こがちゃん

誰でもスタートラインに立っていい。生まれや育ちを乗り越えようとして、一進一退する人たち…

こがちゃん

誰でもスタートラインに立っていい。生まれや育ちを乗り越えようとして、一進一退する人たちを、応援し伴走したい。千葉の海が見える街で夫と息子娘とのんびり暮らし。

最近の記事

親になって考えた「死」というもの

「こがちゃんも死んじゃう?」 昨夜寝る前の息子がふと聞いてきた。 ここ最近の疲れがたたり、身体に痛みが出たことを夫に訴えていた私に気づき、痛みがあるならば死んじゃうのでは?と思ったそう。 というのも、先月末に私は物心ついて初めてできた友達、幼馴染を亡くした。その訃報を受け、年甲斐もなく大泣きしてしまった私を彼は見ていた。 「どうして泣いてるの?」 「◯◯(幼馴染)死んじゃった?」 「もう会えない?」 「△△(幼馴染の子ども)はもうママに会えない?」 彼はたくさん聞い

    • 大切な友人の死期が迫っている

      今置かれた状況が、表題のとおり。 生まれてから初めてできた「ともだち」が余命幾ばく(数日)で、とんでもない空虚感に襲われている。 そして、自分自身も健康でいられる時間が、このままだとあと10年もないことに気付かされた。 産後(詳しく言えば妊娠中から)健康な日が1日もない。毎日どこか痛い。気分にむらがあり、健やかでない。運動なんてまるきししてない。20分歩くだけで翌日筋肉痛。ライブハウスでの2時間の立ち見は後半足の痛みで楽しめない。 恐ろしくお◯さん化している。 二重あ

      • 2つ目の目標を決めても欲深く次を

        どんどん暖かくなってきた。 春が来る。活動する気持ちも少しずつ自然に増えてきてる感じ。 さて、少し前に目標を一つ増やした。 ・レシピの幅を増やしたい 3/16に富澤商店で米粉を買って 3/17に到着(早っ そこから米粉レシピを試しまくり、一気に自信をつけてきた。 パン用の米粉いいね〜 ・パン用米粉(ミズホノチカラ) この粉に出会ったおかげで、グルテンフリーを心がけたいくせに、小麦の魅力から離れられなかった理由が少しわかった気がする。 絶妙にふわっとしすぎない感じの

        • 3ヶ月後の自分を見据えて

          1月に、目標を見直すのを四半期ごとにしたけれど、それがすこぶるいい。 忘れない。不思議。 だいぶ目標とする未来に近づいてきたので、後もう一つの柱をスタートさせようと思う。 1/19→4/19でひとつ 3/16→6/16でもうひとつ ・レシピの幅を広げたい そう思ってから、格安で新品のブレンダーを手に入れた。作ることのハードルの次にくる片付けのしづらさのハードルをブレンダーの導入で格段に下げたい。 ずっとちょっとずつ試してきた米粉メニューを思い切り試すべく、1kg×2袋

        親になって考えた「死」というもの

          大事な私の主軸

          もう一つ! 「子どものために」っていう主軸が私にはない。あったほうがいい気がしてた。周りからの目を考えると。 でも、子どもはもっと純粋な目を持っているから、「楽しそうに」見せてる世界には疑問を持つ。「楽しんでる」世界に惹かれる。 だから、「子どものために」なんてものは子どもには伝わらず、大人の自己満足にすぎないと思ってしまう。 そもそも「子ども」と「大人」の境界を作るのが嫌い。親と子っていうのは確かにある境界だけど、前者はない。忘れちゃいけない。 だから、私たちはあ

          大事な私の主軸

          フッ軽

          母子2人東京旅第何弾 ※旧友のお店や旧友と会う旅をしている 今日はおしゃれランチとカフェをした。 「好きなやつと好きな時間働きたい。」 「かっこいいじゃん。」 「楽しそうじゃん。」 それくらいフッ軽な彼の選択肢が眩しかった。 そして、私も、昔は割とそうやって選択してきたなぁって思い返してた。 社会貢献だったり、地球のこと考えたり、結果的にそうなってて、周りからしたらそれをベースに選択してるかのような、意識高い系に見られていた時期が確かに長かった。 自分ではそんなつ

          自分の弱さ

          人と自分を比べて、胸が苦しくなる みたいなのが、子どもを産んでから増えた。 もしくは、素直にそれを受け入れるようになってきた。 「人を信用する」 みたいなことに苦手意識があるみたい。 人と関わることは好きだけど、一定の距離があることに安心する。自分の話はするけど、質問されるのは苦手。 そろそろ壁をぶち破らないといけない気がしてる。昔よりもずっと強固に、嫌なものは嫌になってきたし、守るものもできた。 透けてみてくる人たちも増えた。 歳を重ね、自分の弱さが如実になってき

          3ヶ月後の自分を想像して

          今年に入り一つ、考えを改めたことがある。 それは、目標を立てるときに、『3ヶ月後の自分』を想像することにしたということ。 今までは、来年の自分だ、数年後の自分だと想像してきたけれど、結局年の始めの決め事を、暮れまで覚えちゃいやしない。そんな経験を何回もしてきた。  だったら、節目を変えたらいい。 忘れそうで忘れなそうな3ヶ月に。 さて、直近三ヶ月の目標をたてて、今あっという間に1/12が経過。  さて、今週は理想の自分に近づいているだろうか?(意識高い系みたいww)

          3ヶ月後の自分を想像して

          「NO」を増やすことで見えてくる世界

          断乳から一週間。 娘自身の頑張りと自分の身体の変化、息子の変化を感じながら、「やらないことを決める」 について考える機会が度々あった。 「YESよりNOを」 誰にでも好かれ、頼りにされたい。 そんな風に思っている自分に気づく機会が度々あった。嫌われるのが怖いとか、必要とされないのがさみしいとか、なんか色々あるんだろうけど、そういう気持ちを深堀りするよりも単純に、 (みんなに好かれるって無理じゃね?) (頼りにされてるっていうより利用されてるってこともあるんじゃね?)

          「NO」を増やすことで見えてくる世界

          2024年に毎月やること

          年が明けました。 この時期って不思議で、『今年の目標』とか大きいことを考えがち。 節目ってものを利用して「改めて」色々と問い直してるみたい。 今年やりたいな〜と思っているのは、 ・今月の目標立て ・先月の振り返り です。 12回目標立てて、12回振り返るだけっていうのをやってみたいね。 1月は ・ホストファミリーをおもてなす ・1/11を最後に退職 ・浅草観光 ・2月末に家族写真を撮る場所を決める ・ウッドデッキをつくる ・婦人科に行き、治療を始める かな。 欲張らず

          2024年に毎月やること

          ある日の母ちゃんの気づき

          おはようございます。 本日もワンオペ子育て母ちゃんのくせに、3時に目覚めてしまいました。もう7時なので子どもたち起きてきますね。昼寝なかったらどうするんでしょうね、私。 さて、ここ2日で気づきがありました。 (こんなに頑張ってるのに) (私ばっかり) (今日だけはいいよね) そんな風に、(自分)(自分)(自分)って自分のことばかり考えている、私。 ※今日はあえて戒めのように『私』やら『自分』やら綴ってみます。 ある日、職場にて、辛辣な言葉をいただきました。 少し前なら、

          ある日の母ちゃんの気づき

          不安探しはもうやめた。

          わたしは【不安探し】してるんだなぁ。 「心配だよ」「大好きだから」 「みんなが〇〇っていうよ」 そんな真っ当そうに聞こえる余計な一言を言いながら、息子が自律する一歩を重くしているような気がしてきた。 生えてきた羽を存分に伸ばそうとしている彼に、都度やかましく言っている自分に気づくと、そんな自分が嫌になる。 「百回言うのが仕事」とか、 「一回聞けばいい方」とか、 先輩ママに言ってもらったことがあるけど、 お互い疲れちゃう関係性、辞めたい。 ママたちも、そういう育て方

          不安探しはもうやめた。

          12月に始めたこと

          最近、頭の中のもやが晴れてきて、ようやく進みだした感じがしてる。 『嫌われる勇気』とか『鈍感力』とか、『自分の人生を歩む』とか『他人と比較しない』とか、なんかそういう感じの、結婚出産前から耳タコのこの辺が少し整理されて生きやすくなったような。 直近で悔しいことがあって、ひとり泣いたりとか、我が家の合言葉(勝手に)「怒りは二次感情」を口にして、夫に対するネガティブな気持ちをいくつも吐き出して(ひとりで)浄化したりとか。 なんかそういう荒波がきてた。 移住して1年が経とうと

          12月に始めたこと

          衝撃を受けた日

          いい顔を見てしまった。 それは、我が子の、とてつもなく集中し、楽しむキラキラした表情。 感動して、涙が出そうだった。 そして、(初めて見た..)というショックに近い衝撃もあった。 あんな表情ができるのに、引き出せていない自分。立場もあるけれど、でも、工夫が足りてないって思ってたからぐさっと刺さった。 どんな子どもたちでも、集中し夢中になる顔は素晴らしい。自然と涙が出そうになる。 でも、我が子のものは格別だった。もっと見ていたかった。周りの大人の余計な声掛けが気になって仕

          衝撃を受けた日

          所信表明

          やろうやろうの3年越し いよいよ重い腰を上げ、開業届を提出。 考え始めた当時もそれなりに覚悟決めてたけど、生活が一変した今、またその気持ちが一段と深くなった。 社会に出る前から生意気に、常に次世代・その次の世代のことを考えるタイプだった。 社会に出て、頑張っても頑張っても報われない人たちと関わり、また、いくつになっても努力を続ける人たちとも出会い、その気持ちは更に深まった。 「子どもたちにどんな背中を見せるのか」 この3年で、"子どもたち"に我が子が加わった。でも、

          手放した記念日

          人と話すと流されてしまう。 変わりたいと思って行動しているのになかなか変われない。 そんな自分でもいいか、って思えた記念日。 流されてしまうのは、相手の話を真剣に聞いて自分事と捉えようとしてしまうからっていうことでもあるし、 人はそう簡単には変われないんだろうね。 でも、行動を起こしていることに意味がある。自分を信じてるんだもの。 信頼している友人の、「こがちゃんのやりたいようにしていいよ。」っていう言葉ほど、私の背中を押してくれるものはなかった。 もっともっと自由

          手放した記念日