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ダンジョンバァバ:第9話(後編)

目次
前編

報せを受けたバグラン、バテマル、ジアームの3人が医療用の大部屋に飛び込むと、清潔で足の短いベッドがいくつも並ぶ広い室内…… その隅、その一か所だけが騒然としていた。
「どなたか、どなたか使者を! ドゥナイ・デンに、バーバリアンのバテマルに、故郷、ラウラの危機を…… 使者を!」
「これ! じっとしとらんか! あーもう意識を戻さなきゃよかったわい!」
革手袋に革エプロンのドワーフ医師が傷を処置しながら怒鳴りつけ、周りのドワーフが4人がかりでバーバリアンの巨体を押さえこむ。医師の両脇では2人のプリーストが詠唱を続けている。
「ダイカ!」
駆け寄ったバテマルが叫ぶと、ダイカと呼ばれた男は目を見開いた。
「…………バテマル? バテマル! なぜここに」
「それはいい。私はここに。一体何が」
バテマルは膝を突いてダイカの手を握り、ゆっくりと、安心させるように問いかけた。バテマルの顔を見たダイカは少しばかり落ち着きを取り戻し、苦痛に顔を歪めながら喋りはじめた。チャンスと見た医師は手際よく処置を施しつつ、周囲のドワーフに手振りで指示を出す。
「ボーバーの奴らが、また攻めてきた。海岸の防衛線は突破され…… 湾に近い村から順に、次々と落とされている」
「奴らが? 早すぎる。だがこちらの対策も万全のはず」
「ボーバー王の息子を名乗る男が兵を率いて上陸…… 我々では歯が立たず。族長らはクルタで迎え撃つ心づもりだが、今どうなっているのかは……」
「王の息子? 馬鹿な…… 臆病者の王にそんな子が」
バテマルの声に動揺の色がまじり、太い眉の下で視線がさまよう。
「その狂戦士、武力凄まじく…… 私もこのざま。どうか、奴を、バテマル」
「任せろ」
バテマルが手を強く握ると、ダイカは安堵の表情を浮かべて目を閉じた。
「おい…… ダイカ?」
「安心しなされ。また気を失っただけさね」
医師が脈を取りながら言った。
「頼んだぞ。大事な客人だ」
傍らでやり取りを見守っていたジアームは言いながら医師の肩を叩き、周囲のドワーフたちにひとつだけの瞳を向ける。

◇◇◇

大股で部屋を出たバテマルはどこかに向かおうとするが、勝手の知らぬドワーフの地下都市でどうしたものかと一瞬足を止め、思案する。追いついたバグランとジアームは目配せを交わし、バグランが彼女の前にでた。
「なあ、バテマルよ。お前さんの故郷が危機的状況ってのはなんとなくわかった。緊急事態だろうが、チト話してはくれんか」
眉根を寄せ、口を真一文字に結んでいたバテマルは、己の臍ほどまでしか背丈のないドワーフを見下ろした。
「行かねば」
「だろうな。だがどうやって」
「私とお前がドゥナイ・デンから来た時と同じ。大山脈のほとんどは霊峰の複雑な魔素によってゲートがまともに使えない。ここからしばらくスピリットウルフで森を走り、ゲートを開ける場所からイシィ=マーに飛ぶ。そこから故郷…… ラウラまでは、山ひとつ」
「ふむ。……だが考えてみろ。ラウラの正確な位置は知らんが、いくらあの蒼き狼でもすぐにたどり着ける道程ではなかろう? ダイカとやらがモリブに来るまでに要した時間も踏まえりゃ、そんな悠長なことは言ってられん」
「だから急いでいる……! 他に手はない。大山脈に生きる我々だろうと、エルフの賢者であろうと、ノームの大魔法使いであろうと。自然のルールには逆らえない」
バテマルが珍しく感情を表に出す。対するバグランは冷静にその言葉を受けとめ、三つ編みにした赤毛の顎鬚を撫でながら言った。
「そのルールを無視できるとしたら、どうだ?」

―― ここは、カナラ=ロー大陸の西端。北に向かって連なる大山脈の、始まりの地。ミスリルを託されたバテマルは、バグランの故郷モリブを訪れていた。

第9話『モリブ山のドワーフ』(後編)


「自然のルールを無視? どういう意味だ」
バテマルが訝しんでバグランを睨みつける。
「ここから一刻ほどでイシィ=マーに行ける方法がある」
「そんなものが」
「あるんだなぁ。このモリブ山には」
ジアームが割って入り、バグランの隣に並んだ。
「ではそれで――」
「まあ落ち着け。急がば回れ…… この作戦を成功させるためにはいくつかの情報と、お前さんの同意が要る。だからちぃとばかし話を聞かせてくれ。なんせバーバリアンは北に篭って多くを語らんからな。300年以上も生きとるワシやバグランですら知らないことだらけだ。バグラン、お前の家を借りていいな?」
「おう。ま、バーバリアンにしてみりゃ赤子部屋も同然だが」

◇◇◇

3人は1階から上へと伸びる階段をのぼり、4階の足場を壁沿いに進んでいた。先頭を歩くバグランは途中いくつかの住居を通り過ぎ、「ここだ」と言って扉を押し開く。
「掛けてくれ」
身を屈めてバテマルが中に入ると、そこは居室だった。すぐに灯されたいくつかの燭台が、ゴツゴツとした岩壁を照らす。中央にはドワーフサイズの木製テーブルと丸椅子が4つ。奥にもうふたつ部屋があるらしく、バグランはそのひとつに消えていった。酒場と違って他種族用の椅子は見当たらなかったが、バテマルは特に困った顔も見せずに大きな尻を乗せる。その正面、入り口を背にしてジアームが腰掛けると、彼女は急ぐように口を開いた。
「で、何を聞きたい。同意とは何だ」
「焦るな。順を追ってだな。バグランまだか!?」
「待て待て。えー、あー…… あったあった」
姿を現したバグランがテーブルの上に大きな羊皮紙を広げ、ふたたび奥の部屋に消えていった。バテマルの視線がその紙に注がれる。
「地図…… この大陸の?」
「そう。完全ではないがな。お前さん、こうしてカナラを俯瞰するのは初めてか?」
「ああ。……アルゴ、メンデレー、プラチナム…… ドゥナイ・デン。西側はある程度把握しているが、東側はまったく未知の世界だ。自分たちで調査したのか?」
「ドワーフには探検好きが多くてな。……だが大山脈の北の北、イシィ=マーのさらに奥となると、話は別だ。バーバリアンに追い返されるとわかっていてわざわざ険しい雪山を越える物好きはおらん」
ジアームが地図の北西部、モリブから連なる大山脈の先の空白地帯を指さす。
「で、だ。まずはお前さんの故郷の正確な位置と、敵の正体が知りたい」

――カナラ=ロー北西部、険しい山々を越えた先の一帯は古くからイシィ=マーと呼ばれ、さらに奥へと進めば海にぶつかる。海との境界線は数十マイルにわたって切り立った崖が続いているが、たった一箇所だけ、船を出せる湾が存在する。湾の周辺には、主に漁で暮らしを立てるバーバリアン族の集落が大小いくか存在し、それらが集合都市ラウラを形成していた。
そしてまだラウラがラウラと呼ばれず、集落の数も今の半数以下だった時代。北の海、未開の荒海から、一隻の大型船に乗って人間族がやってきた。船はあちこち損傷しており、乗員の何名かは重い病に苦しみ、また何名かは餓死して甲板に積まれていた。
当時のバーバリアンはそれほど強い警戒心を持っておらず、素直に人間を迎え入れた。寝床と食事を与え、病を治療し、船の修理材を提供した。その船はバーバリアンが操る漁船の数倍も大きく、初めて見る複雑な構造をしていた。
幾日か経ったある日の夜、人間たちは船内に隠しておいた武器を手に取り、寝込みを襲い、男も女も見境なく殺し、村に火を放った。体格と人数に勝るバーバリアンが体勢を立て直した時にはもう、船は沖へと逃げ延びていた。
彼らは北の荒海の向こう、名も知らぬ大陸からやって来た蛮族だった。慎ましく暮らすバーバリアンから蛮族が奪っていったものは、生命線の備蓄食糧。そして一番の宝―― 何よりも大切な子供たち。
狩猟用の貧弱な道具しか持ち合わせていなかったバーバリアンは、これを教訓にいくつかの行動に出た。鍛冶に力を入れ、ほとんど独学で強力な武具を作るようになった。必要な鉱物を手に入れるため、採掘の技術も体得した。元来有していたシャーマンとしての素質を伸ばし、いくつものスペルを操るようになった。ごく僅かではあるが、探求心の強さから人間族の王都を訪れ、珍しい素材や情報を持ち帰る者もいた。すべての行動は、脅威から土地と民を守る…… その一点に繋がっていた。
その一方で、夫や妻を殺され子を奪われた幾人かは周囲の制止を振り切り、見様見真似で大型化した船に乗って荒波に向かっていった。しかし数日後、戻って来たのは船の残骸だけだった。北の海はバーバリアンに多大な恵みを与えるが、彼らを海の向こうに導くつもりは無いようだった。
その後も蛮族…… 本人らがボーバー人と自称する存在は、長い歴史のなかで何度も南征を企て、湾に襲来する。次第に船と兵の数は増え、戦力を増してゆくが、バーバリアンの徹底した武装化と防衛作戦によってすべて失敗に終わっていた。

「――つまり北の悪魔ってのは」
太い腕を組んでじっと聞き入っていたジアームが口を開くと、バテマルはゆっくりと頷いた。
「この大陸の人間族と何ら違いはない」
「ふん…… ワシらの知らない大陸があり、人間族が住んでいる、ってか。だが目的は? そんなデカイ船を作る技術と資源があって、兵を揃える余力がある。なのに危険な海を越え、地形も気候も特別厳しいイシィ=マーを執拗に狙う…… その理由が見えん」
「正確にはわからない。ただ、奴らも何かしらの脅威に追われているようだ」
「長いことやり合っといて曖昧だな。何人かとっ捕まえて吐かせりゃいい。無理矢理にでも」
バテマルは首を小さく横に振る。
「私たちは敵を生かさない。拷問も固く禁じている。信仰によって」
「ふむ……。ま、よぉく話はわかった。その船団がまた来て、親玉の息子とやらが暴れまわり、お前さんたちは危機に陥っていると」
「ボーバー王は腰抜けだ。何度代替わりしようとも、船団の最後尾で見物するばかりで戦おうとしない」
「王ってのはそういうもんじゃないか」
「お前もそういうものか? モリブの王」
焦りのあまり嫌味を含めてしまったバテマルは、己の非礼をすぐに後悔した。正面の男の顔、眼帯に覆われた右眼の下には頬まで続く傷があり、左の瞳は蝋燭の灯りを呑み込んで赤く燃えているように見える。頭髪や髭と同じ白色一色の布服から覗く上半身には、その猛勇ぶりを示す古傷がいくつもあった。
「……すまない」
「ガッハ! 気にするな。モリブの王は穴を掘るにも敵をぶっ叩くにも最前線におらんと我慢できぬ性分。こいつには負けるが」
ジアームはニヤっと笑い、バテマルの背後に視線を向けた。つられて振り向いたバテマルは目を丸くし、素直に言った。
「お前…… なんだそれ」
そこには、モリブ最強と謳われる戦士が立っていた。癖の強そうな長い赤髪を後ろにぴったりと撫でつけ、いくつもの傷が刻まれた顔から下は、白銀に輝くプレートアーマーによって完全に覆われている。トレードマークの髭はいつもと編み方が異なり、戦闘の邪魔にならないよう工夫されていた。
「フン。この恰好で雪遊びでもすると思うか?」
バグランがムスっとした顔で言った。バテマルは鍛冶師の見事な業―― 【再生の】ミスリルアーマーにすっかり目を奪われ、上から下、隅々まで目を走らせる。
「この色と輝き…… ミスリルか。可動部の蝶番は…… なるほどこれなら…… 指先は義手の仕組みに似ているな…… この波のような打ちだしは耐久性を高めるためか? 裏側の構造は……」
「じろじろ見るな」
「ああすまない。しかし…… 素晴らしい仕事だ。一体誰が」
問われたバグランは、顎をしゃくってジアームを指した。
「ガッハ! マスター・ブラックスミスことワシの自信作よ」
ジアームが己の胸を拳で叩き、得意げに笑いながら続ける。
「お前さんも、引き受けた仕事をしっかり遂げにゃあならんぞ? よろしくな、相棒」

◇◇◇

バーバリアンとドワーフの言い合いはしばらく続いていた。
バテマルには使命があった。ラウラの族長の直下には、最精鋭の席が5つ存在する。選ばれし5傑は多くの兵を束ね、育て、最前線で戦い、時には参謀となり…… 民を守護してきた。世襲制ではないが、バテマル家からは代々その1席に座る戦士を輩出している。父親の席は、いずれ彼女に譲られるだろうと誰もが信じていた。稀代の戦士と称される彼女の武力はすでに5傑のそれを凌いでおり、彼女も期待に応えるべく鍛冶師として、シャーマンとして、戦士として腕を磨き続けているが、先々代から聞かされた一件について自分なりの答えを見つけるべく、今はひとりドゥナイ・デンに身を置いていた。しかし故郷の危機となれば一刻も早く駆けつけ、父と肩を並べて敵を打ち砕かねばならない。その役目をドワーフに委ねて自分は鍛冶に勤しむなどという行為は、家の歴史に泥を塗ることと同義であった。
一方で、バグランにも譲れない理由があった。バァバはジアームに鍛冶を頼むこともできた。だがバテマルにこだわった。そこには必ず理由がある。当然、素材の良し悪しは出来栄えに大きく影響してくるが、何よりも結果を左右するのは ”誰が叩くか” である。腕力や小手先の技術だけの話ではない。バァバはバテマルを信じ、バグランはバァバの眼を信じていた。バテマルが武具を作り、それらが厄災を討つ ”戦士たち” の支えとなり、カナラ=ローに100年来の安寧が訪れる、と。
ジアームも、かつてヤコラの要請を受けて兵を率い、ドゥナイ・デンの激戦を生き延びた者として、バグランの考えに賛成していた。今はひとりのバーバリアンの感情ではなく、種族の垣根を越えて最善の手を打つべきである。今のラウラを救い、将来の大陸を救うために。
――最終的に、バテマルが折れた。彼女はモリブの戦士に故郷の命運を託し、引き受けた仕事を全うすることに同意した。猶予は無く、5傑最強のダイカですら止められぬ敵が迫っている。助力を申し出てたバグランの武力はバーバリアン最強のバテマルを優に上回り、”ラウラへの特急券” は彼らにしか使えない。

◇◇◇

「最短で火艇を出す! 総員準備にかかれ!」
話がついてすぐ、ジアームはバグランの家の伝声管を通じて号令を下した。それから白髪の王と赤毛の戦士は、バテマルが描き加えた地図の上に何度も紐を張りながら会話を交わし…… 「いくぞ」と言って通路に出た。バテマルが後ろに続く。先ほど使った階段で5階にあがり、西側に向かってぐるりと通路を歩いてゆくと、大きな格子状の鉄扉が見えた。扉の左右に、ひとりずつドワーフが立っている。3人に気づいた彼らは、扉を開けながら状況を報告した。
「大盾兵とメイジはすでに準備できています」「種の充填も間もなく」
「おう、早いな。助かる」
ジアームは小さく頷き、部屋の中へと足を踏み入れる。続けてバグランとバテマルが部屋に入り、扉が閉められた。ジアームが壁のレバーを引き上げると、ガコン、と足元が揺れ…… 部屋そのものが長い長い上昇をはじめた。

◇◇◇

リフトを降りたバテマルは、事前に話を聞いていたとはいえその ”実物” を見て絶句した。
やたらに広い空間。その中央あたり。先端の尖った円柱形の筒が、台座の上で水平に横たえられていた。金属製だが継ぎ目はほとんど見当たらず、小ぶりな三角形の羽が3枚溶接されている。筒の一か所に開けられた穴を覗き込むと、ドワーフがひとり座れそうな腰掛けとレバーが1本備えつけられていた。
「種の充填、完了しました」
筒の後方―― 底にあたる部分で作業していたドワーフが報告する。
「目標! イシィ=マー! 北を開け!」
ジアームが野太い声を発すると北側の鉄壁がゴリゴリと音を立てはじめ、丸ごと床に飲み込まれた。太陽光が差し込み、室内が一気に明るくなる。肌を刺すような強風に髭を揺らされながら、ドワーフたちが大筒を台座ごと北側に移動させた。
「方角! 右に15!」
放射状に刻まれた床の溝をもとに、大筒の向きが調整される。
「バグラン殿。これを」
まだ若いドワーフがゴーグルと巨大なコップを持って近づいてきた。
「おう」
バグランはゴーグルを装着し、モリブで一番強い酒を一気に飲み干す。その背中にドワーフたちが集まり、背嚢のようなものを背負わせた。
「あれは?」
バテマルが、近くのドワーフに小声で尋ねた。
「折り畳み式の翼で、腰ベルトの仕掛けを引っ張りゃこう…… バッ、と一瞬で展開します。落下の途中であれに切り替え、滑空で目的地へ」
「大丈夫なのか? 不具合でもあれば……」
「死にます。ま、俺たちの腕を信じてくださいな」
会話している間にバグランは補助階段をのぼり、筒の中に身を沈めた。バテマルは慌てて近づき、身に着けていた首飾りを手渡す。
「これを見せるといい。父は顔に、私と同じ刺青を入れている」
「かけてくれんか」
バテマルは言われた通り首にかけ、鎧の下に収める。
「さて! あとはこれを被って、と」
バグランは飾り気のない半球型のアイアンヘルムを被り、革の顎紐をとめた。
「もっといい防具はないのか」
「大暴れするときゃ視界の確保が一番重要、ってな。矢を防げりゃそれでいい」
そう言ってバグランは傷だらけのヘルムをコンコンと叩く。
「皆を…… ラウラを頼む」
「おう。息子のついでに大将首も獲ってやろう。お前さんも最高の武具を頼む」
バテマルは神妙な面持ちで頷いた。大筒を見上げていたジアームが「土産はバーバリアンの酒だぞ!」と叫ぶと、バグランは片手を上げてそれに応える。
「角度! 上に30!」
ジアームの指示に従い、見るからに屈強なドワーフが台座のハンドルを回す。
「総員、位置につけ!」
準備を終えたドワーフたちが、筒から大きく離れた位置に駆け足で集合した。
「お前さんもこっちへ」
ジアームがバテマルの腰を叩き、踵を返して歩き出す。
「武運を」
「おう、ちょっと行ってくるわ」
まるで散歩に行くかのような調子のバグランに背を向け、バテマルも皆と同じ位置まで下がった。
「大盾兵! 3歩前へ!」
一列になって前進した重装ドワーフが身の丈ほどもある盾を突き立て、隙間なく壁を作る。
「メイジ隊! 2歩前へ!」
大盾兵の真後ろにドワーフメイジが整列する。その数10名。
「詠唱、はじめ!」
長い言葉が幾重にも重なって室内に反響し、吹き荒れる風の音を掻き消す。バグランの横顔をじっと見つめていたバテマルはジアームに促され、大盾の陰に身を隠す。
「――点火ッ!」
高ランクのメイジスペルが寸分の狂いもなく行使され、ただ一点に発現した。刹那、大筒はその後部から目の眩むような橙色の光と轟音と熱を放ち、爆発的な噴射を推力に空へと消えていった。

◇◇◇

モリブに残ったバテマルは、すぐに鍛冶をはじめた。
最初のうちは、ジアームから渡された鉄や銅、銀で、指示された武具を作った。ジアームは特別何かを助言するでもなく、ただ「やってみろ」と言って補助役に徹した。マスターと称される鍛冶師に教えを請うつもりだったバテマルは拍子抜けしたが、不満を口にすることなくひたすらハンマーを振るった。力を込めて叩いては折り返し、また叩いては折り返す。金属の中の不純物が叩き出され、火花となって飛び散る。熱しては叩き、小槌でのばし、やすりで削り、打ち出す。ジアームは仕上がった品を眺めては「ふむ」とだけ言って、また次を作らせる。
寸暇を惜しんで鍛冶に没頭したいバテマルだったが、ジアームは起床、朝食、昼食、午後の休憩、入浴、夕食、就寝の時間を定め、厳守させた。もともと口数が少なく、ドゥナイ・デンにいた時もニューワールドでひとり静かに食事をとっていたバテマルは、モリブでも同じように酒場に向かい、隅の席に座る。しかし夕食のときだけは必ずといっていいほどジアームが顔を見せ、強引にバテマルの正面に座り、周囲の客を大勢巻き込んで飲み騒ぎへと発展させた。毎晩の騒ぎを心底迷惑がっていたバテマルだったが、他種族―― ドワーフ、人間、エルフ、ホビットらと会話し、親睦を深めてゆくにつれ、どこか夜を楽しみにしている自分がいることに驚いた。

言われたものをひたすら作る数日間が終わりを迎えるころ、ジアームはひとつの質問を口にした。
「鍛冶において大切な要素はなんだ」
バテマルは思いつく答えを次々と述べた。鍛冶師本人の肉体的な力と手さばき。砂鉄や鉱石の見極めと配合。よい炉と、よい金床。槌をはじめとした道具の性能。武具を使う相手と、使う場面を想定した創意工夫。息の合った相棒。マジックアイテム以上の物を作るのであれば、溶かして合成する素材の選別や鍛冶師の魔力なども重要になってくる。
繰り返し頷いていたジアームは「すべて間違っておらん」と言い、「お前さんの腕は相当なものだ。心得も申し分ない。義手や義足を作るそうだが、ぜひ今度見せてもらいたいものだ」とも付け加えた。そして、最初で最後の助言をひとつだけ与えた。
「いいか。武具を作る上で最も大切な要素は ”炎” だ。相手が鉄だろうとミスリルだろうと、炎はお前さんにすべてを教えてくれる。金属の状態。道具のタイミング。なにもかもだ。そして炎は師匠であると同時に、お前さんそのものでもある。炎の中に現れる己の意志、精神、技を見ろ」
――抽象的な表現で、この時はまだ腹落ちしなかった。しかし愚直にグレート・フォージの炎と向き合い、心技体を練り鍛えることで、その真意を少しずつ掴んでゆき…… 今までにない手応えを実感するようになっていった。彼女が金床を使うたび、刻まれている古代文字の光は魔力を増して金色から七色に変化した。黙って相棒を務めていたジアームも、内心でその才能と成長ぶりに舌を巻いていた。
やがてバテマルは一寸の迷いもなくミスリルを手に取り、僅か10日間のうちに1つの武器と4つの防具、2つの装飾具を完成させた。

◇◇◇

バテマルが仕事を成した次の日の夜。
彼女の仕事を応援していた酒場の客たちが、祝いの席を設けた。遠慮する彼女を強引に出席させたジアームが乾杯の音頭を取ると、猛烈な勢いでモリブの酒が消費されてゆく。鍛冶師のドワーフたちも顔を出し、彼女の傑作とその努力を絶賛した。医師の目を盗んで出席したダイカは、一杯目を飲み干す前に連れ戻されていった。宴が最高潮に達したところで、見回り当番のドワーフが息を切らしながら駆け込んできた。
「ジアーム殿!」
「なんだ? 騒々しい。いや騒々しいのはこっちか! ガッハ!」
「バーバリアン、バーバリアンが。……大勢のバーバリアンが斧門に向かってきます!」
鍛冶師たちに囲まれ困惑していたバテマルの顔が、パッと明るくなった。ジアームも彼女の背中をばしばしと叩き、満面の笑みを浮かべる。
「おうおう! ラウラは無事守られたということだな。酒樽を持参して遠路はるばる礼にでも来たか? 宴会がさらに盛り上がるのはいいが、この店に入りきるかどうか」
店を出たジアームとバテマルは、浮き立つ気持ちを抑えながら早足で斧門に向かった。燭台に照らされた長方形の通路を抜けて冷え込みの厳しい外へと踏み出すと、麓の森を抜けて近づいてくる無数の松明が見えた。見回りの2人を仕事に戻し、白い息を吐きながら一団の到着を待つ。
「30人はいるぞ? お前さんの父親もいるかの」
ジアームが松明の数を数えて言うが、目を凝らしていたバテマルは黙っていた。ただ茫然と口を開け、魂が抜けたような目で…… 揃いの装束に身を包んだバーバリアンの集団を眺めている。
「どうした? 嬉しさのあまり放心しとるんか」
バテマルは答えない。代わりにその唇がわなわなと震えはじめ―― 膝から崩れ落ちた。
彼女は知っている。一団の揃い装束は、”族長が逝去した時にのみ” 身に纏うものだ。だがしかし―― その族長はいま、一団の先頭を歩いている。族長の後ろでは、ダイカを除く4傑が小さな棺を担いでいる。松明に照らされた同胞らの伏目は、深い悲しみと無念に満ちている。
「うそだ……」
バテマルは大きな身体を丸め、冷たい雪に額を突いて呻く。その様子を見てすべてを察したモリブの王は微動だにせず、毅然とした表情で事実を受け止めた。
バグランは死んだのだ。

雪を踏みしめる音とともに到着した一団が直立不動の姿勢を取り、老齢の偉丈夫がジアームの前へ歩み出る。
「ラウラの族長、ダイオンと申します」
「モリブの王、ジアーム」
「モリブの大戦士、バグラン殿の亡骸を送り届けに参りました」
「感謝する」
4傑が前に出て、許可を得てから棺を下ろす。ジアームは一歩、一歩、力強い足の運びで棺に近づき、ゆっくりと蓋を開いた。
モリブ最強のドワーフは、空の彼方へ飛んでいった時と同じ姿のまま…… 愛用の戦斧を抱いて永遠の眠りについていた。ダイオンは朗々と語る。
「バグラン殿の戦いぶりは凄まじく、鼓舞された我々の戦況は一変。蛮族王の子を名乗る狂戦士を一騎打ちの末に見事討ち取り、さらには海荒れ狂うなか一艘の小舟で夜襲をかけ、蛮族王の首から下を旗艦もろとも海の底に沈めました。…………しかしながら、最後は、勝機に気を緩め残党の罠に嵌った者たちを救うために、その命を」
「……そうか。役に立てて何よりだ」
話を聞いている間、ジアームは瞬きせずにじっと遺体を見つめ続けていた。ダイオンは跪き、首を垂れる。4傑のひとり、バテマルと同じ入れ墨の男が剣を抜く。
「このダイオンの命で償えるものとは思ってはおりませぬが――」
「あ? あーよせよせ!」
ジアームが手を振ってその行為を止める。
「そういうのはナシだ。あいつが救った命を粗末にして何になる」
「しかし」
「しかしもへったくれもあるか。ここはモリブの流儀でやらせてもらおう」
「……なんなりと」
「よし。では全員ワシについてこい」
バーバリアンたちはきょとんとして、互いに顔を見合わせる。
「中に入れと言っておる。厳しい長旅で食事も満足にとっとらんだろう? ちょうど、新たなマスター・ブラックスミスの誕生を祝う酒の席が盛り上がってきたところでな。バグランのぶんまで飲んでやってくれ」
ジアームは一団に大声で言ってからバテマルのもとに歩み寄り、「行くぞ」と肩に手を置いた。彼女は顔を伏せたまま、今にも消えてしまいそうな声で何度も「すまない」と言い続ける。
「バテマル。いいか? ……バグランは、モリブ山のドワーフはな、お前さんたちをこれっぽっちも恨まん。あいつは自らの意志で戦に赴き、見事その大役を果たした」
「しかし彼には、まだ大きな役目が……」
「トンボも、ドゥナイ・デンの奴らも、バグランの性格をよぉく知っとる。誰も文句は言わんし、きっと何とかする。……だからシャンとしろ。主役がいつまでもショボくれ顔でどうする? ……さ、行くぞ! 立て! ホレ、手伝ってくれ。バカでかくて持ってられん」
ジアームは棺からバグラン抱え上げると己の背に担ぎ、【巨人の】戦斧をバテマルの手に握らせた。

【第9話・完】

第10話に続く


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