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リヒャルト・シュトラウスの音楽はなぜ(私にとって)退屈なのか 新国立劇場の「サロメ」

【指揮】コンスタンティン・トリンクス
【管弦楽】東京フィルハーモニー交響楽団

【演出】アウグスト・エファーディング
【美術・衣裳】ヨルク・ツィンマーマン

【サロメ】アレックス・ペンダ
【ヘロデ】イアン・ストーレイ
【ヘロディアス】ジェニファー・ラーモア
【ヨハナーン】トマス・トマソン
【ナラボート】鈴木 准
【ヘロディアスの小姓】加納悦子
【5人のユダヤ人1】与儀 巧
【5人のユダヤ人2】青地英幸
【5人のユダヤ人3】加茂下 稔
【5人のユダヤ人4】糸賀修平
【5人のユダヤ人5】畠山 茂
【2人のナザレ人1】北川辰彦
【2人のナザレ人2】秋谷直之
【2人の兵士1】金子慧一
【2人の兵士2】大塚博章
【カッパドキア人】大久保光哉
【奴隷】花房英里子

新国立劇場で「サロメ」を観てきました。

初めて観る。リヒャルト・シュトラウスのオペラも初めて。
CDでもリヒャルト・シュトラウスのオペラはほとんど聴いたことがない。

ゼッフィレッリの「アイーダ」があまりにも素晴らしかったので、今年はオペラ再開眼の年になった。
次回の「ラ・ボエーム」も未見なので、安い席が取れたら行ってみたい。
何しろ主要オペラの大半を観てないので、傑作と初見で相対するのが面白くて仕方ないのだ。

結論から言うと「サロメ」はかなり退屈した。
1時間40分の作品だが、冒頭20分で飽きてしまったと言ってもいい。

一番の原因はリヒャルト・シュトラウスの音楽。
私はバロックと古典派が一番好きで、ロマン派はどちらかというと苦手。
リヒャルト・シュトラウスで好きなのは「メタモルフォーゼン」くらい。
最近、ノット/東響の「ドン・キホーテ」とラトル/ロンドン響のオーボエ協奏曲を聴いたが、どちらも退屈してしまった。

「サロメ」は後期ロマン派の爛熟したムードの旋律が連綿と続くが、いかんせんメリハリに乏しく単調に感じる。

私はヘンデルのオペラが好きだが、リヒャルト・シュトラウスとは対極な世界と言ってよい。

ヘンデルのオペラはアリアとセリフが完全に分かれていて、アリアもダ・カーポ・アリアと呼ばれる同じ旋律の1番2番を繰り返すもの(2番は即興で変化をつける)。

「サロメ」はセリフだけのシーンがなく、ずーっと音楽が流れている。その音楽が同じに聴こえる。
ブルックナーのスケルツォ以上に退屈に感じた。

しかも、オケの音がうるさい!と思ってしまった。
トリンクスの指揮は清潔感はあるが、退廃美や背徳感には乏しかったような。
おそらくCDではもっと爛熟したおどろおどろしい「サロメ」もたくさんあるだろう。

ワンタッチ式の水筒のような地下牢の蓋。演劇なら鉄格子にしそうなものだが、ガラス張り? 空気孔はいったいどこ?

ヘロデの宮殿はモンゴルのゲルに見えた。

サロメの踊りの振付がダサい。

ヘロデが貫禄不足に感じた(テノールだから声が高いせいもあるのかも)。

第4場の神学論争は唐突で意味不明だった。どういう文脈なのか、原作を読んでないのでわからない。

腰紐を振り解いたのち地下牢に戻るヨハナーン。地上にはみ出したままの腰紐を地下牢の中に放り投げてから「蓋」を閉める兵士。
こんな演出では笑っちゃうよ😂

100分が異様に長く感じた。この曲調で4時間やられたら最後までいられなかっただろう。

サロメ役とヨハナーン役はよかった。踊ったあとのサロメに家来が水を飲ませていたが、一般的な演出でもそうするのだろうか?(たしかに喉が渇きそう)
ヨハナーンは不気味な感じがよく出ていたと思う。声も渋くて良い。

ヘロデがサロメに「何が欲しい?」と言う場面やヨハナーンの首を所望されたあとに「○○はどうだ?」と言う場面があまりにも冗長に感じた。
台本のせいなのか、歌い手の問題なのか……

帰りの電車でヘンデルの歌劇「ジュリアス・シーザー」のクレオパトラのアリア「難破船が嵐から」を聴いてホッと一安心😅

ちなみにこんなのです(お気に入りのダニエル・ドゥ・ニースで)。

さすがにこんな変な振付では白けるが、「サロメ」とは全然違う世界でしょ?笑

D・スカルラッティとマーラー並みに違いますね😅

こっち系が好きな私にはリヒャルト・シュトラウスの音楽はキツイ😓

バロックや古典派の「形式感」や「様式感」が好きなので、メリハリのない音楽が延々続くのは疲れます🥱

苦手な人も多いエルガーの交響曲第2番は私は好きですが、「サロメ」はあれを100倍くらい冗長にした音楽に感じましたね。

一言、キツかった!😅

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