ダンジョンバァバ:第3話(前編)
【目次】
闇に紛れてドゥナイ・デンを歩く4つの人影。今は誰も住み着いていない北西区画を経由し、人目を盗むように集落を離れた一行は、時折背後を確認しながら西の山間部へと向かった。月の光を頼りに枯れた大地をしばらく歩き、通い慣れた小さな洞窟へと足を踏み入れる。すすり泣くような風の音に乗って、洞窟の奥から強烈な悪臭が襲ってきた。
「う、クッセェ! オイ前回ちゃんと掃除したのかよ!」
怒鳴った少年サムライは顔をしかめながら手の甲で鼻口を覆い、先頭を歩くシーフに膝蹴りを見舞った。大きな荷物を背負わされていたシーフは唐突に尻を打たれてよろめき、灯したばかりの松明を取り落とすまいと踏ん張った。
「イデッ! オ、オイラは言われたとおりやったよ!」
「ホントかぁ? ボクたちが先に帰ったからって手を抜いたんじゃないのか? ア? そうだろ?」
「そんなことないよ。そんなに疑うなら自分で掃除すればいいのに……」
「あぁ!? ボクが? なんだって?」
「な、なにも。オイラはちゃんと掃除した。そう言っただけ」
尻をさすりながらボソボソと答えたシーフの顔つきは、年端もゆかぬ少年サムライより多少は成熟しているが、それでも青年と呼ぶにはまだ早い。
「死んでるなこりゃ」
後ろにいた髭面のレンジャーが確信めいて言うと、2人は同時に振り返った。
「え! 死んだの? ホント!? 」「エッ……」
怒り一転、目を輝かせた少年サムライは続きの言葉をせっつく。シーフは顔色と言葉を両方失ったまま動かない。
「ああ、こりゃ腐った死体の臭いだ。なあママ」
深く頷いたレンジャーが隣に立つ中年の女ビショップに話を振ると、彼女は無感動な顔で答えた。
「そうね。パパの言う通り。さ、歩いて。危ないから前を見なさい」
4人はふたたび歩き出した。
「死体って腐るとこんなクサイんだね! パパ詳しい!」
「ハハハ。血の臭いとはまた違うだろう? ダンジョンは涼しいエリアが多いし…… 死体が長く残ることも滅多に無いからな。お前がまだピンと来ないのも仕方がない。真のサムライを志す男児として経験しておきなさい」
「楽しみ! ……ホラ、ボーッとしてないで早く行けよ」
少年サムライは嬉々とした表情でシーフの背中を突き飛ばし、サイズの合わない甲冑をガチャガチャと鳴らしながら歩調を早めた。洞窟はそれほど深くない。目的の行き止まりまであと少しだが、我慢できずといった様子の少年サムライがふたたび背後の両親に声を投げた。
「ねえ! どっちかな? やっぱり父親かな? 子供の方はまだ大丈夫そうだったよね」
「今回は4日も間が空いちゃったから…… 両方かもしれないわよ?」
「ウヒョー」
半笑いのママビショップが意地悪く言うと、少年サムライはおどけるように身をすくませて満面の笑みを浮かべた。つられたパパレンジャーも「それはそれで困るな」と口を挟んで獰猛に笑う。シーフは何も考えまいと俯き、ゴツゴツとした足場を1歩、また1歩と進んだ。
―― ここはどの王国領にも属さず、半ば歴史から忘れ去られていた不毛の地、セイヘン。ある放浪者がセイヘンでダンジョンを発見したのは、1年と4ヵ月前のことだった。ダンジョンの上に建つ修道院。それを囲むように遺棄されていた小さな小さな廃村…… 数世紀前のものと思われる名無しの集落は、いつしかハンターたちの間でドゥナイ・デン(=儲けの地)と呼ばれるようになった。
◇◇◇
第3話『正体不明の存在』(前編)
「おや珍しい。ノーマル・アイテムのクセにスペシャルパワーが眠ってるね…ヒヒ」
「エッ!?」
町はずれで拾ったボロ指輪なのに、と喉まで出かかった眉太のプリーストは、コホンと咳ばらいをして平静を装った。
スペシャルパワー。AFFIXとは別に、一部のアイテムに秘められた潜在的な力。スペシャルパワーを解放するには、経験を積んだビショップ、シャーマン、あるいは鑑定のスペシャリストが、装備者に対して ”詠唱” ―― 『ブリングアウト』と呼ばれる簡素な儀式を行う必要がある。
「そのアイテムにスペシャルパワーが秘められているか否か」を鑑定できるのは、ブリングアウトを会得している者だけである。故に、鑑定の機会に恵まれないハンターがそうと知らずに手放す例も少なくない。
しかし、もし「スペシャルパワーがある」と判り、「解放できる」としても、事前に―― つまり実際に解放する前に「どのような効果なのか」を見抜く眼を持つ者が ”この上なく稀有” という問題が残る。そのことから、半ばギャンブル的にパワーを解放する者もいるが、リスクも大きい。なぜか? ……それはスペシャルパワーがアイテムや所有者に対して「必ずしもプラスの影響を与えるとは限らないから」である。多くの場合はアイテムそのものが強化されるが、時には絶望的なマイナス影響をもたらすこともある。小さな影響にとどまる物もあれば、絶大な影響を及ぼす物もある。そしてその対象は ”アイテム” とは限らず…… ”所有者” を強化、変化、劣化、最悪死亡させる可能性もあるのだ。さらに言えばごく稀に「解放するとアイテムそのものが消滅してしまう」例もある。だから大半の所有者は風の噂で「”見抜く者” があの町に現れた」と聞けば、例えそれが噂であろうと何日も馬を走らせてその地を訪れるのだ。
(酒代の足しなればくらいに考えていたのに…… 僥倖!)
「そ、そうですか。そんな気はしていたんですよ。へぇ、やっぱり……」
「ああ。しかもまずまずの……ヒヒ。50000イェン」
「50000イェン!? ……ま、まあ悪くない額、ですね。50000かぁ。んー売っちゃおうかなぁ。でもどんなスペシャルパワーなのか気になるし……」
「アンタ勘違いしてないかい?」
バァバは椅子に座ったまま、カウンター越しにプリーストを睨み上げる。
「勘違い?」
「50000イェンはスペシャルパワーの効果を見抜くための代金。不明のまま売るなら100イェン」
「えぇ!? ……おかしくないですかそれ」
「クク…おかしくない。全くおかしくない。例えばこの指輪。コイツはスペシャルパワーが不明のままなら ”ただの輪っか”。役立たず…… ポイさ。アタシなら使い道があるから100イェン出すってだけ。つまりスペシャルパワーが判明して初めて価値が生まれる代物ってこと」
「そう…ですか。というか、見抜けるんですね…… スゴイ… 初めて見た。でもその、50000イェンって額の根拠は……」
「感じるのさ。秘められたパワーの強弱をね。それによって料金を変えさせてもらう。アタシも精神力を使うからタダってわけにはいかない。でも良心的だよ? パワーの有無はこうやって教えてあげているわけだから…ヒヒ」
「なら50000ということは…… 結構スゴイってことですか」
「それなりだろう。保証はしないよ。詳しいことは覗いてみないと何とも」
「50000イェン……」
プリーストは頭の中で所持金を数えていた。ここ最近は稼ぎが良かった。十分な額がポーチに入っていることは間違いない。
「するの。しないの」
「し、します」
「マイド」
「…………」
「…………早く金を出しな。先払い」
バァバが人差し指でカウンターをトントンと突いた。
「え? あ、すみません」
「マイド。…お、10000イェン札じゃないか。有難いね…ヒヒ。……ハイ、確かに50000イェン」
紙幣を箱に収めたバァバは、カウンターに置かれていた指輪をヒョイと摘まみ上げ…… ブツブツと何か古代語らしき言葉を呟き始めた。パサついた髪に隠れていた左眼が露になり、その琥珀色の虹彩がまるで指輪を射抜くかのように鋭く光る。プリーストは息を呑んでその様子を見守った。
「…………はい、出ました。【爆発】だね」
「ば、爆発ですか。まさか爆発スペルが使えるようになる…… とか!?」
「いいや、身に着けてる奴をドカン」
「は?」
「解放…… ブリングアウトは、所有者が身に着けた状態で行うだろ? で、解放したら数秒でドーン。このパワーなら指先どころか全身が木っ端微塵だろうね…ヒヒ。楽しそう」
「はあ? な、なんですかそれ! 楽しくないですよ! 最悪じゃないですか! そんな役立たずのスペシャルパワーに50000イェンも払わされたんですか!?」
「価値の有無は人それぞれ。返金は無しだよ。要らないなら買い取る。35000イェン」
「えぇ? 払ったのは50000イェンですよ!?」
バァバが親指を立て、『当店のルール(絶対)』と書かれた張り紙を指す。プリーストは太い眉毛を限界まで中央に寄せ、口汚く罵りの言葉を吐きまくった。……がしかし、アッサリとバァバに言いくるめられ…… 渋々35000イェンとボルを掴んで店を出て行った。
静寂が戻った狭い店内。バァバはカウンター上の指輪を弄び…… 歯を剥き出して笑った。
「やれやれ。バカだねえ…… 悪いコトに使えるのに…クク」
◇◇◇
天井と四方を鉄柵で囲まれた檻。大人が立ったり寝たりするにはやや窮屈な檻の中で、背中を丸めて転がっていた男は確かに死んでいた。落ちくぼんだ目は白く濁り、ポッカリと開いた口は黄色い歯を何本か覗かせたまま動かない。長い白髪はほとんど抜け落ち、丸裸にされた皺だらけの全身に浮き出ている無数の染みを上書きするように、腐敗特有の皮膚変色が進んでいた。表皮の一部には液体とガスを溜め込んだ水泡が見られ、小動物に齧られたと思われる箇所は真皮が露出している。この死体がすえた臭いの発生源であることは、誰の目にも明らかだった。
「うわ! ホントに死んでる! クッセー! ウンコもションベンもクセ―けどもっとクセ―!」
少年サムライは顔をしかめながら檻の前に駆け寄り、珍品を観察するように前後左右から死体を眺めた。好奇心旺盛な息子を微笑ましい目で見守っていたパパレンジャーが、少年サムライの隣にしゃがみ込んで言った。
「排泄物の臭いと混じるとなかなか強烈だな。……だが脂肪がもっとついていたらこんなもんじゃないぞ?」
「ウエー。死因は? ねえ、死んだのはナンデ?」
質問されたパパレンジャーは少年サムライの肩に手を置き、「ほら」と一緒に天井を仰ぎ見た。数人が肩車すれば届きそうな天井にあいた大きな穴から、月明かりが差し込んでいる。
「見なさい。洞窟内とは言え…… ここは昼になれば強い日差しがあたるからな。ここ数日は暑かった…… そして」
言葉を切って指を差した檻の隅には、ひび割れた木製の容器がふたつ転がっていた。
「水がカラだ。餌はとっくに食べきってしまっただろう。侵入の形跡や人為的な外傷が見当たらないのも大事なポイントだぞ?」
「観察力……! 観察力だね!」
「ああ。サムライにも観察力が必要だ」
「うん!」
「さ、2人ともその辺にして。始めましょう。準備は?」
ママビショップがパン、パン、と手を叩いて2人を立ち上がらせ、シーフの方へ振り返った。
「できました」
シーフは到着してすぐに所定の場所に荷物を下ろし…… 3人の背後で、その中身をひとつひとつ並べ終えていた。いつもより長く、深く潜っていたこともあり、今回は特に数が多い。
「ねえママ、コイツも父親の時みたくヨボヨボになるのかな?」
「どうかしら。父親の方は運が悪かったけれど…… 若返ることもあると聞くわ。どちらも滅多に無いことだから気にしないでやりましょう」
親子の会話につられ、シーフは見ないようにしていた方向を見てしまった。もうひとつの檻の中で膝を抱えて座っている子供―― シーフや少年サムライと同じ年頃の男児と目が合う。いや、目が合ったとは言えないかもしれない。砂埃にまみれた髪越しにシーフに向けられていた目は虚ろで、焦点は合っているのか? 意識はあるのか? ……シーフには分からなかった。その檻に近づいた少年サムライが、鉄柵を掴んでガチガチと揺らす。
「なあオマエ、父親が死んでどんな気持ち?」
「…………」
檻の子供はピクリとも動かずに放心している。
「なあ? ねえ? ……何とか言えよコラ!」
癇癪を起した少年サムライが檻を激しく蹴って、怒鳴って、また蹴った。
「放っておきなさい。自我崩壊を起こしているのよきっと」
たしなめたママビショップは、シーフが丁寧に並べた品々を満足そうに眺め―― その中からひと振りのカタナを選び取り、少年サムライに見せつけながら言った。
「まずは、これ」
「ヤッタ! クゥーッ楽しみ! ヤッタ、ヤッタ、ヤッタ! 早く! ハ・ヤ・ク!」
少年サムライが狂ったように大声を上げて手を叩く。
「真のサムライにはそれに見合ったカタナが必要だからな。楽しみだ」
息子の頭をクシャクシャと撫でながら、パパレンジャーも期待に満ちた顔で言った。
どやされる前に動いたシーフはママビショップからカタナと鍵を受け取り、俯きながら檻に歩み寄る。施錠を解き、膝を抱えて座っている子供の右腕をためらいがちに掴み―― その手にカタナを握らせた。何の抵抗もなかった。目を合わせないよう顔を伏せたまま後ずさり、檻から出てふたたび施錠する。檻から十分に距離を取ってこちらを見ていた3人の位置まで戻り、下唇を噛みながら地面を睨んだ。
「さて」と呟いたママビショップは左手に杖を握り、いくつかの単語を律動的に発声した。子供に向けてかざした右手が白く発光し―― 最後の一言を口にする。
「―― ブリングアウト」
◇◇◇
「しかし今日は外れが多かったな。特に…… あの鎧。まさか脱げなくなるとは。効果も一体何だったのか……」
洞窟の出口に向かいながら、パパレンジャーが腑に落ちない表情で呟く。繰り返される夫の独り言にウンザリした様子のママビショップが冷たく答えた。
「さっきも言ったでしょう? きっと呪いの一種。私でも解呪できないレベルの。放っておけばいいのよ」
「無人チャンバーの宝箱に入っていた鎧だよな。何階だったか」
「13」
「そうだ、13階。アイツがあれだけ開錠に苦戦したから…… かなり期待したんだがな。宝箱の見た目も珍しかった」
パパレンジャーは言いながら、先頭を歩くシーフを見た。
「遅効性のスペシャルパワー…… という可能性もあるわ」
「それはそれで見たことがないな。大発見かもしれん」
「ええ」
「やっぱりこの方法が一番だとつくづく思うよ。金もかからない。身の危険も無い。明日また様子を見に来よう。……ま、死んでるかもな」
「ええ、そうね」
言葉を交わす両親の前方で、少年サムライは嬉しそうにカタナを振り回していた。ハーピーの羽を振るように軽々と操られた刃が風を斬り、ピュンピュンと音を立てる。
今回の ”解放” は外れも多かったが、大当たりと言える収穫もあった。パパレンジャーは息子の後ろ姿を眺め、満足そうに頷いた。
「まさかカタナがあんなに軽くなるとはなぁ」
「ええ。素晴らしいスペシャルパワーだった。あとは兜でも被れば完璧にサムライね」
「ハハ、まったくだ…… おい! 振り回して怪我しないように! 気を付けなさい」
「うんワカッテル! これでボクも戦える…… たくさん殺すぞぉー!」
ウッカリ自分を斬って死ねばいいのに、と考えながら黙々と先頭を進んでいたシーフは、出口が見えたところで振り返り、3人に言った。
「では、オイラは戻ります。これを」
ブリングアウトを済ませた品々が詰まった袋をパパレンジャーに渡す。残りの荷物―― 3人が ”餌” と呼ぶ食料、牛の膀胱で作った水筒、掃除用具は、儀式の場に置いてきた。「では」と別れようとしたシーフをママビショップがいつものように呼び止め、いつもと同じ指図を繰り返す。
「無理にでも食べさせるのよ。水はたっぷり飲ませて、残りは器に」
「ハイ」
「糞尿の掃除は念入りに。柵も汚れているから忘れずに。中に入る時はあらかじめ鎖で繋ぐこと。……まあ、あの様子ならもうその必要も無いかしらね」
「ハイ」
「水筒は汚さず持ち帰って。前みたいに忘れたら承知しないわよ」
「ハイ…… あの」
「なに?」
「その、アレはどうすれば…… 父親の……」
「ああ、死体? はっきり言いなさい。……途中に枝道があるわよね」
「ハイ。ちょっと進めば行き止まりの」
「そこへ運んで。窪地になっているから丁度いいわ。明日にでも油を調達して焼きなさい。この悪臭も少しはサッパリするでしょう」
「え、ハ…… ハイ」
とりあえず頷いたシーフは踵を返し、洞窟内部へと引き返す。ひとつも荷物を背負っていないのに、交互に踏み出す足が鉛のように重かった。
◇◇◇
シーフはまず、子供の檻の掃除から取り掛かっていた。檻の外側にしゃがみ込み、鉄柵を1本、また1本と拭いてゆく。
「ハァ…… やんなるよ」
食事の前にせめて身の回りを綺麗にしてあげよう、と考えたつもりが、自然と己の口をついて出たのは無神経な愚痴だった。
「あ… ゴメン。キミの方がずっといやだよね」
恥じ入って顔を伏せたシーフは、身動きひとつ取らぬ子供を上目でチラと盗み見た。正面奥の柵にもたれ、こちら側にダラリと両足を投げて座り、今は眠ったように目を閉じている。先ほどまで全裸だった胴体は、鈍く光る鉄色のブレストプレートに覆われていた。着せた時にブカブカだった金属のそれは、今や彼の肉体に吸い付くようにピタリとサイズが合っている。
「あのね、オイラも……そうだったんだ」
シーフは、目の前の子供に過去の自分を重ねていた。かつて実験台にされていたひとりの少年がシーフの能力に目覚めたように、スペシャルパワーで何かしらの奇跡が起きれば…… 狂った夫婦がどこからか調達してきたこの親子も…… 「役に立つ」という理由で助かるかもしれない。そんな風に、どこか自分の行動を正当化していた。だが現実はどうか? 今やその親子の片方は目の前で腐り、恨めしそうに悪臭を放っている。
「しょうがないんだ……。どうすればいいって言うのさ……」
「逃がシテくレレばヨ、か、タ」
「それは考えたさ! 考えたけ…… え?」
シーフが咄嗟に顔を上げると、子供の瞼が開いていた。両目に真っ暗な穴…… 眼球が無い。いや、ある。黒く丸い瞳がヌラヌラと光っていた。
「あ、キミ、あ、え……」
ブレストプレートからジュルジュルと染み出した鉄色の粘液が、子供の四肢の色をたちどころに染め変えていった。シーフが口をパクつかせている間に頭の天辺から足の爪先まで黒一色になった子供は、もはや子供とも大人とも…… 人間とも呼べない大きさに成長していた。座ったままゴキ、ボキと音を立てて巨大化を続ける ”その存在” は、天井の鉄柵を掴むと…… まるで鍛冶屋の炉に放り込まれた鉄を扱うようにグニャリと曲げ、おもむろに立ち上がり、外へと躍り出た。尻餅をついたままズルズルと後ずさっていたシーフの前に立ち、覆い被さるように顔を近づける。
「ヒッ! た、たす、た…… うわ、何? ペッ、ペッ」
真っ黒な眼球から鱗のような表皮がペリペリと剥がれ、シーフの顔に舞い落ちた。露になったのは…… 黄金色に輝く眼球。そしてその瞳の中央に走る縦長の黒い瞳孔。今回は焦点が合っていた。シーフにピタリと。シーフは「助けて」と短く言って目を瞑る。
ズゥゥー、と大きく息を吸う音が洞窟に響き――
「ヴァァァァァァァァァァ!」
正体不明の存在が、咆哮とともにブレスを吐いた。至近距離で灼けるような突風を浴びせられたシーフは毒に侵された。麻痺した。石化した。そして最後に砕け散った。
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