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庶民からの挑戦!離婚して3歳児育てながら無職浪人からのシングルマザーの最後の挑戦で司法試験に合格した物語☆共同養育に支えられたチャレンジあってこそ、自由面会交流・養育費回収100%があっても、まだまだ子どもの幸福(しあわせ)には足りなかったから言える!!『共同親権民法改正が必要だ』~共同親権弁護士爆誕秘話☆

共同親権dayあれこれ発見する


不意に、受験生時代を思い出した

共同親権弁護士RKは、2012年の司法試験に合格した

旧司法試験に挑戦し始めたのが平成14年、2002年というわけだから、10年かかってるwww

本当は、大学受験のとき迷走して物足りなかったりした”受験”を予備校に通って全力疾走して、最短で結果だそう~くらいのノリで始めたはずだったんだけど・・・

にしても、情弱だった

他学部で、予備校の煽りには巻き込まれていくけど、実は司法改革があって法曹増員でも旧司法試験は廃止され、ロースクールに入学しないと受験資格さえなくなる、ということさえ知らずにスタートしてしまった

地方出身の両親は転勤族の一般サラリーマン家庭で、親族に法曹関係者は皆無

ちょっと法律っぽい話は好きというだけで、専業主婦だった母は、娘の私に法曹が似合うかのように思い描いていたみたいだけど、あんまり露骨に勧めるとひねくれものの娘が素直に目指すわけがない、という計算もあったのか???そう強い指針を示されたわけではなかったけど、でも、まー時間がかかったとはいえ、結局は、母の想うとおり?弁護士になったわけだ

母に助けてもらったのは、予備校に通う際のお弁当づくりとか、あと励みになるお言葉を新聞で見つけたら教えてくれるとか、終盤は子育てしながらの受験生になったときは、それはそれは、本人が時々投げ出すほどに、よくサポートしてくれたけど。。。受験の相談とかできるわけはなく

親ながら、よくもそこまで、っていうくらい尽くしてもらった受験時代である

父は父で、お金の面はとことんサポートしてもらった

庶民ではあったけど、両親若かったので、なんとかなった

20代で親になっておくの、大事

いろいろあったことは過去記したことがある

最短司法試験チャレンジをしようとして、すぐ、頓挫してしまった

女は勉強できてもしょうがない、女の幸せを考えよ、みたいなのが、大好きだったおばあちゃんの本音だったかもしれない

そうね、最短で合格して早々に弁護士になっていたら、仕事が楽しくって、って子育てが後回しになった、みたいなif世界があったりして。。。

あっという間に三振してさまよっていると、教育学部時代の同級生は結婚ラッシュでベビーラッシュ、幼なじみも早々に結婚したりした

結婚に絶望を覚えた家族法の学び

結婚がヤバイ注文したました

司法試験を目指そうとしたのは予備校の煽りもあって、という面はあるけども、もっと根源的にはいろいろある

教育学部に進学したのは、不当な校則とかイジメ問題とか学校問題に向き合いたくて、単純に教員志願という発想もあったわけだけど、でも、そういうの、中にいて解消できるわけがないということも、様々な学校系バイト(移動教室に引率とかある)してみて察するわけである

そういう意味で、後戻りできなくなる(教員になってから)よりは早く気付いた、ともいえる

おかげで何者にもなる前に、受験生・無職の世界に突入していくわけだけど

司法試験では数問(しかも短答式のみに限定される、といってもいい)しか出題されない家族法なんて捨て問か、直前期に少し触る程度の扱いの家族法のゼミに所属して、判例まで詳しく研究するなんて、法学部の司法試験受験生はしないらしい

でも、最初に勉強したのは家族法だったし、ロースクールに行っても、やっぱり特別に受講したり、家族法が好きすぎるし、理不尽さに怒りが燃えたり

夫婦別姓を実践する恩師に出会ったのも大学時代で、今ほど政治問題で話題になる前から、触れていたわけだ

ディベートしたら、夫婦別姓を選択できることは賛成だ、ってなるのに、実際に夫婦別姓をする人はほとんどいない、実は、ずいぶん保守的な世界に通じるのが教育学部に進学してその後教員になっていく先生方の世界だった

勉強した、男女平等・個人の尊厳、終戦を経て家制度は廃止されたのだ、と理想が描かれる民法の理念と、でも、現実のギャップに直面し、結婚なんかの願望はなくなっていた

子どもが生まれること、夫婦別姓を貫くと非嫡出子となってしまう、その意味合い

家族になることを民法の条文と隣り合わせで分析しちゃうクセもできてしまう

教員はおろか、フツーにシューショクしたって、生きづらさしかない感じであふれていた

こんなに通称使用が定着するなんてこともなかった20年以上前のことである

少しでも生きやすいのが、弁護士であることではないか

それは、福島みずほ先生のようなことだったのかもしれない

政治的なことはそう詳しくわからなかったけども、自分の信じる方法で子育てをするという姿勢

勉強は嫌いではない子だった

弁護士になろうという夢を持つことになった

それまで、『弁護士』に会ったこともなかったのに

『合格者』でさえ、遠い遠い存在である

『短答合格者』でさえ、なんだか雲の上のような存在

5万人の受験生が出願して、論文に挑戦できるのは7000人
でも、前年論文試験を受験できた層はだいたい短答を突破する力がある

短答未合格者が合格できる「枠」は、前年の最終合格者によって抜けた分だけ、1000人程度の狭き狭き最初の関門なのだよ、と説明を受ける

ま、それ以前に、箸にも棒にも掛からぬ状態
ちょっと勉強が進んでも、平均点さえ突破するのがしんどくて、でも、頼れるのはお金をかければ参入できる予備校のゼミで、これも、まあ参加するとしても、白紙答案でひどいものだった

でも、初めて、それっぽい勉強に触れるようになって、憧れの短答突破経験者とも出会えるようになったりして、しかし、とにかく足りない

すでにスケジュールがいっぱいだったけど、たぶん、あの頃が本当にガッツリ勉強したときと思う2004年~2005年のことである

ようやく短答を初めて突破するも、喜びも束の間、本当の闇を知ることになる

本当によく勉強したので、直前の模試でもそういい結果ではなかったなりに、本番がハネてよい点だった!!

これが、夏の予備校での問題づくりバイトのご縁につながっていく
最終合格にはまだまだほど遠い頃だけど、頑張った分、ステージが変わる経験となって世界が開拓されていった

あんなに遠い存在だった「短答突破者」が、そのバイト仲間では、当たり前のこととなっていて、しかも、高得点の人だらけだった

このバイトのときの仲間が先日Xで再会した、谷山先生だったりする

憧れの短答突破者しかも高得点!という実力者ばかりの集まりにいれば、きっと最終合格者も大量に出会えるのではないか、と期待したのだけど・・・・

焼け野原・・・

自分が相当場違いなレベルでそこに混ざり込んでいたにすぎないことは自覚しつつ、それにしても、ほとんど合格しなかった・・・

それほどまでに、厳しいのか・・・

司法試験が難関と言われる理由がようやく見えてくる

短答突破でさえ命削って・・・精神狂って・・・?でも、その先に、本当の分厚い壁がそびえたっていたわけだ・・・絶望

しかも、旧司法試験と呼ばれるようになったその試験は翌年から新司法試験開始に伴い、合格者がグッと減ることになっていた

ますます不可能な世界・・・

その時点では、まだルーキーチックな伸びしろがありそうだったけど、ロースクールに通って受験資格得るのに数年待つとして、その頃はヴェテ化現象でますます合格が困難になるのではないか、絶望するわけだけど、あ、これ、まだ結婚も出産もする前の話ね

20代浪人生として過ごすさえない真っ暗な生活っぷりなわけだけど、なんだか疲れてしまっていた

ちょっと就活ごっこもしてみたら、やっぱり無理

弁護士にならないとそもそも生きづらいのだ、と20歳で憲法や民法の理想にかぶれてしまうと、世間と折り合いをつけるのが無理過ぎて、腹をくくりなおす

予備校でポツンとおいてあった信大ローの出願用セットを拾い、新宿で受験ができると知り、あまり先を考えずにトライする

そこしか受からなかった気がするけど、すでに閉校しているが、立ち上げ時もすったもんだあって、まったく期待できないけど、まあいいや、と思っていた

名門の既習コースで最短合格を狙っていくのが王道だったのだろうけど、疲れてしまった

自分だけの合格ルートを開拓していくことにした

元々他学部出身で、チグハグな勉強を改めて整えるにも、未修コース一本で3年じっくり勉強するのがいいと思っていた

に、しても、3年は長い

何か他に両立できるものがあれば・・・、無職浪人生すぎて何のキャリアもないけども、そもそも、男女平等のキャリアと子育てを実現したいというのもあって目指したのだった、先に子育てを始めてしまおう!ってなる

まさか、シングルマザーになるとはね

離婚するつもりで結婚はしていないよ、そこは、本当!!

でも、まあ

弁護士になっていくつか離婚問題携わってきたけども、我ながら誰にも負けない修羅場を・・・ゲフンゲフン

ロースクールに通って、出産したことも過去記事にしていた

幸い母子共に健康だった

おかげさまで、ある

地方都市で待機児童問題もなく、年度途中で入園できたりして、保育園に通わせている間に集中して勉強することを確立していった

自主ゼミも開催したりして、同志の仲間と受験に向けて取り組んでいったのだった

年に1度くらいは水疱瘡やインフルエンザで登園できず学校も休んだときもあったけど、無事に卒業もして、合格期待のお声もいただいていたりしたのだった

計画的に、当時実家のあった福岡で子どもを祖父母に見てもらいながら受験するよう準備していたが。。。まさかの直前での父の転勤・・・ここでもまた転勤族の影響を受けてしまった!!

でも、受験地を変えることなく、ホテルに息子と母と三世代で泊まり、受験することとなった

当時住んでいた松本では受験できないというだけでも、相当なハンデだったわけだ

東京でもどこでも遠いから、2歳児をまだ祖父母に任せるまでもできないし、当時夫はいたけど、やはり平日もあって任せられるかわからないというのもあっての三世代ホテル泊であった

母親が受験する間も、息子も頑張っていたわけよね

しかし、その年は合格しない

期待してもらっていたのになんで?!ま、振り返ると落ち着きもなく受かりようがなさそうではあったけども、旧司からやってきて、ようやく、だったのに・・・

弱小ローだったけど、受験生へのサポートは手厚くて、卒業生にも、「研究生」みたいな地位を保障してくれたので、おかげで、保育園にもそのまま在籍することができた

そういう環境から引き続き松本で勉強を続け、在学中には叶わなかったゼミにも参加して翌年も受験しようと決めた

夜間のゼミや日曜日の模試を受講するには、延長保育やファミサポ、日曜保育の利用が必要な状況で、夫や両親の協力もお願いしつつ、まさに、「両立」のためのチャレンジなのだという新章がスタートする

ま、そうやって受験した翌年も合格にはならなかったのだけど

ゼミの成績を後から振り返るとトップの成績を走っていた
最後の数回だけ、追い抜かれたけど、その追い抜いた後輩や先輩が最終合格していた

昔はとてもとても遠い存在だった「合格」があと少し、身近なところにあるという実感があった

最終章 シングルマザーの司法試験挑戦

ロー卒業後の二回目の試験の時点で離婚はしていたけど、あまりにも直前でただ離婚した、という状態だった

離婚届は出したけど、別居協議とかは受験の後まで待ってもらったの、なんだかんだと「元夫」は何かとよく理解してくれる存在だったのではなかろうか。。。

試験が終わって、合格発表までの間に、「シングルマザー」らしくなっていく

いよいよ別居して、親にも告知し(離婚自体が事後報告)、しばらく無職だったけど、さすが昔のよしみでバイトが見つかる!

なんと、あの予備校の問題づくりのバイトだ!!

離婚して正真正銘旧姓に戻っているし、そこで昔の方が覚えてくれたというのもある

浪人を重ねてとても実力はないわけだけど、他学部で、法律以外もやれるよね、という枠で、適正試験対策枠でのバイトをすることになったのである!!漫画みたい~~~でも本当!!

そうはいっても、そんなに収入が潤うわけはなく、幼稚園の費用は養育費から賄い、児童扶養手当なんかにも助けられ、まさしく、シングルマザー!!

最後の不合格発表

2011年9月の発表時も日比谷公園近くのそこに見に行ったけど、また番号がない!!

でも、とても近づいている気もするが、親もいい加減消耗していた

離婚したから後がない

妙に安泰した環境だったら、もうやめたら~と言われたかもしれないが、3歳の幼稚園の息子を育てるには、もう、ホントどれだけ可能性があるのかわからないけど、弁護士になるっきゃないじゃないか!!

親も最後のサポートを決意してくださった!!泣ける

父も定年間近の最後の年、母もなんだかんだと幼稚園迎えだとか、何かと面倒を見てくれた

何より、幼稚園+延長保育月額1万円を通い続けるための養育費と、月1だったけども、息子に人並みの文化的体験を通して愛情を届けてくれる面会交流あってこそ、シングルマザー司法試験受験は、わが子を犠牲にすることなく成り立ったのである!!!ここも泣ける

もちろん、そこそこ遊びに連れていったり、実はいろいろお出かけもしている

シングルマザー友だちとの付き合いみたいな機会もあった

発表前に、暮らしのためのバイトを予備校で始めていたのも吉で、おかげで、受験対策のための最先端情報にも触れられたり、モニターゼミ生的な受験機会もあった

もうなんでもご縁あるものを利用しまくるみたいな具合

ロースクールとは離れて東京に転居していたけども、遠隔からのバックアップにも助けられた

追い詰められていたけど、割と楽しかった日々である

そして、神頼みも何度もして、本気で祈願もした

いいことがありますように

いつも、いいことをありがとうございます

だから、もし不合格でも、それは神様基準では「いいこと」なんだろうと受け入れるつもりでいた

長い浪人生活、家族法が好き、ということで、勉強が偏っていて、特に、お産した直後、産褥期こそ休みつつ、休学せずに授業を受けていたとはいえ、最低限の理解で必死だったころの民訴と商法の根本的な理解が欠けた状態だったのを最後の年にようやく補えた、ともいえる

当時は、短答式もあったので、民訴の短答問題を教材にあれこれ自分で考えて理解を深めるようなこともしていたら、それがまんま論文で出題された

予備校の直前模試を復習していたのもよかった

おなじみな論点のようで、ちゃんとは理解していなかったことを、GWちょっとだけ復習して、動物園に遊びに行こうという具合に過ごしていたら、それが当たったのだった

妙に書く技術的なところだけは長けていたので(ヴェテ化)、途中答案とか白紙とかそういう悩みはなかったけど、書いたようで答えになっていないレベルが前年までは見られたのだろう

成績もパッとしなかったから、相変わらずそういうレベルのもあったと思うけど、いくつかの科目は、ヤマ当てしていたことがまんま出て、答えがわかりすぎて、ビックリする具合のがあって(民訴)、書きすぎるほどに書いたのだけど、ま、たぶん、そういうのはハズレではなかった成績っぽくて、合格に至る

神様にお礼にいく

2012年合格発表のころは、司法試験予備校の他に、別のバイトもしていたけど、すぐやめた

合格者としてのバイトを修習間際まで続けていた気がするけども、たった1年半くらいだったけど、楽しい居場所だった

息子連れでの懇親会などもあった

司法修習は、息子がいるからと、最寄りの場所一択で採用される

幼稚園の送迎をしながらの司法修習も本当によい勉強になった

10年前に2回試験だったぽいことがFacebookの思い出機能で出てきたのだけど、あれは、本当にしんどかった

疲れすぎて飽きて、ホテルを取りやめて、最後は自宅から通った

最初に三世代受験したころと違って、3歳、4歳、5歳の息子は、母と離れても祖父母と滞在できる子に育っていったのである

なんとか合格したおかげで、父も定年し働き方が変わったから仕送りもできなくなってという窮地を貸与金を得て人並みの暮らしを維持することができたのである

今もそのときの満額の貸与金(たぶん他の人より多い)を返済中である

あと半分

今も綱渡りだけど、20歳のころ家族法を勉強して絶望した家族の暮らしを、親子別姓家族を叶えながら、心地よいものとして日々過ごしている

共同親権の民法改正も間近なようだ

本当の意味で家制度を終らすための民法改正だ

司法試験に10年、その後に置き換わるように登場した共同親権という夢

自己流で傷つけあうこともいっぱいだった共同養育に支えられて弁護士になり、確信している

自由面会交流・養育費100%でも足りない

共同親権民法改正が必要不可欠である


それは、父母がいたずらに紛争することがないように必要な情報提供を尽くしてサポートを尽くすということ、それが、子どもの願い

パパもママも好きだから
ケンカはしないでほしい

とてもシンプルな願いである

司法試験合格

10年越しの夢を叶えて、ここ10年の夢はずばり

共同親権民法改正

司法試験合格を導いたのが、男女平等の子育てだったわけで、それが任意ではなく法整備されるべきであるというのは自然な気持ち

この先の10年は、情報提供をして共同親権を徹底する取り組みを描いていこう

夢はひとつ叶えたあともまた新たに描いていくもの

子どもたちもそれぞれに夢を描いていくのを応援しながら、自分の人生も磨いていく

おやこの時間は、単純に遊ぶだけでも豊だけど、それぞれ描いた夢を叶えるために共に生きるというのも素晴らしい

年齢が違って、ちょっと経験ある親だからって、子どもに教えるばっかりではなくて、子どもの取り組みに刺激をもらったり励まされたりする

いつの間にか、空中逆上がりに一輪車にブレボーに、って親ができないことをできるようになっていく子、ひらがなに苦戦しているけど、いっしょうけんめい、ことばぐんぐんを選んで自発的にコラショで勉強している子、苦労かけたけど、自分の興味を研ぎすまして進路を選択しようと素直に相談している子

男女平等の子育ての果てに、親子関係も対等に尊重認めあう関係性を築いていける

そんな家族の暮らしが、社会で生きる上でもよき学びとなる

母親らしいことを何もしていなくって、おいしいりょうりをつくってくれてありがとう、って言われるのはパパだけど、たまにママ担当のときはあるから、おいしいよとも言ってくれるし、それよりも、おしごとしてくれてありがとう、を誰に教わっているのか言ってくれるのである 泣ける

当たり前のような「パパ大好きママ大好き」の先にある

おやこの暮らし

共同親権制法改正を求めるスタンスとしてはリベラルな自覚があるとしても、実情としては、昔ながらの家族らしい家族とそうはズレていなかったり

あんなに、家族法を勉強したときには絶望を覚えたのにね

まだ、法律に欠陥があるし、世の中の理不尽も多いけど、私たちらしい家族を叶えて、けっこう、ハッピーである

みんなのご多幸を祈念するほどに☆幸いなことである



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