フランスの作家、アニー・エルノー。わたしは作家の名前すら知りませんでしたが、たまたま本屋に平積みにされていたのを機縁に、「シンプルな情熱」という一冊を読んでみることにしました。  手はじめにアニー・エルノーについて語られている記事をいくつか参照してみると、この作家を語るにさいして、しばしば、「オートフィクション」という聞き慣れない単語が散見されます。  「オート」というからには、(たとえばAIの技術を

          裏切りのコミュニケーション―書評「シンプルな情熱」アニー・エルノー

          どこまでも乾いた風の気配―書評「TUGUMI」吉本ばなな

           1989年。その年の文学シーンは、ほとんど、「吉本ばななの年」といってもよさそうなほど、このひとの作品が年間の売上ランキングを席巻しています。  あるサイトの記録するところによると、1989年の7位に「哀しい予感」、6位に「うたかた/サンクチュアリ」、5位に「白河夜船」、2位に「キッチン」、そして1位に「TUGUMI」がランクイン。  バブル経済の絶頂期のふんいきに、もしかすると、当時まだやっと20代のなかばにさしかかったばかりの吉本ばななの描く世界像が、なんらかの照応

          どこまでも乾いた風の気配―書評「TUGUMI」吉本ばなな