親になって考えた「死」というもの

「こがちゃんも死んじゃう?」

昨夜寝る前の息子がふと聞いてきた。

ここ最近の疲れがたたり、身体に痛みが出たことを夫に訴えていた私に気づき、痛みがあるならば死んじゃうのでは?と思ったそう。

というのも、先月末に私は物心ついて初めてできた友達、幼馴染を亡くした。その訃報を受け、年甲斐もなく大泣きしてしまった私を彼は見ていた。

「どうして泣いてるの?」
「◯◯(幼馴染)死んじゃった?」
「もう会えない?」
「△△(幼馴染の子ども)はもうママに会えない?」

彼はたくさん聞いてきた。

闘病していた友人の元に、私は息子を連れて行ったことがある。その時は努めて明るく振る舞ったものの、帰宅してどっと疲れを感じ、その時も声を殺して泣いていた私を、彼は見ていたのかもしれない。

息子も、カブトムシや蚊、ダンゴムシや蟻を殺め、「死んじゃう」ことの意味は少しわかっていたと思う。でも、泣くようなことではなかったと思う。

それが、SNSではかつて話題になった◯ぶみの「ママがおばけになっちゃった」(題名不確か)を読んでしまい、「人は死んだらおばけになる」と思ったそう。

そのあと、いつも通りダンゴムシを殺めていた息子に、息子の友人ママが「夜になったらダンゴムシのオバケが来るよ!」と言った。

そこですべてが繋がったようで、明らかに顔つきが変わった。

死んだダンゴムシは動かないことがわかる。
ママも死んだら動かないのではないか?
〇〇はもう動かない?
病気になったら死ぬ?動かなくなる?

頭の中が疑問でたくさんになった息子が、2日ほどの時を経て、私に冒頭の質問を聞けた。そして大泣きした。

「病気になったとしても、治ることもある」
「病気になってても、息子と遊べる」

そんなことを伝えながら私は息子をたくさん抱きしめた。

彼は、母のただならぬ雰囲気から色んなものを感じ取り、頭の中で整理しきれず、誰かに聞きたいけど誰もきちんと教えてくれない。

そんなことを経験していように感じる。

9月に4歳になる息子からは学ぶことばかり。
私もまだもう少し一人の身体じゃなさそうだから、養生しつつ彼の成長を見守りたいと思った出来事だった。

〇〇、愛してるよ!
もうしばらくあとになるけど、また遊ぼうね!!!!!

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