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「NO」を増やすことで見えてくる世界

断乳から一週間。
娘自身の頑張りと自分の身体の変化、息子の変化を感じながら、「やらないことを決める」
について考える機会が度々あった。

「YESよりNOを」

誰にでも好かれ、頼りにされたい。
そんな風に思っている自分に気づく機会が度々あった。嫌われるのが怖いとか、必要とされないのがさみしいとか、なんか色々あるんだろうけど、そういう気持ちを深堀りするよりも単純に、

(みんなに好かれるって無理じゃね?)
(頼りにされてるっていうより利用されてるってこともあるんじゃね?)

なんて思えてきて、ただアホらしくなってきた。周りの空気読んだり、気が利くと思われたくて動いたりする感じ。これって、正解なようで正解じゃない。

年末にドイツに住む友人と日本で再会した。
彼女はいつも凛としていてすごく美しい。
彼女を含めた友人たちとの会話の中で、自分の言葉のチープさが心地悪く恥ずかしくなった。

人に寄り添っているように見えて、承認欲求の強い自分。

それが透けていた。

今の生き方働き方もそう。
頼まれたら断れず、やりたくないことなわけではない、と言いつつ終わったあとは疲弊。
「頑張った自分」を誰かに賞賛してほしくて、その"誰か"を探したり、思ったように認めてもらえずモヤッとしたり。

今までこんな風に思ってたのかー。
って、一皮剥けてその皮見つめてる気分。

「こがちゃんって気持ち悪い。」

昔、同僚に二人きりになったタイミングでふとこぼされたことがある。その当時はギョッとした。でも、面白いと感じていた。今思えば井の中の蛙にすぎないが、その頃の私にこう言ってくる人は彼女一人だった。

彼女は「昔の自分を見ているよう。」と言っていた。前職で顔面神経麻痺になり、その職を離れその症状が落ち着き、自分を変えていった自分を思い出すと。

・NOを言える自分になる

心の中ではモヤッとしてても、愛想笑いして「YES」と言い、時間を費やしたり。
場の空気の悪さを感じ取ったら、自虐ネタで切り替えたり。

そんな風に自分を消耗するのをやめよう。

こうやって生きてきた年数分、こんなタイミングはやってくるらしいけど、今辞めなればその長さは伸びていく。

「NO」や「無表情」から生まれる機会と時間と空気感を体験してみたい。

旧友のように凛として生きたい。
元同僚のように、新たな一歩を踏み出したい。

選択を迫られるタイミングが来る度に、「NOと言える自分」に出会える機会だと思って、その経験を増やしていこうと思う。



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