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アートを知れば言語はもっと楽しくなる。不確実な時代に必要な「”ヴィジュアル”を読みとく技術」。

Youtube、Instagram、 TikTok・・・昨今話題となるメディアは動画や写真といったヴィジュアルに訴えるスタイルが主流だ。

だが、プロモーションコンテンツの制作に携わる中で日々感じるのは、「むしろ言葉の重要性が高まっているのではないか」ということだ。

それは消費者に「文章で表現することが重要」という意味だけではない (それはもちろん重要なのだが)。むしろそもそものヴィジュアルを作る段階において、「良質な言語化能力こそが良質なヴィジュアル (動画や写真) を左右する」という意味だ。逆の表現を使えば「良質なヴィジュアルコンテンツを創るには、”何が必要なのか”を適切に言語化できる能力が必要」だということだ。

そんな思いを巡らせていた際に面白い本を見つけたので、今回はその書籍を紹介したいと思う。その書籍がこちら。

吉岡友治 著「ヴィジュアルを読みとく技術」だ。

動画や写真といったヴィジュアルコンテンツの重要性が増す現代においてこそ、それを言語化する技術こそが必要なのだということが分かる好著。ヴィジュアルコンテンツに携わる仕事をしている人に薦めたいのはもちろん、それに携わらなくとも何かを人に伝えることに興味がある人にも楽しめる内容になっている。

まさに苦行。美術苦手な私がアート・ディレクション

まず本題に入る前に、イントロ的に自分の話をさせて欲しい。

自慢じゃないが私はこれでも学生時代の学校の成績は良かった方だ。

小中高通じて通知表はほとんどの教科で「5」。特定の教科を除いて、だが。

その特定の教科とはズバリ

・美術
・音楽
・図画工作
・保健体育
・家庭科
要するに机の上で勉強できない物はすべて苦手だったということだ(笑)。中でも美術や音楽は救いようのないほどセンスの欠片もなかった。ところが、そんな私が音楽業界に身を置き、さらにアートディレクター的な仕事を担当しているのだから、人生はどうなるか分かったもんじゃない。

そんな私がアートディレクションに関わる仕事をしていて何度も「難しい」と感じるのが、デザイナーやカメラマンに「どのようなヴィジュアルが必要なのか」というコンセプトを説明することだ。

多くの人は、アートに関わる人間は直感的な閃きに従って仕事をしていると思っているかもしれないが、それは全く違う。腕の良いデザイナーであればあるほど単なる言葉尻ではなく、「ディレクターが本当に求めている物が何か。」

「なぜディレクターはそのような説明をするのか。」

といった”言葉”の意味と解釈に非常に神経を使う。

逆に腕の悪いデザイナーほど自分の感覚や思い込みに沿った仕事をする。

同じ言葉であっても人や使う時と場所によって、その意味は全く異なることが多い。その日の気分によっても全く違う。そのため言葉尻にとらわれた解釈をすると、求められている物と全く違うデザインを出してしまうことも度々ある。だからこそ彼らは”言葉”に非常に神経質になるのだ。

本書では「ヴィジュアルコンテンツ」と「言語」の関係性について度々言及される。それはヴィジュアルを読み解くことは言語によって解釈して伝えることであり、ヴィジュアル化することは言語だけでは表現できないことを視覚的表現によって使えることであるからあるからだ。つまりヴィジュアルと言語とは、お互いが補完関係にあるということである。

「時間に制約される”言語”」と「時間に制約されない”ヴィジュアル”」

したがって、本書では第一章と第二章において、言語とヴィジュアル、それぞれの特性や、長所と短所、さらにそれらの関係性が丁寧に説明されている。この内容が非常に面白い。ヴィジュアルと言語を比較することで、それぞれの持つ特徴が非常にわかりやすく理解できるようになっている。

私がもっとも興味深いと思ったのは「時間性」に関する比較だ。

著者によれば「言葉は、いわば一次元的なメディアである。一回につき一つのことしか表せない」。シンプルな文章構造で考えるとわかりやすいのだが、文章では主語が来て、それから述語につながる。それを次々につなげていき、言いたいことにまでつなげたところで一つの文章が完結する。つまり文章は「主語→述語」という一方向にしか流れない表現方法なのだ (もちろん倒置法などのテクニックによって文字の並び順を変えることはあるが、”伝えたいことを表現する”という本来の意味では流れは一方向である)。

一見窮屈なようにも見えるが、この「一方向にしか流れない”不自由さ”」こそが言語の重要な特徴なのだと著者は言う。少し長くなるが非常に興味深いので、引用してみよう。

「さらに重要なのは、この『一方向にしか流れない』不自由さが、人間が生きる時間と同じ構造をしていることだ。時間は、自由に戻ったり、先に飛躍したり横にずれたりはできない。過去から現在、未来と一方向に淡々と流れるだけだ。因果法則もそういう時間に沿って『最初にこうなれば、次はこうなるはずだ』という経験から成り立つ。順序や経過や結末という時間、『こうなれば、こうなるはずだ』という論理という要素を表すには言葉という『一方向にしか流れない』メディアでないとダメなのだ。」

一方、ビジュアル表現にはそのような制限がない。絵画のさまざまな構成要素をどこから見るのか、各要素のどこをつなげて解釈しても自由である。

「だから、過去から現在、未来と流れる因果を表すこともでkない。すべての要素は同時的に存在し、それを見るものが、どのようにたどっていくかによって、体験できる時間構造も変わる。」

この自由さこそがヴィジュアルコンテンツの大きな特徴だといえる。

どうだろうか?

このような解釈はヴィジュアルと言葉を対比させたからこそ生まれる見方であり、それぞれの持つ意味や特徴、そしてそれらをどのように使いこなせば良いかを考える上で非常に重要な視点ではないかと思う。

”VUCA”の時代に必要な力

ただ、この記事を読んでいる人の中には

「自分の仕事にはヴィジュアルコンテンツなんて関係ない。だからこの本も関係ないよ。」

と思う人もいるだろう。

だが、実はこれからの時代にはどのような仕事に関わっているかなど関係なく、このヴィジュアルを読み解く能力が必要とされているのだ。


最近耳にする言葉に「VUCA」というものがあるが、これは

・Volatility(変動性・不安定さ)

・Uncertainly (不確実性・不確定さ)

・Complexity(複雑性)

・Ambiguity (曖昧性・不明確さ)

という現代社会の不安定さを表す4つのキーワードの頭文字を取ったものだ。

コロナ禍だけでなくリーマンショックや気候変動問題など、今まで予想もしなかった変化が急激に訪れる現代社会の不確実性の高さを表した言葉として人口に膾炙される。

この”不確実性”はよく危険性を表す”リスク”と混同される概念だが、別物である。たとえばフランク・ナイトという有名な経済学者の定義によれば、リスクとは将来起こる確率を数量的に予測できるものであり、不確実性はそのような予測ができない”不測の事態”(戦争などがその典型)のことである。

VUCAの時代とは後者の不確実性が高まっている時代のことだが、このような情勢においては既存の枠組み自体が崩壊する可能性が高いうえ、そのような事象がさまざまな分野で頻発することすらある。

そのような時代で重要になるのは、自ら新しい枠組みで物事を捉え直す視点を持てるかどうか。さらに、それを人に説明できるかどうかである。この力を養うのに有用なのがまさにヴィジュアルを読み解く技術に他ならない。なぜならヴィジュアルを読み解く技術とは、目の前に存在する”何か”の意味を考え、それを自分なりに解釈し、言葉に表すことだからである。

誰にでもヴィジュアルは読み解ける

とはいえ、「絵画や写真を読み解くことなんて、センスがある人になんてできないんじゃないの?」としり込みする人も多いだろう。

たしかに写真や絵画のようなアート作品というと、「生まれ持ったセンスで、直感的に作り出す神がかり的な創造物」というイメージが一般的だ。ましてやそこに込められた意味を読み解くとなれば、とても素人には手が出せない領域のように思われる。

だが、ほとんどのアート作品はそのような直感から生まれる物ではない。なぜなら、どのようなアート作品であっても、それ単独で、社会と全く関係なく突然世界に現れるわけではないからである。

アートが人を感動させることがあるのは誰もが認めることだが、その理由はそれが神がかり的な力を備えて強制的に人の心に働きかけているからではない。人が心を動かされる時。それは、その作品にどこか親しみを感じながら、今までに見たものとは画期的に異なっているもの・・・いわば”ありそうでなかったもの”を見た時なのだ。この「親しみやすさ」と「画期的な存在感」のバランスをどれだけ保つことができるかが、表現者の技量の見せ所なのだ。

かつて中野剛志という評論家がとある本を評して次のように言っていたことがある。

「いわゆる名著というのは、何か突飛な、誰も考えつかなかったことを書いているような本ではない。誰もが心に何となくイメージを持ちながら上手く表現できないこと。それを表現することで、読んだ人が”ああ、そうそう。こういうことを私も言いたかったんだ。”と思うような物。それこそが名著である。」と。

(※記憶を頼りに書いているので、細かい表現は違っているかもしれない。)

これは本のような文字表現だけでなく、アートなどのヴィジュアルコンテンツにも当てはまる。あらゆる表現物とは、それ単独で社会と無関係に生み出されるのではなく、あくまで社会の文脈の中で生まれものであり、その作者が社会の中で感じた”何か”を形にしたものである。その社会という共通項があるからこそ、人は表現者が訴えたい何かに共感し、心を動かされるのだ。

したがって、社会に生き、周りの人々との生活を大切にしている人であれば、誰もがヴィジュアルコンテンツを解釈し、それを楽しむことができるはずなのだ。多くの人がそれを実践することができないのは、その”テクニック”を知らないだけ。それを知りさえすれば、誰にでも自分なりのヴィジュアルコンテンツの読み解きかたは可能であり、それはこの不確実な世界を読み解くうえで強力な技術になるに違いない。

この本では、それに必要な技術が素人にもわかりやすい平易な文章で解説されている。ヴィジュアル情報の特性やそれを読み解く技術の基本的なアプローチ、そして実際のアート作品を参考にしながら、その実践的な使い方も解説されており、基礎から応用までが一通り概観できるようになっている。

「アート作品を語るなんて無理!」と思う”ど素人”にこそ是非読んでほしい一冊だ。今まで知らなかった新しい世界を楽しめるようになるだろう。

というわけで、今回ご紹介したのはこちら。

吉岡友治著「ヴィジュアルを読み解く技術」でした。

今回も長文を最後までお読みいただきありがとうございましたm(__)m


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