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【3分要約・読書メモ】あやうく一生懸命生きるところだった<第2章>

ご覧頂き、ありがとうございます。
今回は「あやうく一生懸命生きるところだった」についての記事となります。名言が多かったので、こちらは「第2章一度くらいは思いのままに」の紹介です。

こんな人におすすめ

・心が疲れた人
・一生懸命生きているのに幸せを感じれない人
・他人と比べることに疲れた人
・最近やる気が出ず、自己嫌悪に陥っている人

著者

ハ・ワン
イラストレーター、作家。40歳を目前にして何のプランもないまま会社を辞める。フリーのイラストレーターとなったが、仕事のオファーはなく、さらには絵を描くこと自体それほど好きでもないという決定的な事実に気づく。以降、ごろごろしてはビールを飲むことだけが日課になった。特技は、言い訳つけて仕事を断ること、貯金の食い潰し、昼ビール堪能、などがある。

第2章一度くらいは思いのままに

今にも電池が切れそうな僕らに必要なのは、
「もっと」じゃなくて、「ほどほど」の気持ち。
心配も、ほどほど。
努力も、ほどほど。
後悔だった、ほどほどがちょうどいい。

本書より

・遊びたければ、遊べばいい
大人たちは、適当な大義名分がないと、やりたくてもやらないのだ。いや、できないのだ。だから、遊びたくても遊べない。
大人は、もう少し欲望に正直になる必要がある。遊びたいなら遊べばいい。大義名分はそれから作ればいいのだ。

・”自分だけの人生”は失敗の上に成り立つ
なんでのスマホで検索する時代。情報があふれ検索すれば、食事、映画、動画、音楽などなんでも失敗しなそうな正解を見るけることができる。しかし、失敗が減った分だけ、楽しみも減ったような気がする。自分が選ぶ楽しさ、未知のことが教えてくれる楽しさ。
みんなが良いというものが、果たして自分にとっても良いものなのだろうか?

失敗してもいい、失敗したときは後悔すればいいだけだ。きっと他人の言葉を信じて群れを成した人々も、後悔するのは同じだから。

・「ムダ足」こそ人生の醍醐味だ
焦る必要はない。どのみち決まった目的地なんてないのだから。明確な目標と目的がある行動は、いわば、”成就”の領域であり、”楽しみ”ではない。偶然の楽しみでいっぱいの目的の第一歩。これこそが人生を豊かにしてくれる醍醐味なのかもしれない。

目的のない優雅なムダ足を楽しもう。楽しみとはそんなときに訪れるものかもしれない。

・「やらかさなかった」後悔は後を引く
あれこれ思い描いた夢は、何も行動しなかったから何の痛みもアイワうことなく過ぎ去った。なのに、なぜだか胸の奥が重苦しかった。
もしかすると、もっとやらかすべきだったのかもしれない。たとえ下手こいたとしても。

感想

第2章で書かれている「大人は、大義名分がないと遊べない」というのは、まさに自分だった。誰かに禁止をされているわけでもないのに、なぜか思いっきり遊べない。あれをやらないといけない、これをやらないといけない、遊べるのは成功者だからだ、成功したら遊べるはず、、、、気付いた時には遊ぶ体力がなくなっている。失敗してもいい、後悔してもいいじゃないか。もっと自分の気持ちに素直になる勇気が持てる。

大切なことをいつも後ろ倒しにしてしまう人に読んでほしい章です。

第1章のレビューはこちら。他の章のレビューも順次上げますので、興味のある方はご覧ください。

Twitterもやっているので、もしよかったら覗いてください。https://twitter.com/koga_yu05

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