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『道徳形而上学原論』要約

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第三章 道徳形而上学から純粋実践理性批判への移り行き 140-177頁

自由の概念は意志の自律を解明する鍵である 意志は有限的な理性的存在者に属する一種の原因性であり〔自由〕はこの種の原因性、すなわちこれらの存在者を外的に規定する原因(自然法則)に関わりなく作用し得るという特性である。

 それだから意志の自由が前提されれば、自由の概念を分析するだけで、そこから道徳性がその原理ともども出てくることになる。しかし道徳性の原理は、「絶対に善なる意志はその意志の格律が普遍的

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第二章 その他Ⅴ 129-139頁

道徳性の最高原理としての意志の自立 意志の自律は意志の特性であり、意志はこの特性により自分自身に対して法則となる。

 理性的存在者の意志が自律の原理により制約されるということは、この原理のなかに現れる概念を分析するだけでは証明できない。この原理は綜合的命題だからである。

 すると我々は、客体の認識を超えて主体すなわち純粋な実践的理性の批判に進まねばならないだろう。必然的に命法するこの綜合的命題

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第二章 通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行きⅣ 112-128頁

 およそ理性的認識は、各人が常に自分の格律により、自分自身を普遍的に立法するものと見なさねばならない。そしてこの観点から自分の行為を判定すべきであり、このような理性的存在者の概念は、この概念と緊密に関連する概念すなわち〔目的の国〕という概念に到るのである。

 私は国というものを、各々の相異なる理性的存在者が共通の法則によって体系的に結合された存在と解する。この場合に法則は、その普遍的妥当性を建前

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第二章 通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行きⅢ 98-112頁

 実践哲学において我々が問題とするのは、生起するものの根拠を突きとめることではなく、生起すべきものの法則を確認することである。

 それだから実践哲学においては、或るものがなぜ我々に気に入るのか入らないのか? 快・不快の感情は何に基づくのか? この感情や傾向からなぜ格律が生じるのか? 等という理由を考究する必要はなく(このような事情はすべて経験的心理学に属する)我々がいま問題にしているのは、客観的

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第二章 通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行きⅡ 64-98頁

 ここからカントは〔命法〕という概念を持ち出す、ー実践的規則は、有限的な理性的存在者に対し(理念だけが唯一の規定根拠ではないため)命法『べし!』により客観的強制を表現する。〔命法〕は客観的に妥当するものであり、主観的原則としての〔格律〕とは異なる。

 およそ命法は、定言的に命令するか、それとも仮言的に命令するか、二つのうちのいずれかである。

 〔仮言的命法〕は、我々が行為そのものとは別に欲して

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第二章 通俗的な道徳哲学から道徳形而上学への移り行きⅠ 51-64頁

 或る行為が、それ自体としては義務にかなっているにせよ、その行為の格律が道徳的根拠と義務の表象に基づいているという事例を経験によって立証することは不可能である。

 なぜなら、道徳的価値は行為そのものより、むしろ行為を規定する内的原理が問題となり、行為は我々に見えるが、しかしその行為の内的原理のほうは見るわけにはいかない。

 ※例えば、街角で募金する人の行為の内的原理が傾向性からか義務からかは我

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第一章 道徳に関する普通の理性認識から哲学的な理性認識への移り行き 22-50頁

善意志 我々の住む世界や世界の外においても、無制限に善と見なされ得るものは〔善意志〕のほかにまったく考えることができない。

 知力、才気、判断力、精神的才能(勇気、果断、目的遂行における堅忍不抜等)が色々な点で善いものであり、望ましいものであることは疑いないが、しかしこれを使用する我々の意志が善でないと、上記の特性は極めて悪性で有害なものになり兼ねない。

 この事情は幸運の賜についてもまったく

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