"誰も傷つけない笑い"という表現 ~お笑いマニアは語る⑤~
ここ最近のお笑い界で、主に褒め言葉として使われる「誰も傷つけない笑い」というフレーズ。
お笑い好きの中には、この言葉に違和感を覚える人も多いようだ。
その違和感を分析してみたいと思う。
傷つける笑い
"誰も傷つけない"の代名詞として、最近名前を挙げられがちなのが「つっこまない漫才」でお馴染みのぺこぱである。
しかし、このスタイルが"誰も傷つけない"のならば、従来の「つっこむ漫才」は"誰かを傷つける"のだろうか?
おとなしい笑いが"誰も傷つけない"のならば、
早朝バズーカは、身体を張ったロケは、誰かを傷つけるための笑いだったのか?
新しい笑いを評価しようとするあまり、従来の笑いを否定してしまうことになるのが1つ目の違和感の理由であろう。
傷つかない…とも言い切れない!
以前ある芸人が、面白いことを言っていた。
たとえば『月が綺麗ですね』と言われたときに、『ああ、私はそんな事にも気づくことができない人間なのか』と思って傷つく人もいるかもしれない。それは人を傷つけていることにはならないのか。
と。
それぞれにそんな瞬間があるかも知れない。
たとえば、とんでもなく面白いコントを見たあとに「ああ、この人達に比べて私はなんて面白くないんだろう」と傷つく人もいるかも知れない。
ライブ会場でめちゃくちゃウケているネタを見て、自分だけがそのネタを面白いと思わなかったら、「自分は皆と笑いのツボが違う存在なんだ」と傷つくかも。
つまり、人にはそれぞれ傷つく瞬間があって、他人から見たら「そこ!?」みたいなポイントで傷ついたりする。
でもそれは個人の感性だから自由なものだ。
人にはそれぞれ「傷つく自由」があると言えるだろう。
「誰も傷つけない」というフレーズでさらに傷つく
人はどんなときに傷つくのか。
いろいろあるが、最も辛いのは"疎外感"だろう。
「みんな知っているのに私は知らない」
「こんなとこでつまずく奴、お前しかいないぞ」
そこで考えてみよう。
「誰も傷つけない笑い」で傷ついた人は、そのフレーズでさらに疎外感を覚えてしまうのではないか?
「みんな傷つかないのに私だけ傷ついた」
「こんなとこで傷つく奴、お前しかいないぞ」
追い打ちだ。
こう考えれば、「誰も傷つけない笑い」という表現に違和感を覚える人が多いのもうなずける。
じゃあ何て呼べばいいの?
もちろん、「誰も傷つけない笑い」は褒め言葉として使われる。
なにも疎外感を与えようと生み出された言葉ではない。
しかしその表現は物議を醸している。
では早急に、「誰も傷つけない笑い」に代わるマイルドな褒め言葉を見つけなくてはならないだろう。
私のアイデアはこれだ。
『すっごい面白い』
………。
私にはなんて語彙力が無いんだ。
傷つきました。
おしりんまるwwwww