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短歌研究四賞授賞式のこと(ひとりの「転校生」の話)

 今朝は6時ごろに子どもの泣き声で目を覚まし、妻がおむつを変えているあいだにじぶんはミルクをつくり、しているうちに、猫が暴れだしてうんちをしたので鼻をつまみながらそれを片づけ、小雨が降るなかごみ出しに行き、あ、そういえば、この雨、豪雨のような昨日の雨とひとつづきではあるんだよなー、と思いいたったので、子どもの寝ているいまこのすきに、昨日のことをざっとここに書き残そうと思います。

 昨日、短歌研究四賞の授賞式に、受賞者のひとりとして参加してきました。わたしは2020年に現代短歌評論賞を受賞していましたが、この間、コロナのために授賞式が開催されずにいたのを、今年、四年分まとめての式が開かれることになりました。

 批評家の東浩紀が、「観光客」という言葉をつかって、「友」でも「敵」でもない「中途半端」な立場から、共同体に関わることの意義について語っています(「観光客の哲学」)。わたしじしん、短歌(とその世界)については、そのような「観光客」のような立場で、つかずはなれず、じぶんなりの距離感からコミットしようと思っていました。わたしは短歌のプロパーでもなければ、長い実作の経験があるわけでもなく(昨年ごろからようやくぼそぼそとつくりはじめたていどなので)、短歌をいわば宿命的に引き受けていらっしゃる歌人のかたがたと、同じ立ち位置に立てるはずもない、そう思っていたからです。

 ただ、昨日の授賞式で、わたしが一方的に存じあげているそうそうたる顔ぶれの歌人のかたがた(受賞者や各選考委員のかたがたはもちろん、招待者としてご参列されていたかたがたも含め)を目のまえにして、あ、もしかするとじぶんは、すでにいやおうなくこの世界に引き込まれている、いや、もとい、決定的に惹きつけられてしまっているのではないか? と感じてもいました。

 現代短歌評論賞の選考委員のひとりである谷岡亜紀さんからいただいた講評のなかでも、(自分なりに翻訳すれば)「きみはもうアウトサイダーではいられない立場に(のぞむとのぞまざるとに関わらず)すでに置かれているんだよ」というしずかな激励の言葉があったものと記憶しています。

 そのとき、はっとして思ったのが、ああ、そうか、「転校生」ってこんな感覚なのかもしれないな、ということでした。じぶんはいまだかつて転校というものをしたことはありませんでしたが、教室ないしクラスという、すでに既成の友人関係やヒエラルキーがつくられている共同体にとつぜんに放り投げられ、それでも、そのなかでこれから生きていかなければならない、そういう感覚です。

 で、そういう「転校生」の立場になって思うのが、「転校生」にたいして、気さくに話しかけてくれる人がいることのあたたかさ、「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ(?)、まさにそのことで、ほとんどだれひとりとして面識のないわたしと少しでもお話をしてくださったかたがたに、ひたすら感謝の気もちでいっぱいです。

 いまはまだ、遠いあこがれのような存在のかたがたばかりではあり、それゆえに遠くから見ているだけでお腹いっぱいでしたが(立食パーティのご飯はあまり食べられず、帰宅してからコンビニの納豆巻きを食べ、昨晩の残りの味噌汁を飲みましたが)、まずは実作をつづけて、そうして短歌のたしかな手ざわりがじぶんなりにつかめるようになるころには(もしそんな日がほんとうに来れば)、きっとかならずまた、先輩歌人のかたがたとお話できる機会も来るだろうと思っています。

 と、ここまで書いてきて、おもちゃのねずみをくわえた猫が半狂乱になって暴れだし、子どももそろそろ起きてきそうなので、はなはだ、乱文、雑文となりましたが、この辺にしたいと思います。

 最後に、記念に、昨日の受賞スピーチを残しておきます(なお、受賞スピーチはひとり「二、三分」と、事前に規定のスピーチ時間をお伝えいただいておりましたが、わたしは(なかば確信犯的でしたが)三分を超えたスピーチになってしまっていたかと思います。歌人が遵守しなければならないのは、三十一文字の定型であって、スピーチの時間ではない、などと、そんなことが言いたいわけではまったくないのですが、時間を守らず、相すみませんでした。)

 *  *  *

 このたび第38回の評論賞を受賞しました、弘平谷隆太郎と申します。わたしはこれまでほとんど短歌というものに縁がなかった人間でして、学生短歌会や結社などにも属したこともなければ、実作じたいもほとんどしてこなかったんですけれども、そんな人間がなぜここにこうして立っているのか、その経緯をお話しさせていただきます。
 わたしは、ふだんは出版社で働いていて、国語の教科書の編集者をしています。国語の教科書にも現代短歌が載っているんですが、われわれ編集者は、それを審議する時期になると、何十何百と候補を募って、そのなかから教科書に採録できそうな短歌を決める、ということをしています。
 2019年のことになりますが、その仕事の過程で、一冊の歌集に出会いました。それは、当時、ジャーナリスティックな関心を集めていた、萩原慎一郎さんの「滑走路」という歌集でしたが、それを読んだとき、素人のわたしにも胸にひびいてくるものがありました。
 で、その「滑走路」についてのエッセイを書いて投稿したのが2019年の評論賞で、それは受賞とはならなかったんですけれど、最終選考での選考委員の先生がたの講評を読んで、その言葉が励みになりました。次は、もっと短歌というものに正対した文章を書いて、先生がたに読んでいただきたいと、そういう思いで書いたのが2020年に受賞したこの評論でした。
 それから3年経ちまして、プライベートではいろいろな変化もあって、結婚もして、住宅ローンも組んで、猫も飼って、半年前には子どもも生まれて、ただ、こと短歌に関していいますと、これまでまったくそんな思いは抱かなかったのですが、どういうわけか、この間にじぶんでも実作をするようになりまして、今では、寝ても覚めても短歌を作ることばかり考えているような日々です。
 ひとつ思いだしたのが、わたしの遠い親戚に、ひとり歌人がいた、ということをむかし母親が言っていたんです。ほんとかうそかは分かりませんが、それが、柳原白蓮、という大正・昭和の歌人なんだそうです。ただ、わたしの親、その親、さらにその親とさかのぼってみても、短歌に関心のある人間なんてひとりもいないんですよね。それが、急にわたしのところへきて、こうして、なんの因果か、短歌というものと関係が生まれた。これはきっと、白蓮が、なんらかの意志をもってわたしに働きかけようとしているのではないか、そんなことも近ごろは勝手に空想しているしだいです。
 最後になりましたけれども、このような大変栄誉ある賞に選んでいただいた選考委員のみなさま、「短歌研究」編集部のみなさま、そして短歌というものの先達のみなさまに、お礼を申しあげて終わりとさせていただきます。このたびはまことにありがとうございました。


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