見出し画像

『ひとり』もいい

一冊の本との出会いがそれまでの習慣や価値観を変えてしまうことがある。

私はずっと『ひとり』でいることが苦手だった。
特に子どもの頃は『ひとり』というのは当時の自分にとって寂しいだけでなく、みじめなことですらあったのだ。
その思いは集団登校時の、一人っ子できょうだいのいないことにより感じる疎外感が始まりだったのかもしれない。

だから人に誘われることには大抵応じる、今思うとそれはそれで楽しかった部分もあるけれど、断われなかったのは『ひとり』になるということは私の中で『孤立』を意味するものだったからだと思う。そしてその『孤立』は子ども心に絶望的な恐れをいだかせた。『ひとり』を避けるその習慣は大人になって仕事についてからも変わらなかった。

休みの日には『ひとり』にならないよう誰かと会う予定を入れ、平日の夜は友達との長電話...
でも、心の中ではそんな自分の気持ちの弱さが虚しくもあり、またその依存性にも気づいていた。

明日が休みという夜、実家に帰っていた私はふと本棚の隅にあった林真理子さんの著書『幸せになろうね』という本に目がとまった。タイトルに惹かれてパラパラとめくって読んでいるうちに、だんだん目が覚めていくような感覚に襲われる。

林真理子という女性は、なんてしたたかな人なんだろう!(もちろん良い意味で)


人間はある程度の年齢になったら、親のにおいを切り捨ててしまうのが賢い方法ではないか
   〜林真理子「幸せになろうね」出典


親の思惑を必要以上に気にしながら、無邪気を装ってそれに依存している自分に言われている気がした。



女は一人で食べる食事こそ金を使わなければいけない。女が上等な企みをもつためには、やはり上等な店に行かなければいけない。まわりに気を遣いながら、シケた店でモソモソ食べていたのでは、絶対に明るい思考はもてないのだ。
  
 〜林真理子「幸せになろうね」出典



これは会社で仲間外れにされたOLが「ランチを一人で食べるハメになったら」という章で書かれた林さんの持論である。

職場で同僚女性達とうまくいかなかったら、それはもう悲劇でしかない。バカバカしいことに思われるかもしれないが、仲間から外され一人で昼食をとるハメになるというのは人によっては少なからぬ精神的ダメージを負うだろうと想像する。
でも林さんのエールを読むと『ひとり』になることもそれほど悪くないような気がしてくるから不思議だ。


次の日の休日、私はひとりで街外れの丘の上にあるレストランへランチに出かけた。太平洋を一望できるそのお洒落なレストランのメニューは、私にとってはどれも少しお高めだ。

ひとりでゆっくり食事をしながら海を眺める。
誰かとの会話に気をつかうこともなく、静かなクラシック音楽と共に過ぎる時間。
同じようにひとりで文庫本を目で追いつつコーヒーとケーキを楽しむ女性の姿に安堵感を覚える。

画像1


私はなぜ『ひとり』になることをあんなにまで恐れていたのだろう。
上等な企みこそないが、初めて『ひとり』で過ごせたあの休日の清々しさを、私は度々今でも思い出すのだ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?