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まるでラトル/バーミンガムのようなカーチュン・ウォンの「シンフォニエッタ」

サントリーホールで日本フィル定期を聴いた。

ミャスコフスキー:交響曲第21番《交響幻想曲》嬰ヘ短調 op.51
芥川也寸志:チェロとオーケストラのための《コンチェルト・オスティナート》
【ソリストのアンコール】バッハ:無伴奏チェロ組曲第3番からサラバンド

ヤナーチェク:シンフォニエッタ

指揮:カーチュン・ウォン(首席客演指揮者)
チェロ:佐藤晴真

客席は5割くらい。上野では山田/都響のオール三善晃、川崎ではノットの「エレクトラ」の日なので、ディープなクラオタはそちらに流れたのだろう。

カーチュン・ウォンを聴くのは4回目。マラ5、エロイカ、オケコンに続いてである。

在京オケのシェフではノットと高関健も好きだが、ノットのマラ6と高関のオネゲルは見送った。
というのも、ノットと高関が「いい指揮者」だということはもうわかったので、「よくて当たり前」の領域に入ってしまったからだ。

演奏会に行くからには何か新鮮な驚きがほしい。そういう意味でカーチュン・ウォンほど適任の指揮者はいない。

今秋のマラ3が楽しみで仕方ないが(大好きな曲なのだ)、その一つ前の定期である今回もカーチュンの新時代の幕開けを感じさせるものだった。

ミャスコフスキーはCDでも聴いたことがなかった。初聴きである。
こういう場合、「予習」をしていくクラオタが多いが、私が予習嫌いなのは何度も書いている通り。
Wikipediaで曲の知識は多少仕入れるが、実際に聴いたりはしない。
だってクラオタ歴25年でいまだに聴いたことない作曲家を生演奏で初めて聴けるのに、なんで事前に聴いてくの🤣
美味しいとんこつラーメン食べに行くのに事前にとんこつラーメンの有名店を食べ比べするのに等しい(違いますかね?😅)
私にとって驚きが最優先。クラオタが好きな「演奏の比較」は二の次なのである。

ミャスコフスキーはそれほど違和感なく聴けた。
意外と耳馴染みはよかったが、誰かに似たスタイルかというと思いつかない。そういう個性があるのがすごい。
単一楽章の曲って楽章間のゴホゴホがないから最後までテンションが切れずにすみますね。
音楽の感想は何とも言えないが、驚いたのはカーチュンの指揮が洗練されていたこと。以前はどじょうすくいに見える場面もあったが(欲しい音を出すためには泥臭さを厭わない指揮だった)、今日は欧州の第一線で活躍する指揮者のような落ち着いた余裕のある指揮ぶりだった。

芥川也寸志も「交響三章」を聴いたくらいでほとんど聴いたことがない。
チェロの佐藤晴真は難関のミュンヘン国際コンクールで優勝した逸材で、ドイツ・グラモフォンからCDデビューもしている。

電子楽譜を用いて。電子楽譜ができたから、ベートーヴェンやモーツァルトのような古典でも活用する奏者が出てくるかもしれない。
クナッパーツブッシュはスコアを見ながら指揮してる意図を問われ、「私はスコアが読めるからね」とニヤッと笑ったらしいが、暗譜が「必ずしも必要でない名人芸」なのだとしたら楽譜を見ながらの演奏も悪くない。

「オスティナート」が同じ音型の繰り返しというのは演奏会直前に調べて知った😅
たしかに執拗に同じメロディが繰り返され、ダイナミズムを感じさせる曲調だが、色彩感に乏しい曲で単調に感じなくもなかった。

佐藤晴真のアンコールがすごかった。「またバッハ?(アンコールの定番すぎる)」と最初思ってしまったが、ゆったりたっぷり歌って、倍音なのか楽器が朗々と響く。
フルニエのような王道的な気品も感じるし、テナーサックスの清水靖晃が鍾乳洞で録音したCDのような超スローでヒーリング的な雰囲気もある。屋久島の森の中で響いているようだった(行ったことないけどね😛)。
先日の上野通明と違って、この人は本物だと感じた。上野さんのバッハは若かったが、佐藤さんはすでに巨匠の域だ。

ヤナーチェクを聴くのは2回目。ネトピル/読響で「タリス・ブーリバ」を聴いたことがある。
「シンフォニエッタ」は村上春樹の『1Q84』が発売されたときに初めて聴いた。セルだったかな。

冒頭の東洋風のファンファーレが有名だが、カーチュンはP席の後ろに金管奏者を立たせて吹かせていた(これは特殊な演出ですかね?)
トランペットが両端に3人ずつ、中央にトロンボーンが5人と大規模な金管群が並んでいるのに気づかなかったので、指揮が始まってからその迫力に圧倒された(ちなみに舞台上にもトランペットは3人いた)。

日本のオケはどうも金管が弱く感じるが、カーチュンの棒で奏でられる金管は毎回実にのびのび吹いている。奏者を萎縮させないテクニックがあるのだろう。

これもまた初めて聴くに等しい曲だったので各楽章の詳細な感想はないが、オーケストラの緊密な連携を感じた。
今日のコンマスは田野倉雅秋(田野倉さんを聴いたのはあまり記憶にない)。オケがのびのび弾いている大きな要因はコンマスでもあったろう(先日の紀尾井ホール室内管とは大きな違い)。

第5楽章の後半で冒頭のファンファーレに回帰したあたりから胸がじーんとしてきた。
その後の弦楽合奏も相まって、本当に美しいものを見たという心境。山並みに沈む大きな夕日を見たような。

今回は3曲ともフライングブラボーがなかったのが素晴らしかった。
そこはよかったが、周りでプログラムを読む人が多発。
なんでこんなマニアックなコンサートに来た?😅
コンサート選びましょう。もっと耳馴染みのいい名曲コンサートありますよ。

来たからには「郷に入っては郷に従え」で退屈してても静かに聴いてほしいものだが、本人はプログラムめくりながら聴くのは解説読みながら絵画展回ってるのと同じ感覚なんだろう。

見るからにつまらなそうで同情するけど、来た以上は心頭滅却して聴いてほしいもの。幼児じゃあるまいし、退屈だからといって頻繁にプログラムめくったりして音出さないでほしい。
プログラムに書かれたマナー項目に演奏中にプログラムめくる行為は入ってないけど、各オーケストラはどう思ってるのだろう。静かにめくればかまわないって認識なの?

愚痴めいてしまったが、せっかく来たのなら読む行為に逃げないでがっつり聴くのに専念してみてほしい。
指揮者やソロを吹いてる奏者を見たり、自分なりの楽しみ方を見つけてほしい。
近くでプログラムめくってたG様はヤナーチェクの第4楽章あたりになって急にゾーンに入ったようで、集中力が増したのを感じた。それからは今までより真剣にオケを見ながら聴いていた。

難解なプログラムだったけど、せっかくコンサートに来てくれたのだったら「また行きたい」と思ってほしい。クラシック好きでもCDで聴くだけでコンサート行かない人も多いだろう。だからコンサートに足を運んでくれるお客さんには感謝したい。
2時間ずっと楽しめなくても、5分でも10分でも心からワクワクしたり感動したりすれば「また行きたい」となるはず。G様もそうであってほしい。

カーチュンはカーテンコールでパイプオルガンの手前の金管群、ティンパニの順に立たせた。
フルート首席の女性奏者に対しては駆け寄って握手を求めていた。
弦楽部はまとめて立たせる指揮者が多いが、5部別々に立たせた。この辺は人心掌握の巧さを感じる。

先日配信で見たコバケン/日フィルの「エロイカ」では前後左右にお辞儀させられる楽団員がやや困惑気味に見えたが、今日の楽団員はみないい顔をしていた。
解散後に握手し合っている楽団員も多かった。

今日のカーチュン・ウォンを見ていて、バーミンガム市交響楽団の首席指揮者に就任した25歳のラトルがこんな感じだったのでは、と思った(カーチュンは36歳)。

ノットや高関はもう安定している名匠。カーチュン・ウォンは伸び盛り。これから何をしてくれるのか、期待しかない。
インキネンもいい指揮者だったが(日フィルでシベリウスを聴いたことがある)、カーチュンを捕まえた事務局は先見の明があった。

翻って日本の政治は将来ワクワクするような要素がまったくない。今より悪くなる予感しかしない。
国民が政治に当事者意識をもって、投票に行き、みんなで国をよくしようとしたら、統一教会なんかすぐに追放できるはず。

カーチュン・ウォン/日本フィルのような、将来にワクワク感の持てる国であったらどんなに素晴らしいかと思わずにはいられなかった。

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