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ダンジョンバァバ:第3話(後編)

目次
前編

往路をなぞってドゥナイ・デンに戻ったファミリーは、暗い細道を選んで南西区画のあばら家を目指していた。かつては住居が密集していたであろう跡が残る南西区画だが、今さら近寄る者は多くない。人目を避けたい訳ありのハンター、金の無いハンターたちが宿代わりにと、廃材やボロきれを使って建てた、もしくは補修したと思われる小さな家屋が点在するのみである。
前を歩いていたパパレンジャーが振り返り、妻と息子に声をかけた。
「なあどうだろう」
疲れ顔のママビショップは、「何が?」といった顔で首を傾げる。
「――たまには湯に浸かりたくないか? 家で荷物を降ろしたら、宿屋で風呂だけ借りて…… 酒場で食事…… カタナのお祝いに」
「え! お風呂!? 外食? ヤッター! ヤッタ! ヤッタ!」
「そうね。死体の臭いが染み付いて気持ち悪いったらありゃしない。今なら人も少な……」
ほころんでいた妻子の表情が凍りついた。2人はパパレンジャーの背後の ”何か” を見上げている。そしてその視線が…… 少しずつ下がる。全身に鳥肌が立つような感覚を覚えたパパレンジャーが【鷹の目の】弓を掴んで前に向き直ると、静かに舞い降りてきた ”ソレ” が翼をたたみながら―― 3人の前方に着地した。決して小さくないパパレンジャーの身の丈を大きく上回る、9フィート近い鉄色の巨体。
「なんだ、コイツ……」
「その鎧… まさか…… あのガキかい?」
ママビショップの視線は ”ソレ” の胸部に注がれていた。異常とも言える発達を遂げた全身の筋肉と同色で目立たないが、鈍い光を放つ質感、色合い、飾り気の無い意匠は、あのブレストプレートそのものであった。ただ、着せた時よりも格段にサイズアップしている。
「あのガキ? ガキって、まさかあのガキか!?」
「ねえ見て! 顔、顔! アイツじゃん!」
少年サムライが指を差した ”ソレ” の顔は鉄色に染まっているが、先ほどまで檻の向こうに見ていた子供の面影を…… 知っている者が見れば分かる程度に残していた。その額には、太く、そして禍々しくねじ曲がった2本の角が生えている。
「こ、こいつ……!」
思わぬ事態に動揺していたパパレンジャーが、慌てて【貫きの】矢をつがえようと背中の矢筒に手を伸ばす。しかし思わぬ事態が重なった。少年サムライが抜刀し、ガッチャガッチャと甲冑を鳴らして走り出したのだ。
「このウンコ臭いザコめ! やぁやぁボクこそは真のサムライ――」
自分の横を駆け抜けた息子にギョッとしたパパレンジャーが、制止すべく手を伸ばす…… が、その手は虚しく宙を掴んだ。
「ダメだ! やめなさ――」
「ペゲッ」
未熟者故にいち早く動いた怖れ知らずの少年サムライは、”ソレ” が軽く張った平手打ちで首を捩じられ絶命した。爪に引き裂かれた死顔が半周して夫婦を見つめ…… だらしなく傾いた。そのまま崩れ落ちた死体は横へと蹴り払われ、道端に転がった。
「あ、あ…… あ、あああぁぁぁあ!」
パパレンジャーが絶叫しながら矢を放った。鉄色の ”ソレ” は羽虫を除けるように矢を払い落し、ゆっくりと一歩踏み出す。二歩目を踏み出す。「次の獲物はお前たち」。蛇のような目が明確に宣告していた。そうはさせまいと宙に出現した幾つもの火球が、巨体目掛けて一斉に降り注ぐ。
「何してくれンダボケェェェ! 死ね! 私の可愛い息子を、息子をォォ! 死ね! 灰になって散れェェェェ!」
炎に包まれた巨体が火柱となって南西区画を照らした。ママビショップが杖を振り乱しながら罵り、痰を吐く。
「カーッ、ペッ! 燃えろ! 死ねッ! 思い知ったかボケ! 死…… え」 
火傷ひとつ負わぬまま火柱から歩み出た巨体は、飛来した2射目の【貫きの】矢を人差し指と中指で挟み取り、パパレンジャーの眉間目掛けて投げ返した。
「ヒッ!」
無意識に腕をクロスして目を瞑ったパパレンジャーは、目の前に立ち塞がった何者かの気配を感じて薄目を開けた。眼前に広がる大きな背中。質の高いなめし革と金属で加工されたブリガンダインが胴を覆っている。露出した腕や首は色白だが太く逞しく、三つ編みの黒髪が背中で揺れていた。

第3話『正体不明の存在』(後編)


「夜狩に行こうって時に…… なんだいこのバケモノは」
そう呟いた大柄な人物は、自分の体格を上回る悪魔じみた巨体に向かって突進した。一瞬で間合いを詰め、相手の拳を左腕のバックラーで弾き飛ばし――
「ウラァッ!」
右手のウォーハンマーで鉄色の脇腹を打った。ブレストプレートが鈍い悲鳴を上げ、横へと吹っ飛ばされた9フィートの巨体が廃屋を破壊しながら視界の外へと消え去った。
「そこの2人。無事か」
背中を向けたまま振り返った大柄な女が、夫婦に声を掛けた。太い眉。彫りの深さと高い鼻が目立つ凛々しい横顔。そして額と頬に刻まれた入れ墨は、彼女が『バーバリアン』であることを示していた。

バーバリアン。厳寒が途絶えるこのとない北の大地イシィ=マーで暮らす種族。ルーツは人間と同じと言われているが、その巨躯と筋力は人間が到達できる域を超えている。強靭な肉体とは裏腹に、無益な戦いを好まず、信心深く、領土拡大に興味がないバーバリアンを他国で見かけることは稀であり、イシィ=マーから一歩も外に出ずにその生涯を終える者も少なくない。

「あ、ハイ… 助かりました。あなたは?」
「バテマル。ここから東に行ったところで鍛冶屋を営んでいる」
「バーバリアン、ですよね? 珍しい……」
「アイツは何だ? デーモンに見えたが」
無意味な会話を好まないバテマルが、単刀直入に尋ねた。
「え? ああ、あのクソガ…… いや、あのクソデーモンが… 私たちの可愛い息子を殺したんです。いきなり現れて…… もう何が何だか」
レンジャーの視線が、道端の死体に向けられた。ビショップは正視でず顔を伏せ、嗚咽を漏らす。
「そうか。短くとも素直で善き人生であれば、良き場所に迎え入れられるだろう。デーモンの正体を知らぬと言うが…… お前たちはこんな時間にこんな場所で何を?」
「あ、いや、私たちのボロ家がこの辺でして。ちょっと荷物を置いて、食事にでも、と」
「そうなんです。家族3人で。……なのにあのクソ! ウゥ…」
「フン、訳ありか。……頑丈な奴め」
「え? 頑丈?」
取り繕う夫婦を観察していたバテマルは無用な詮索を止め、顔を前に向けた。右手の柄をクルリと回す。短い柄の先で白銀色に光る鎚頭は巨大な直方体で、人間であれば両手で持ち上げるのがやっとだろう。
ほどなくしてミシリ、ミシリと瓦礫の山を踏み歩く音が響き、正体不明の存在がふたたび細道に姿を現した。バテマルが眉根を寄せる。先ほどの一撃は、並みの鎧であれば粉砕していたであろう手応えがあった。しかしブレストプレートには…… 左脇腹から生じたヒビが数本のみ。
「【パーフェクト・デストロイヤー】の一撃を受けて立ち上がるとは……。2人とも、ゆっくり下がれ。背中を見せずにそのまま大きく下がれ。自分らの身を守ることだけを考えろ」
夫婦は素直に従った。ゆっくりと近づいて来る ”ソレ” の目を見つめたまま、バテマルを間に挟んでジリジリと後退する。異常者とは言えそれなりに腕が立つ2人は、先ほどの交戦で力量の差をはっきり感じ取っていた。その間にバテマルはハンマーを胸に掲げ、自己強化のスペル詠唱を終えていた。
「なあ、今のスペル…… 意味不明の言葉を並べて……」
「あれはシャーマン。大陸のこっち側で見かけることは滅多に……」
夫婦の会話が止まった。バーバリアンとデーモンが、まるで決闘前の戦士のように至近距離で睨み合う。睨み上げるバテマル。頭ふたつ分ほど上から睨み下ろすデーモン。――バテマルが仕掛けた。
「ウゥラァ!」
大地を踏みしめ、先ほどと同じ個所をもう一度ハンマーで狙う。しかしデーモンは左腕でそれを跳ね除け、頭蓋を噛み砕かんと牙を剥いた。頭突きのような噛みつきをバックラーでブロックしたバテマルは相手を前方にプッシュし、膝関節を狙って蹴りを入れる。常人であれば逆に折れ曲がる一撃だが、鉄柱を蹴ったようにビクともしない。

(胴の鎧ほど硬くはないが、殴る蹴るじゃ効かない…… ならば)

バテマルは巨大な爪の薙ぎ払いを屈んで躱しながら全身を一回転させ、その勢いのまま相手の膝裏をハンマーで打った。
「ウルァァッ!」
足元をすくわれ、9フィートの巨体が一瞬水平に浮く。すかさず立ち上がったバテマルが渾身の一撃を鳩尾に振り下す。地面に叩きつけられたデーモンの頭部を狙ってさらにもう一撃を狙ったバテマルは、咄嗟にバックラーを構えて大きな体を縮めた。
「ヴァァァァァァァァァァ!」「ヌゥー!」
咆哮ブレス。【祝福の】バックラーが大半のダメージと状態異常を防ぐも、全身の痺れに襲われたバテマルはガックリと膝を突いた。デーモンはヌラリと起き上がり、両腕を高々と振り上げて爪を剥く。
刹那、デーモンの背後から影ふたつ。左右を駆け抜けたのは岩石のような影と、一筋の朧な影。
同時にドッドッ、と肉を断つ音が響いた。
「ギィーシャァァァァッ!」
両腕を付け根から切断されたデーモンが目を見開き、前かがみになって悶え叫んだ。そのままバテマルの横を通り過ぎた岩石はスピードを殺さずにUの字を描いて急旋回し、デーモンに猛烈な体当たりをブチかます。顔面に直撃を受けたデーモンは仰け反りながら吹っ飛び、ドスンと音を立てて大の字に倒れた。
「イテテ…。なんじゃコイツ。石頭め」
己の身の丈ほどもある【巨人の】戦斧を担いだドワーフ…… バグランが、頭をさすりながらバテマルの前に立った。一足先にバテマルの前に立っていたトンボが【ハバキリ】を鞘に納めて振り向き、バテマルの状態を観察する。
「立てるか? ……麻痺しているな。これを飲め。完全に痺れが取れるまで暫くかかるが」
トンボは懐から小さな瓶を取り出し、栓を抜いてバテマルの口に流し込む。声帯の痺れが取れたバテマルが咳き込みながら言った。
「……すまない。助かった」
「礼はヘップに、酒場で働く敏感なホビットに述べれば良し」
「……気を付けろ。レッサーデーモンや… グレーターデーモンとは格が違う。ブレスが危険だ」
トンボはバテマルのバックラーを見た。金属が腐食し、さらに石化したような――
「なるほど。殺してしまっては正体が、と思ったが…… そう容易い相手ではないということか。先ほどの火柱は? スペルのようだったが」
「後ろのビショップだ。ランクは7前後…… まったく通用していなかった」
「ビショップ? どこにもおらぬぞ」
「え?」
バテマルが振り向くと、トンボの言う通り…… 後方で怯えていたはずの夫婦は姿を消していた。

◇◇◇

「早く! あのデカ女が食い止めてる間にさっさとしないと!」
「わかってるって! ちょっと待てよ…… 荷物が重いんだ」
南西区画から逃げ去った夫婦は北東へと進み、修道院の近くまで来ていた。今いる細道から中央通りに出てしまえば、あとは真っすぐ東に歩くだけで宿屋に辿り着く。顔を覚えられないように施設の利用はできるだけ避けてきたが、この状況ではそうも言っていられない。ひとまず宿屋の金庫に荷物を預け、コトの成り行きを見守る。あばら家に残した荷物、息子の遺体、それにあのカタナも回収したいところだが、それは集落のハンター達が ”アレ” を始末してから、という意見で一致していた。
「あの鎧のスペシャルパワー…… 本当に遅効性だなんて。しかもあんなバケモノに変化して…… キイィィッ! 私の可愛い…… よくもよくもよくも!」
「落ち着け。仇討ちはあの鍛冶屋に任せときゃいい。アイツが失敗してもこの集落には血気盛んなハンターが集まっているんだ。俺とお前は生き延びることを考えねば」
爪を噛んで恨みの言葉を吐く妻をなだめたレンジャーは、やや不安な表情で続けた。
「しかし…… ”アレ” はキッチリ殺してもらわないと困るな。もし正気に戻って喋られでもしたら」
「ありえないわよ。あそこまで変わってしまって。さ、急ぎま…痛ッ!」
よそ見していたビショップが人とぶつかり、尻餅をついた。
「前を見て歩きな」
杖を突いた老婆が、言い捨てて通り過ぎる。
「ちょっと! 痛いわね! そっちこそ気をつけて歩きなさいよ!」
呼び止められた老婆は振り返った。不愉快そうな顔。ビショップを睨み下ろし―― 驚くべき剣幕で畳み掛けた。
「アァ? アタシはぶつからないように横にズレたよ。証拠? 足跡を見てごらん。明白さ。ギャーキーギャーキー喚くアンタはどうだった? 後ろを向いてペチャクチャとお喋りだ。アタシと同じように反対側にチョイとズレれば衝突は防げた。こんな杖を突いた老人でも出来る簡単な気遣いさ。その細い目をかっぴらいてよぉく見てみな。この道はその目と同じくらい細いのさ。お互い一歩ずつ譲り合うのがマナーってもんだろう? よそ見して人にぶつかっておいて何様だいこのバカタレが」
「バァバ、相手にするな。さあ」
捲し立てるバァバの背中にアンナが手を添える。バァバは舌打ちしながら踵を返し、ふたたび歩き始めた。
「ったくああいうアホは誰かがシメないと駄目なんだよ」
「そうですよねー。ガツンと!」
「そうだろう?…ヒヒ」
「余計な事を言うなサヨカ。バァバは後ろを向かない。急ぐのだろう?」
「急ぐ? まあ急がなくても何とかなるさ」
「急いだ方がいいと言ったのはバァバだろう……」
「そうだったかね…ヒヒ」
あっけに取られた夫婦は、ただ黙って3人を眺めた。立ち去るその後ろ姿が闇に消え、会話が耳に届かなくなるまで。

◇◇◇

「ムンッ!」「ギシュウウァァァ!」
低い姿勢で駆けたバグランが対称型の両刃斧を振るい、デーモンの左足を斬り飛ばす。体勢を崩した巨体の首筋を阿吽の呼吸で狙うトンボ。しかしデーモンは巨大な蟲のように横回転してその一閃を躱した。
「グルル…… やはり首を庇う。さすがの悪魔も首を刎ねれば死ぬということか」
獣化したトンボが口惜しそうに唸り声を上げて牙を剥いた。
「だといいがな。他の部位は埒があかん」
言いながら、バグランが周囲を見渡す。腕が4本。脚が3本。翼が1枚。いずれも2人が斬り落としたデーモンの一部だった。溜息を吐きながらデーモン本体を見やると、その左足がズルッと生々しい音を立てて生え変わり、何事も無かったかのように立ち上がる。
「シュルルル……シィィ…… ヴァァシィィッ……」
先程までと違う動作。危険を察知したバグランとトンボが身構える。その後方で座したままスペル支援を続けていたバテマルが、まだ痺れの残る腕で合図しながら叫んだ。
「この魔素の流れ…… スペルが来るぞ! 離れろ!」
「ああ? ブレスに加えてスペルと来たか」
バグランが片眉を上げて飛び退き、バテマルの前に立った。奇怪な詠唱の終わりを告げるように、デーモンは両腕を左右水平に伸ばす。
「バグラン! 何を…… 離れろと言ったろ! 防具無しでは凌げないぞ!」
「ドワーフのワシがお前さんを運ぶのはチト無理。そもそも間に合わん」
半分嘘である。巨人族の踏みしだきすら受け止めるバグランの筋力を持ってすれば、バテマルを引きずって走ることなど容易かった。だが残りの半分は本当だった。逃げる余裕など無い。デーモンの腰回りの空気が歪み、放射状に生じた衝撃波が大鎌の如く3人に襲い掛かった。バグランは盾代わりに構えた巨大な戦斧を回転させて防御するが、第2波、第3波、第4波と息つく暇も無く襲来する刃が徐々に強靭な筋肉を斬り裂き、血飛沫が霧のように舞い上がる。バテマルが背後から回復スペルを唱えるが、焼け石に水だった。
「シャーマンは回復も得意じゃないんかい!」
「全員そうだと決めつけるな! 私は攻撃型だ! だから離れろと……!」
「ムゥゥー! はよせいトンボ! 長くは持たん!」
「急かすな」
廃屋の屋根に飛び乗っていたトンボが、衝撃波で倒壊する寸前―― 狙いを定めて跳躍した。真上からの一刀両断。仰ぎ見たデーモンと目が合う。トンボの背筋に冷たい物が走った。デーモンが水平に広げていた両腕をグイ、と上に伸ばすと、水平に放射されていた衝撃波が向きを変え、束になって天を衝いた。
「グルォオオォーン!」「シィィィィィッツ!」
トンボは咄嗟に【ハバキリ】を振り抜き、衝撃波の相殺を試みた。一閃がデーモンの左手首を刎ね、さらに左の角を顔の一部ごと削り取る。だがトンボの胸も斬り裂かれ、破れたベスト、シャツ、灰色の剛毛、そして血が飛び散った。落下してくるトンボを腕で払い飛ばしたデーモンは、よろめきながらも衝撃波を水平に向け直す。
「トンボ! ぐぬぅぅぅーいつまで続くんじゃこれはー!」
デーモンの左手が生え変わり、顔の再生が始まった。傷だらけになって耐えるバグラン。その耳に響く音色――
デーモンの周囲をグルリと不可視の壁が囲ったように、衝撃波がことごとく途中消滅してゆく。新たな参戦者に気づいたデーモンは詠唱を止め、獰猛な片目でその姿を観察しはじめた。
「エール奢ってくれよな。オレ貧乏なんだから」
【エヨナのシンギング・ショートソード】で『遮蔽の賛歌』を奏で終えたセラドが、不敵な笑みを浮かべながら登場した。
「フン。無事に倒せたら葡萄酒もひと瓶、つけてやろう」
「お、いいねぇバグラン殿。サービス精神旺盛…… あと鍛冶屋のアンタ…… えーと、バテマル? そうバテマル。ちゃんと名前を覚えてるぜ。アンタは ”コイツ” のメンテナンス代をサービスしてくれよな。ちょいと改良が必要でさ」
セラドは金属製の左手で長い髪を掻き上げ、ウインクした。
「お前は……」
「ま、寝てなって。ホントは借金もチャラにしてもらいたいところだが…… オレはそこまで恩着せがましくねぇ。美人には特別優しいんだ」
「あれを甘く見るな。勝ってから言え」
「はいはい美人の言うことは正しい…… で、コイツなんなの? ヤバイ奴?」
「かなりな」
話を振られたバグランが険しい顔で頷く。
「怖い怖い… まずはアンタらの傷の手当だ。さっき明後日の方向にすっ飛ばされてったのはニューワールドのリアル・サムライだな?」
セラドは尋ねながら剣を操り、『癒しの讃美歌』を奏でる。
「そうだ」
「そうか。たぶんあの傷はオレには無理だな。実際アンタらの傷も完治とはいかねぇ。ま、しばらく戦うには問題無いだろ」

(トンボはあれしきで死ぬような奴ではないが…… 今は数に含められん。ワシ、バテマル、そしてセラド。3人でやれるか? 厄介なのはブレスとスペル…… こういう時にバァバかアンナがいれば…… しかし東の玄関方面にはまだこの状況は伝わっておるまい……)

「こりゃまた凄いのが暴れてるね…ヒヒ」
「エッ!? ……バァバ!」
バグランがビクリと振り向くと、背後にバァバが立っていた。
「たまには早寝しようと思っていたのに煩くってね。マッタク」
「お前さんが地獄耳で良かったと初めて思うわい…… どうした、杖なんか突いて。腰でもやったか?」
バグランは、珍しくバァバが杖を―― やや黄ばみがかった白い杖を持っていることに気づいた。
「使えるかと思ってね…クク」
「トンボさん発見しましたー」「おい狼憑き。起きろ」
ワーウルフを担いだアンナとサヨカが姿を現した。
「おお…… アンナとサヨカも」
「ヴァァァァァァァァァァ!」
バグランの頬が緩んだ瞬間、様子を伺っていたデーモンが顔の再生を済ませてブレスを吐いた。しかしその凶悪な息は一行の正面に立ち昇った竜巻に吸い上げられ、上空で霧散した。
「あれは…… アークデーモン?」
竜巻を操るアンナが金色の眉をひそめ、バァバに意見を求めた。
「確かに似ているが、チト違うね」
「地下から?」
「いや、そんなはずはない。外からだろう」
「外……」
「そう」
「どこから?」
「アタシに聞かれても困るよ」
「確かに。正体不明の存在ってわけね」
「その竜巻で暫くアイツの動きを止められるかい?」
「ええ。巻き上げる?」
「いや、地上で」
「短時間なら」
「ヒヒ…頼むよ。飛ばれないように注意」
「わかってる」
アンナは集中し、デーモンを竜巻で呑み込んだ。

(バァバ、アンナ、サヨカ、バテマル、セラド、それにワシ…… これなら勝てる)

バグランは確信した。素早く状況判断を済ませ、各自に指示を出そうと―― しかし先に口を開いたのは…… バァバである。
「エー、コホン。指示を出します…ヒヒ。サヨカは後ろでトンボの治療を。アンナはブレスとスペルを阻止。攻撃はバテマルから。アイツの右脇腹を叩いてブレストプレートにヒビを入れる。左の脇腹と鳩尾の亀裂… お前さんがやったんだろう?」
「そうだ」
「ヨロシ。アレと同じ要領で右の脇腹も。その後、バグランとセラドは両脇を ”縦” に斬っとくれ。ヒビを利用して鎧の左右をパックリ割るんだよ。仕上げはアタシに任せとくれ」
バァバの指示に、バグラン以外の全員が頷いた。
「バグラン、理解できたかい? 攻めの役割は大事だよ」
「あ、うむ… ああ。しかし何故そんなまどろっこしい手を? 首を刎ねればいいだろう」
「奇跡が起きるか、試すのさ」
「奇跡?」
琥珀色の左眼を光らせながらバァバが頷く。
「そう。あのブレストプレートがクサイ。あれは呪い」
「呪い?」
「スペシャルパワーのね。装備した者を蝕み、その肉体を乗っ取る……」
「なに? 元はデーモンじゃないってことか? じゃあアレをぶった切れば助かるんだな?」
「奇跡、って言ったろう? 人間の気配は微かに残っちゃいるが、理性の欠片も無い。解呪のスペルは手遅れ。助かる見込みはゼロに近く…… 残るは強硬手段のみってハナシ」
「フム。だがやってみる価値はある、と」
「そう。お前さんもアタシも、たまには善行を積まないとね…ヒヒ」
「オレは一日一善、毎日一杯。欠かしてないぜ」
「お喋りバードはお黙り。調子こいてしくじるんじゃないよ。必要以上に力が加わるとマズイから強化系の演奏も不要」
「ケッ、そうかい…… じゃ、さっさと始めようぜ」
前衛にバグラン、バテマル、セラドが並び立った。
後衛にアンナとバァバ。
さらにその後方でサヨカがトンボの治療を始めていた。
「ゥゥゥヴォォォアアア!」
力を溜めていたデーモンが腕と翼を広げて竜巻を消し去り、次に狩る獲物を品定めするように目を忙しなく動かした。
「……で、脇腹を縦に斬るってかなり難儀じゃが、誰か妙案は」
バグランがデーモンを見据えたまま言うと、バァバが答えた。
「コレに任せてみようじゃないか…クク」
バァバは手にしていた【ガルガンチュアの骨杖】を勢いよく宙に放った。杖は空中…… デーモンの頭上でピタリと制止し、杖を包むようにドス黒い球体が生じた。バチ、バチと雷を纏いながら暗黒球体は膨らみ…… その内側から球体の淵を掴むように大きな手が覗く。
「ゴルルルァァァァァァッ!」
空中に ”出現” したのは、身体のあちこちに黒いボロ布と錆びた鎖を巻き付けた巨人だった。その巨人は異様に太く長い両腕を振り上げ、両拳を組み、落下の勢いを乗せ―― デーモンの頭頂部にダブルスレッジハンマーを見舞った。隕石が落ちたかのような一撃を受け、膝を突くデーモン。巨人は見た目から想像できぬ速さでデーモンの背後に回り、羽交い絞めを決めた。両腕を封じられて怒り狂ったデーモンは大きく息を吸って胸を膨らませる。だがブレスを吐かんと大きく開いた口に、拳大の氷塊が次々と撃ち込まれた。
「ガーガー騒いで喉が渇いたろう。たらふく食え」
天候を操ることを得意とするアルケミスト―― アンナが生み出した小雲から指向性の雹が次々と発射され、ブレスとスペルを一遍にインタラプトする。すかさず猛進したバテマルがハンマーを両手で握りしめ、全身を独楽のように高速回転させながらデーモンの右脇腹を打った。
「ガガィシジオオゴボォォォ!」
口腔に氷を詰め込まれたままデーモンが悲鳴を上げる。横に吹き飛びそうになる巨体を、ガルガンチュアが負けず劣らずの体格でもって押さえつける。
「同時に行くぜ。俺は向かって右、アンタは左」「フン。お前こそ遅れるなよ」
それぞれの得物を構えたセラドとバグランが同時にスタートを切った。狙うは…… 羽交い絞めにされて剥き出しの、脇腹。
「そーら、よっと!」「ムゥン!」
脇の下から腰まで、一刀両断。バキンッ、と鈍い音が鳴り、ブレストプレートが割れて緩んだ。
「でー? 最後はどうするんだバァバ!」
飛び退いたセラドが叫ぶ。両肩の接合部が無事である以上、左右の脇を切断しても自然にブレストプレートが脱げるわけではない。
「こうするんだよ…クク」
羽交い絞めを解いたガルガンチュアがブレストプレートの前面部を掴み、一息に捲り上げた。癒着していた胸、腹の皮膚が鎧と共にミチミチと剥がれ、デーモンの胴体前面が露になる。ガルガンチュアはその手を緩めず、パッカリと縦に開いたブレストプレートを強引に脱がして放り捨てた。
「ゴバァァアアアアアアァアァァァ!」
デーモンの絶叫。その全身から高熱の蒸気が大量に噴出し、全員の視界を奪う。
「アチ! アッチ!」「どうだ?」「やったか」
「警戒を解くんじゃないよ! アンナ!」
言われるより早く、アンナが竜巻を生んで蒸気を巻き上げ始めていた。たちまち視界が開け、デーモンがいた場所に―― 白い杖。そして小さな子供が倒れていた。
「え……? 嘘だろ?」
セラドが唖然とした表情で子供を見下ろす。バグランが駆け寄り、そっと身体に触れた。
「……生きてるぞ」
その一言で、トンボの治療を終えていたサヨカが駆け寄る。
「ヒヒ…奇跡。見た感じその子、他のスペシャルパワーをいくつか与えられていたようだね。ブレンド…… マイナスだけじゃなく、プラスも。そのおかげで肉体が持ち応えた、ってところか…… 運がイイ」
「助かるんだな」
安堵で力が抜けたような顔を浮かべ、バテマルが座り込んだ。
「肉体はね。精神はまだ様子を見ないと何とも」
「こんな小せぇのがあんなバケモノになるたぁなあ。恐ろしいぜ…… しかしよ、オレはひとつ腑に落ちねぇ」
セラドが全員の顔を見回しながら続ける。
「……このガキンチョがひとりでやったのか? ブリングアウトってのが必要なんだろ? それにそんなアイテム幾つも持ってるもんかね……」
バァバが首を振って否定した。
「なわけない。デーモンみたいな奴がいるってことさ。人間を実験道具にするような」
「なんだよそれ。許せねぇな。探してぶっ殺そうぜ」
「ま、いずれ天罰が下るさ」
「いずれ、って……待ってられるかよ」
「急かさない、急かさない。それは明日かもしれないよ?…クク」

◇◇◇

翌日。
バテマルに討伐の話を聞いた夫婦は、南西区画に戻っていた。”アレ” がいた辺りのボロ小屋の多くが、爆風を浴びたように全壊している。
「しかしあのバケモノを倒しちまうとはな」
「ええ……この集落の住民がバケモノに見えてくるわ」
「遺体、残ってるといいな。それに……カタナも」
「そうね……。この状況だと家の荷物も心配だわ。家の結界が破れていたら… 盗まれていやしないか……」
「きっと無事さ。またあちこちで売りさばく頃合いだな。旅の始まり……」
「ええ。早くこの集落から離れたいわ」
解放済のアイテムばかりを一か所で売却すると怪しまれるため、夫婦はいつもあちこちの国をまわって金に換えていた。特にアイテムの収集場であるドゥナイ・デンでは目立つことを避け、武具屋を使わずにいる。
「あっ、ねえ、あれ!」
「おお! まさか残っているとは…おや?」
駆け寄ってカタナを拾い上げたレンジャーが、隣に落ちていた指輪を摘んだ。
「指輪? ……しかもデッケェ宝石がついてる」
「なに? なにそれ! ちょっと貸して」
ビショップがひったくるように奪い、太陽の光にかざす。
「凄いわ……。しかも私に…ピッタリ」
指輪をはめ、ウットリとするビショップ。レンジャーが訝しんだ。
「何でこんな所に落ちていたんだろうか」
「知らないわよ。神様からの贈り物じゃない? 塞ぎ込んでいる私への」
「ふむ…… あっ!」
レンジャーの手元からカタナが離れた。まるで何かに引っ張られたかのように地面に落ちたカタナが、今にも倒壊しそうな廃屋に向かってスルスルと這ってゆく。
「なんだ、クソ!」
「ちょっと何やってんのよ」
「知るか! 勝手に落ちたんだ!」
罵り合う夫婦がカタナの向かう先―― 廃屋の入り口に目を向けると、その陰からニョキリと皺だらけの手が1本突き出た。2人に向かってかざされた手が白く発光し――
「何よあ…」「何だあ…」
けたたましい爆発音が大気を震わせる。夫婦は木っ端微塵になってこの世から消え去った。
「その宝石は地獄の審問官への手土産だよ。腹一杯拷問してもらえるようにね…クク」
糸を手繰り寄せてカタナを拾ったバァバが満足そうに笑った。

◇◇◇

暖かい日差しに照らされた診療所のベッド。その傍らに、3人の女が立っていた。アンナ、バァバ、そして宿屋のテレコ。横たわる子供の目線とさほど変わらぬ背丈のテレコが張りのある声で話し掛けていた。
「大変な目に遭ったんだろうね……。声が出ないことも聞いた。でも特別扱いしないよ! うちの娘らより大きいんだ。お兄ちゃんとして宿屋の仕事をキッチリ手伝ってもらうからね! ハハハ」
言い方は厳しいが、控えめに顎を引いて頷く子供を見つめるテレコの表情は優しさに溢れていた。隣のアンナが説明を加える。
「名前はジャン、だそうだ。声は戻るかもしれないし、戻らないかもしれない。筆談はもっと練習が必要だな」
「ジャン。いい名前じゃないか! あと数日でここを出られるって話だからね。それまでしっかり休むんだよ? 宿屋の家族が楽しみに待ってる」
ジャンは不器用にはにかんだ。しかし幼顔の目にはまだ、怯えと不安が入り混じっている。
「ヒヒ…安心しな。もう酷い目に合うことはない。アイツらはもういない」
ジャンが目を丸くしてバァバを見つめる。バァバは「そうだよ」と呟きながら深く頷き、一振りのカタナを置いて去った。

◇◇◇

ひとり宿屋を出たバァバに声を掛けたのは、外で待っていたバテマルだった。軒先のベンチに座っていたバグランとトンボも腰を上げる。セラドは「ガキはニガテ」と言って同行しなかったが、いつでも ”真犯人” を狩りに行けるよう、酒を控え目にしていることを全員が知っていた。
「容体は」
「問題無し。心配だった精神面もね。心の傷が癒えるには長い時間が必要だろうけど」
「そうか。それは良かった。そういえばあの夫婦が訪ねて来たぞ。言われた通り…… 子供が助かったことは伏せておいた」
「知ってる。助かったよ。もう片付いたから大丈夫…クク」
「片付いた?」
バグランが片方の眉を上げる。察した様子のトンボが言った。
「因果応報…… 私の故郷の言葉だ。善い行いは善い結果を、悪い行いは悪い結果をもたらす」
「ヒヒ…いい言葉。海の彼方のヴィ=シャン…… 行ってみたいねぇ。美しい自然とブシドー精神ってやつに満ち溢れた素敵な国って言うじゃないか」
「フン。今は戦乱が絶えぬ…… 血生臭い場所でしかない」
「それはそれで興味をそそられるじゃないか」
「根っからの商売人だな」
「クク…まあね…… 副業がいつの間にか本業になっちまって困るよ」
「そうなのか? 困っているようには見えないが。それはそうと、シャツとベストの手配を頼めるか? 気に入っていたんだ。……サムライらしくない、などと言うなよ」
「ヒヒ…マイド。お安い御用さ」

【第3話・完】

【第4話に続く】

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