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縄文の遺物「石棒」から働く意味を考えてみる


「転職しようかなって思って」
「え、この前、転職したばっかじゃない?」
「いや、つまんないし。このまま働き続けて意味あるんかなって」
友人との間でよく繰り広げられる会話。
30代に差し掛かり、より一層キャリアを真剣に考えなければならない。
だからこそ、ありとあらゆるものに疑いの目を向けてしまう。

この上司についていっていいのか。
このままの職場でいいのか。
そもそもわたしはこの方向性でキャリアを歩んでいいのか

なぜそんなことをふと思ったか。
それは、石棒クラブ主催イベント「石棒とはなにか?石棒の謎にせまる」に参加したからだ。
石棒クラブにの舞台になっている飛驒みやがわ考古民俗館では、周辺で発見された石棒1,074点のうち何点か展示されている。
石棒クラブと名乗っている以上、石棒のなぞを語らなければならないということで開催された。


「1日7時間労働を約1ヶ月行ったと言われています」
「毎日、7時間も石を叩き続けたってことですよね?」

そもそも石棒とは、男根を模した形をした石器で、儀礼や呪術的な意味を持っていたとされるものだ。

石棒が初めて作られたのは縄文時代と言われている。
石棒は、建物の外と中、さまざまな場所で発見されている。その大きさも時代によって変わっている。
4500年前には1メートルを超えるものが見つかっているが、3500年前になると50センチ程度の小さなものになっている。なぜ小さくなったかはわかっていない。
「石棒は持ち運びが容易なポータブルなものになったとか?」
「もしかして、個人のお守りとして持ち歩かれたのかも!」
と、妄想が広がる。

しかし、石棒が小型化したとはいえ、広く普及したわけではない。わずか8つの遺跡にしか見つかっておらず、遠い所で富山県だ。
他の塩屋の遺物は、秋田県で見つかっている。
「もしかして、石棒には魔力があると考えられており、それが届く範囲が富山県までなのかも!」
とか、妄想が激しくなる。

謎が多い石棒だが、わかっていることは1つの石棒をつくるのに多くの労力が費やされたということ。
「なんか単純作業をずっと続けてると無になるんですよね」
実際に石棒づくりを体験したメンバーが言っていた。
そうか、ただの作業ではなく、その過程には無我の境地に至るような時間も含まれていたのではないだろう。
いわゆるマインドフルネス。
剥離や研磨を繰り返す中で、作業者はある種の座禅のような状態に入っていたのかもしれない。無になる時間、それは現代の私たちが忙しい日常の中で忘れがちな、心を整える貴重な時間だ。

石棒とは、単に儀礼のための道具だったのだろうか。もしかすると、石棒を作ることそのものに大きな意味があったのかもしれない。長い時間をかけて、一心不乱に石を削り、磨き上げる過程にこそ、縄文人たちの精神が宿っていたのではないか。作ることに意味があったと考えると、石棒は単なる道具以上の存在となる。

働くことにおいても、私たちは結果だけでなく、その過程を大切にすることが必要だ。無我夢中で何かに取り組む時間、その中で自分自身を見つめ直すことができる。現代の私たちも、縄文の人々から学び、働くことに対する姿勢を見直すべきかもしれない。

働くとは、無我夢中であればいい。その中でこそ、本当の意味や価値が見えてくるのだから。

👇石棒クラブのX


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