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余談④:バイキング狂想曲

 バイキングが好きだ。
 数々の料理が並んでいると心が躍る。

 バイキングが好きな理由は、もちろん食事への純粋な楽しみが1つ。

 しかし、バイキングは人の欲を具現化させたようなシステムが故に、その人の内側が浮き彫りになる。そんな人の内面を描いたような皿模様が好きなのだ。
 あまり良い趣味とは言えないが、人の皿を覗き見るのが楽しい。秘密を覗き見ているような、背徳感がある。

 例えば、品性。
 第一に、持ってきた食事を残すような真似は言語道断だ。
欲望に負け、自分の空腹具合と相談もできないような愚は品性以前の問題だが、盛り付け方には注目したい。

 4×4の16部屋で区切られたプレート皿(以下、仕切り皿)において、区切りを無視して4マス分にドチャリと麻婆豆腐を盛り付ける人もいれば、1品を少量で丁寧に取り分ける人もいる。 盛り付けた料理の上に、カニの足が斜めに横断している皿には、むしろおかしみすら覚えたことがある。

 パスタが料理に並んでいる場合は特に、パスタを巻いて皿に盛られている様子を見ると、バイキングという雑踏の中で、まるでそれを専門とするような佇まいに、美しさすら感じる。

 例えば、美学。
 1枚の皿に、パスタとチャーハンとバケットが一緒に乗っているのを見たことがある。炭水化物に取り憑かれているかのような光景だ。そこには空腹を満たす為だけの皿がある。
 仕切り皿においても、寿司と、中華料理と、からあげと、ポテトと、もう種々様々な料理を乗せ、味噌汁とコーンスプの2つの汁物、そしてコーヒーとオレンジジュースと、盛り付けや組み合わせの意図が皆無な人もいる。
 
 一方で、ご飯と味噌汁。そして仕切り皿の上には、和の料理を並べ、小鉢にサラダと、少し高級感のある定食を演出する人もいる。
 自分の口と腹と上手く相談し、何を食べたいかという意思が感じられる。
 汁気の多い利用理を同じ皿に乗せ、味をまぜこぜにしてしまうようなことは決してしない。プレートには美学が盛り付けられているのだ。

 例えば、創造性。
 サラダコーナーにおいて、そこにある野菜類でサラダを完結するのではなく、主菜のコーナーにある刺し身をそこに合わせ、カルパッチョ風に仕上げる人がいる。

 バイキングの場では時折、店側のデザインを飛び越えた独創的な発想や工夫に驚かされる。

 最近感動したことがある。
 うどんのコーナーの横に数種類の天ぷらがあり、僕の頭の中でそれは天ぷらうどんとしてしか捉えることができなかった。
 しかし、ある人が、ご飯の横にあるカレーにはいかず、その天ぷら達をご飯の上に乗せ、天つゆを掛けた即席の天丼を作っていたのだ。

 発想の転換。コロンブス的天丼。
 示されれば、それは確かに1つの答えであるが、並の人間はその発想に至らない。まさに0から1を生み出す所業だ。
 そういう、天ぷらとうどんのコーナーから、天丼を生み出すような人間が新しい世界を切り開いて行くのだと思う。

 さて、ここまで偏見まみれの主観を大袈裟に述べてきたが、将来、子どもができたら、ぜひパートナーなる人間とはバイキング行って来なさいと言いたい。
 
 バイキングの皿の上には、その人の生き方の丁寧さ、乱暴さ、雑さ、もしくは、美学やセンス。そういった諸々が盛り付けられると心得たい。


良ければこちらの余談もどうぞ。

 

 
 



 


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