呪文「今日のお昼なにが食べたい?」を唱えた後にアイテム探しをしてみると、意外にしっくりくる答えが見つかった
わたしたちは料理研究一家です。
そう名乗って活動を始めて早8年。家族で「くらしをなりわいに」と取り組んでこれたのも、日常を楽しめているからだと思います。
夫婦という切り口だと結婚して12年目に突入。お互い料理好きで出会ったものの、妻マミィの料理は本人が楽しみつつ継続した結果、身内ながらすごいなと思うことばかり。
今、きっと多くの方がおうちで過ごして直面している問題は「ごはん何つくろう・・・?」ではないでしょうか。
私たちも同じく「ごはん、どうしようかね?」という会話がよく出ます。繰り返すうちに、献立の決め方について色々と発見が増えました。
無限のレシピと思えるほど毎日料理をするマミィの様子を、夫として観察もする中で気付いたこと、料理を楽しむヒントを記録していきます。
おうちで過ごす時間が増える中、ひとりでも、家族とでも、日々の食事を楽しめるきっかけにつながれば嬉しい限りです。
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「お昼なにが食べたい?」と聞かれて食べたいものを即答するって意外と難しい。
本当に今日のお昼、今だけを考えているわけではないからだろう。「昨日の昼は・・・」となれば、同じ内容を避けたいと思うのが人情。
「今日の朝ご飯は・・・」「今日の夕飯は・・・」と少しでも思考を広げて、ある程度はワガママに考えたとして、作ってもらう立場としては手間をかけさせると悪いし、自分にできないことばかりお願いするのは自分だってされたら嫌だし。
少し悩んで出た言葉が「何でもいいよ?」だと、それが1番困るんだよねっていう料理経験者なら誰もが思うこと。
それなら悩みを楽しんだ方がいい。
つまり、自分の胃袋は何を求めているのか、満足のラインってどこなのか探偵ごっこにでもして楽しんでしまおう。
そのためにはまず情報収集をしないとだ。何でも気分で決めればいいと言うのは簡単で、大人になっていくと何でも気分では決められないし、気分で決めることに罪悪感すら感じる。
逆に「これだ!」というほどでなくとも「これで全然いいじゃない?」とほどほどで喜べたりするのも強み。
古川家ダディとマミィは娘の献立表を発見した!
で、まず目に入ってくるのは娘の給食。お昼に和洋中のどれなのか分かるだけでも大きい。
今日のお昼を絞り込む条件が見えてくる。例えば・・・
・給食が洋食なら、夕食は和食か中華
・給食の主菜が米なら、夜は麺かパン
古川家では、朝食にパンを食べることが多い。朝にパン、昼に麺だと小麦が続くから夜は米にしようか・・・そう、朝ご飯を振り返って、主菜を食事ごとに変えようという自分ルールがあるだけで、結構なところまで絞り込める。
給食とおかずや主菜がかぶらないようにするだけでも、結構なヒントを入手できる。
さくせん「お昼しっかり夜軽め」
何でも娘中心というわけでもないのだけど、無視はできないし自分たちも楽しみたい。
あえて給食にフォーカスして意外と気をつけないといけないのが「おかわり」の存在である。
特に人気メニューであるカレーだった日。
自分の小学校時代を思い出しても、給食のカレーは特別だった。飲み物だといわんばかりに普段はおかわりしない児童すら、我先にと列を成していた記憶がよみがえる。
時代も環境も変わったが人間は変わらない。うちの娘も例外ではなかった。
夕飯は1日の中でも、かなり楽しみな時間なのだ。妻も腕をふるってくれるし、できれば万全の状態で臨みたい。
しかし思いとは裏腹に娘から「あんまりお腹すいてなくてさー」などという破壊の呪文が出た日は給食がカレーと相場が決まっている。いや、帰ってきて早々おやつも食べたからでしょというツッコミはあるのだが。
さぁ夕飯だとがんばって準備していたのに、この呪文は作っている側からすると相当なダメージである。せっかく作った料理をあんまり食べてくれないことが確定するからだ。
給食の献立を事前に確認するだけで、このあまりにも悲しい事件を未然に防げるなら、料理プランの変更はかすり傷だ。(成長したのか、そういうトラブルも大分なくなった)
かといって育ち盛り。給食の後に体を使った授業があったりすると、お腹がすく場合も。
大人は食べる量の調整ができる。育ち盛りはそうも行かない。じゃあ、どうするか。
さくせん「お昼しっかり夜軽め」である。
お昼は夜を前提に決める。なんなら同じくカレーにしちゃってもいい。その分、夜のおかずはストックものにする。
きんぴら、おひたし、蒸し鶏など古川家にはストックに回しやすくて家族みんな大好きなレシピがある。
給食とかぶらないものをチョイスして、お腹のすき具合を見ながら出す量を調整できるし、思ったより食べたら残った具材で作れるものを次に回す。
慣れてくると、マミィとはこの辺で合意をとれることが多い。
しかし給食が常にあるとは限らない・・・学校がない日はどうするか。むしろ、そんなアイテムがそもそもない人は?
始末の心でおいしいうちに食べたい
情報は集まってきたが、なかなか決め手がない。
普段、冷蔵庫はシェフであるマミィの管轄なのだが、もうちょっと情報が欲しいときは自分でもその扉を開ける。
ストックに余念のないシェフなので、何かしら食材はある。何もなければ買い物が必要だと教えてくれるので、また別の判断もできる。今だと食材はあるけど決まらないから悩んでいるのだ。
もったいないお化けではないが、食材は大切にしたい。
食材を無駄なく余すことなく、始めから終わりまで楽しむ心が始末。
食材タイマーが赤く点滅してるものはないだろうか?賞味期限が近いもの、消費期限が近いもの。
消費期限は過ぎると危ないので最優先。賞味期限はまぁ、ちょっとぐらい過ぎても問題なし。味も対して悪くならない食べ物の不思議。
封を開けたら早めに使い切らなければいけないのは、もやし・牛乳・お肉あたりか・・・冷凍しそびれたものがあるなら使ってしまおうか。
何にもない、どうすればいいか分からないと思っていても、ちょっと視点をずらせば違ったヒントが見えてくる。
とりあえず食材タイマーが赤く点滅してるものがないか、シェフに教えてもらいながら冷蔵庫の食材を眺める。煮るか、焼くか、炒めるか。特に野菜は、切り方と火の入れ方で表情がガラリと変わる。
目に見えると、自分のモードが分かってくるかもしれない。
晴れてるけど雲のせいか肌寒いから温かいものがいいなとか、視覚・嗅覚・体温と自分の体に「お前が食べたいものは何なのだ?」と問いかける。
昼をしっかりということは、さっぱりよりこってりにして食べ応え欲しいな、とか。塩味よりは味噌味とかタレ系がいいかもな、とか。そういえば、ストックおかずだとあれが食べたいな、とか。
ほら「食べたい」が出てきた。
ここまで来ると食べる側の要求も具体的なので、後はシェフの判断に委ねたところで調理が始まるケースも。
シェフのお任せとか、なんとも幸せなご身分である。
画像検索でいい出会いがあるかも?
使うべき食材は決まった。食べ方も決まった。
さぁ、あとはどんな調理をするか。自分にいつものレシピがあるなら、それでよし。
しかし、せっかくだから違う食べ方にしたい日もある。そもそも何を作ったらいいか思い浮かばない日もある。
自分が作る側だとしたら、ここまで来ても決まらないことがあるだろう。毎日料理をする立場ではないが、もし毎日料理をしていても誰もがレパートリー豊富とは限らない。
今は便利な世の中で、GoogleとInstagramあたりに聞いてみると教えてくれる。
Googleなら複数の単語を画像検索で。Instagramなら1つの単語をキーワード検索で。
・「キャベツ 簡単」→ Googleで画像検索
・「おひるごはん」→ Instagramでキーワード検索
あとは自分で「これ、おいしそう!」「これ、できそう!」あたりで折り合いをつけてしまおう。
見た目で決めてしまえばいい。そのぐらい気軽がちょうどいいでしょ。
努力の結晶を惜しみなく公開してくださっている先人に感謝。
全力投球の速度を上げるより、長く投げ続けられる加減を覚えたい
妻が料理をしている様子は、一般家庭に比べてストイックだと思う。料理研究一家と名乗って活動するメンバーのシェフでありながら、調理の全工程を担当するのだから頭が下がる。
しかも、ほぼ毎日「今日の古川家ごはん」を更新して、いつも様々な料理を作っている。その活動も8年となればレシピ数は1000をとっくに超えている。
食べる担当からしても相当なクオリティだと思う。でも、無理はしていない。好きだからできる、というそれ自体が才能のようなものではなく、無理をしない加減が大事なのだ。
お祝い事の時は全力で作るので、燃え尽きることもある。
けれど、日々の食事は段取りを工夫して省力化しつつも、自分なりにチャレンジとアレンジを加えて無理のない範囲で楽しんでいる。
10年以上、家族のために料理をする姿を見てきているし、考え方もたくさん聞いてきているから、そこは見誤っていない自負がある。
辛い、と感じるのはどういう時かと自分を振り返ってみる。やはり無理をしている時だと思う。不向きなことであればなおさらだ。
日々の料理を作る人の声を探せば「大変だ」という声が多い。不向きなのか、無理をしているのか、はたまた両方か。
いずれにせよ、なにか不整合が起きているのだろう。
作る以上に大変なのは考えることだった
料理経験のない人は試さなくていいのだけど、家族のために1食ぐらいは作れるスキルを持っているなら、3日間だけでいいので3食をすべて作るというミッションにチャレンジしてみると発見が多い。
1日目は楽しい。何を作ろうか、とワクワクするだろう。多分、転機は2日目の昼ぐらいに訪れる。
「夕飯どうしようかな・・・あれ、ごはんのことしか考えられなくなってる」
1日3食を作るというのは、スケジュールがかなり密だ。
・朝7時に朝食
・昼12時に昼食
・夜6時に夕食
この間に買い出し、調理、食事、片付けを挟むと猶予はどれほどあるだろうか?さらに掃除、洗濯、お迎え・・・仕事との両立なんて至難の業としか思えない。
作る以上に前後の食事や個人の好み、買い出しに使える費用や食材の手に入る時期など、決定するための情報整理だけで疲れ果ててしまいそうだ。
完全分業にするのか、持ち回り制にするのか、家族全員で何かしらの配慮なり協力がなければ、あっという間に破綻するプロジェクトだ。しかも毎日である。
1日の食事を作るだけでもこれだけ考えることが多いのだ、料理が苦手・大変と思う心理も納得できる。
今日の献立が消去法で決まっていく
娘の給食というヒントに気付いた。昨日の昼は何を食べたか、朝は何を食べたかを思い出した。
ここら辺で冷蔵庫をのぞいてみる。チルド、野菜室、冷蔵庫・・・何も冴えない時は、見なかったことにしようと、そっと閉じる扉も今だとどうだろう?
さっきまでスルーだった食材が、これは早めに食べてしまおう、これは味がかぶるからこうして・・・少し、見る目が変わってこないだろうか?
こうやって食べるか、いや、こっちもいいな・・・そこまで来たら「今の気分」で決めてしまおう。
午後に用事があって時間を節約したかったり、午前がハードで少し気分転換が欲しい日もある。
外食したり、テイクアウトしたり、お湯を入れて3分で済ませてしまうのも大いにアリだ。
大切なのは、1回ちゃんと考えて食事をどうするか決められたこと。今をどうしようと悩むだけじゃなくて、過去を振り返って、未来を想像したおかげで今に発見があったこと。
消去法というとネガティブに聞こえるかもしれないが、給食の献立や前後のスケジュール、冷蔵庫の中身、近所のスーパーで買える食材と制約が多いほどアイディアは生まれやすくなる。
逆に予算自由、食材自由、なんでも手に入る、なんでも作れるだったら何を基準に決めればいいのか難しくなる。
制約が何もない。それは数回の内なら楽しいかもしれないが、ずっと続くものだと制約があってちょうど良いのだと思う。
献立は自分で決めるのでも、誰かに決めてもらうのでもなく、周りを見渡せば決まっていくもの。そんな考え方をしてみると、また違った気分で料理も楽しめる。
こうして古川家は「今日のお昼なにが食べたい?」という呪文から始まった献立作りという謎をまた一つ解き明かした。
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本編は以上です。有料マガジンですが、本編は無料ですべて公開しています。
後は古川家の舞台裏や小話を好き勝手に書いています。この記事を気に入っていただけたら、スキ・シェア・フォローしていただけると幸いです。
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料理研究一家のマミィが作る様々な古川家ごはん。いつも食べる側でもある夫のダディが見て気付いた、料理に対する考え方や楽しむコツなどを書いてい…
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