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「読み書き」のへや

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文章術や読書法、あるいはそれに類した記事をまとめたマガジンです。
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記事一覧

表現はつねに「諸刃の剣」である―あるいは「成熟した知性」について

 先日、わたしが過去に書いたあるnoteの記事に、コメントがありました。書かれたかたの名誉の…

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「私」と書くか、「わたし」と書くか?―一人称をめぐる戦い

 じぶんが書く文章の人称をどうしたらよいか、みなさんは悩んだことがあるでしょうか。わたし…

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「noteが書けない」という記事を書くのはアリなのか?

 これはずっと「禁じ手」にしてきたのですが…矢も楯もたまらず、今回、書いてしまいます。 …

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文章の適切な「体脂肪率」について―運動と文章の深い(?)関係

 わたしには、以前から気になっているテーマがあります。それは、運動やスポーツは、そのひと…

54

勝手に選定!「新潮文庫の100冊」―#名刺代わりの新潮文庫100選

 毎年この時期になると、各出版社が文庫フェアをはじめますよね。主なのは、角川文庫の「カド…

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読みとおせなくてごめんなさい―「挫折本」たちへの鎮魂歌

 わたしのこのnoteでは、本や読書に関する記事を中心的に発信していますが、そこで取りあげる…

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悲報…「純文学」という「亡霊」に祟られつづけています(※除霊希望)

 読書をすればするほど、世界への理解や認識が深まる、というようなことをよく耳にします(しませんか?)。  たしかに、読書にはそういった「効用」があるとはおもいますが(そう信じたい)、残念ながらじぶんの場合、むしろ、読むほどにじぶんの感性の狭さを痛感する、ということのほうが真実であるように感じてもいます。 (じっさい、本屋にいって一冊の本を選んで買うとき、その行動は、無数の「選ばれなかった本」「読まれない本」によって支えられているわけですから。)  来月7月の半ばに、第16

知性はときに「暴力」になる

 毎週日曜日、TBSでドラマ『ドラゴン桜』が放送されていますね。いよいよつぎが最終回とのこ…

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読書の適切な「量」と「ペース」について―本は読んでも読まれるな?

 お酒についてはよく、「酒は飲んでも呑まれるな」ということがいわれますが、読書についても…

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「固有名詞」の調理法―それは「媚び」なのか「親切」なのか?

 文章を書いていて、つど悩まされることのひとつに、「固有名詞」にたいしてどのていどの説明…

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「文学的」とはどういうことか?―文学と論理のはざまで

 日常のいろいろな場面で、「文学的」という表現を耳にすることがよくあります(ありませんか…

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noteという「お店」をつづけるために

 昨日、村上春樹の『やがて哀しき外国語』の書評をnoteにあげましたが、その本を読みかえして…

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ひとを惹きつける文章に必要なもの

 ずいぶんと大上段に構えたタイトルをかかげてしまいましたが…  ひとを惹きつける文章に必…

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恥の多い文章を書いてきました―「明晰」な文章とはなにか

 noteにかぎらず、ですが、過去にじぶんが書いた文章を読みかえすときに、なにか「恥ずかしさ」を感じることってありますか?  そこにあらわされた過剰な自意識、感情のほとばしり、あるいは拙速な議論など、そういうものが、時間がたって冷静になったあとになって読みかえすと、顔から火がでるほど恨めしいものにおもわれる…といったような。  そういえば、わたしも以前は、そういう感情になることがあったように記憶しています。  特に20代の前半から半ばごろに書いていた雑文、日記、あるいはゼ