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夫と私の理不尽葛藤記

イベントがあったある日、子ども達が寂しい思いをしないように私にできることを精いっぱいのことをやった。
子ども達も楽しいねとニコニコしていた。
ワンオペが続いた2週間、私には休日はおろか、一人になれる時間すらなかった。
そのためメンタル的に余裕がなかったのは認めよう。
だけど、夫の様子を見てひどく虚しくなってしまったときのお話である。



■子育ての主体は私……だけど

私が懸命に子ども達に楽しんでもらっていた理由は、夫のプライベート時間を捻出するためじゃない。
私が「さぁごはんを作るか」、と重い腰をあげていたとき、夫は同僚と美味しいお肉を堪能していたという。
その日の朝、確かに彼は今晩のごはんはいらないと言っていたが、仕事だから行かなきゃいけないの一点張りで、理由をきちんと説明されていなかった。気まずさゆえに誤魔化したのではないかと勘ぐりたくなる。
彼が行ったのはどうしても行かなければならない接待などではなく、ただの同僚とのごはん会だった。
金曜の夜でもない、ど平日に。
それって絶対出なければならないの?と思わず口に出しそうになった。

逆の立場なら「すみません、子ども達が待ってるんで~」と断る自分の姿が余裕で思い浮かぶ。
仕事で外せない用事だというから、こちらは了承したのだ。
話が違うんじゃないか?

家で子ども達に食事を提供し、宿題を見て、お風呂に入れてという一連の流れは、子どもの成長に伴いうまくいく日もあれば、予想の斜め上レベルでうまくいかない日もある。これでもかと振り回されて心がささくれ立ってくる。
キラキラエネルギーの塊二人をカサカサパワーの大人が一人で相手しているのだ。疲弊は当然だ。

あなたが美味しいお肉を頬張っている間、妻である私は何をしていたと思います?
あなたが外で美味しいお肉を食べる約束を、いとも簡単に取りつけられるのは、私が家で必死に子ども達と向き合っているからですよ?
帰ってくると「遅くなった」といけしゃあしゃあ言い放ち、衣服から香ばしい匂いを漂わせ
「もう寝るんだね、おやすみ~」と至極簡単に声をかけてくるのは腹立たしく、そして虚しさがじわじわ噴出してきた。


■この不平等感は何?


以前からそうだった。私は子どもがいるという理由で忘年会やら飲み会やらにほとんど参加してこなかった。自分自身で決めたことだから、夫も同じようにするべきとはもちろん思わない。だけど一瞬くらい、出席か欠席かを頭の中をかすめてはいいのではないだろうか。
そして、飲み会に行ってきていい?と聞くのもやめてほしい。
「どうぞ」と言うのもシンドイし「行かないで」と言うのも自分の心の狭さが吹き彫りにされて嫌なのだ。
できれば自分で考えて処理して、こちらには何の痕跡も示さないでほしい。
というのは無理な押し付けなのだろうか。


■これってやり過ごすべきことなのか


夫に不満に思っていることや、ワンオペママが困っていることを面白おかしく動画にまとめているのを最近よく見かける。
「分かる分かる!」と楽しむ一方で、誰もが理不尽さを感じているのに、私たち妻は笑ってやりすごし、みんな一緒だね、頑張ってるよねと励まし合って、なし崩しにこのまま進んでいくのかと思うと不安と疑問を感じる。

『子どもが好きなのはママ』
という絶大なる信頼を手にし、自分の機嫌は自分で取らなきゃねと、私たちは明日ばかりを見なくてはいけないのだろうか。

世の中の余裕のなさを私たちが吸収して、サンドバックにされているような気がしてならない。それが女の役割だと昭和臭をプンプン漂わせたおじさんたちから指を指されている気がする。

個人の感想だけれど、共通の思いをしている人はたくさんいるように思う。
もう、各々が頑張って処理するのは難しいことなのではないだろうか。女性はこんな風に生きていくべきなのよ、と娘達には絶対伝えたくない。このほころびはどこかで突然、どうしようもないレベルで爆発するんじゃないか。だって無理をしているママばかりだから。

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