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ダンジョンバァバ:第1話(後編)

前編

舟型のハンモックからスルリと降りたバァバは小屋を出て、夜明けの気配が漂う往来を眺めながらパイプを咥えた。乾いた大地に恵みをもたらした細雨は去り、薄い衣のような霧が集落を包んでいる。

バァバの朝は早い。

獣じみた臭いと土埃がすっかり洗い流された清々しい空気にパイプスモーキングの煙を混ぜ合わせていると、霧の中からひとりのドワーフが姿を現した。
「よう」
ヒョイと片手を挙げて近づいてきたドワーフはバァバと肩を並べると太い腕を組み、無人の往来を揃って眺めた。
肩を並べる、と言っても小柄な彼の肩は、身の丈5.5フィートほどのバァバよりも随分と低い位置にある。老け顔の孫が老婆と並んでいるような光景だが、そうやって揶揄う者はいない。その体躯は岩石のように逞しく、威厳に満ちた顔に刻まれたいくつもの古傷が、彼の尋常ならざる戦歴を無言のうちに物語っていた。
一瞬の沈黙を終え、バァバが水を向ける。
「その顔はつまり」
「んむ。バァバの睨んだ通りだな」
黙って意地悪そうな笑みを浮かべていたドワーフは、三つ編みにした赤毛の顎鬚を撫でながら二度頷いた。
「金髪の若造がしこたま飲んで騒ぎ散らしておったわ。父上の期待に応えるだの、腹ちがいの兄上たちを見返すだの……。頭の悪そうな中年の従者も大口叩いておったぞ? ユニーク・アイテムの獲得のみならずここを制覇してやりましょうぞ! などとな。笑わせる。さっそく今日潜るとよ」

ユニーク・アイテム。この世にふたつと無いAFFIXが付いた貴重な品。類稀なる性能を誇る武器、防具、装飾品であることが多いが、ただ単に「ユニーク」というだけで高値が付く役立たずのガラクタもある。ここドゥナイ・デンに於いては、ダンジョンに潜むハイクラス/ハイランクのモンスターや、ゲボクと呼ばれる ”かつてハンターだった者” が、ごく稀に所持している。そういった存在は地下6階より先の『チャンバー』に居座るケースが多く報告されているが、その限りではない。その他、金に困ったベテランハンターがバァバに売却する場合もあり、在庫次第で彼女の店から買うこともできる。もちろん、二流、三流のハンターから見れば目玉が飛び出るような大金が必要である。

「無知ってのは恐ろしい…クク」
「ああ。久しぶりじゃないか? 良い経験だの箔を付けるだのと…… この大陸にまだそんなアホウが残ってるとはな。ありゃすぐ死ぬぞ」
バァバは同感を示すように繰り返し小さく頷く。
「ヒヒ…そうならないよう御一行をサポートするのがアタシの店さ」
「サポート? フン、綺麗事を…… そもそも奴らにゃバァバの売り物を使いこなす技量が無かろう。黙って飲んでおったレンジャーだけは掴みどころが無かったが…… 残りは駄目だな」
ドワーフは昨晩の様子を思い出すように視線を上に向け、大きな鼻を鳴らした。
「…クク。ジジイになって ”成長” って言葉を忘れたかい? ちょうど昨晩…… 今の彼らが扱えそうな品をいくつか仕入れてね…ヒヒ。あとはコツコツとランクアップしてくれりゃあいいのさ」
「細く長く、ってか。ケッ。さすが」
「違うよバグラン。太く、長く……」
「ま、確かに金払いは良かった。長く居てくれりゃうちも儲かる」
バグランと呼ばれたドワーフ―― ドゥナイ・デン唯一の酒場『ニューワールド』を切り回している3人のうちのひとりが、片方の眉と口角を上げてバァバを見やる。その視線を頬で受け止めながら、バァバは歯を剥いて静かに笑った。

◇◇◇

第1話『バァバの武具屋』(後編)


「エー、アー、締めて8000イェン」
「なっ!? これ全部でか?」
虚ろな顔をしていたパラディンが我に返り、思わず問いただす。
「締めて、って言ったろう。耳が悪いのかい? …ヒヒ」
「貴様! 王子に何たる! これ以上無礼な口利きを続けるならこの場で首を刎ねるぞ!」
返り血を浴びたままの【頑丈なる】ブレストプレートに身を包んだ中年のウォリアーが両眉を吊り上げ、腰に差した【鋭利なる】ショートソードの柄に手をかけた。どちらも昨日バァバから買った品である。
彼ら一行はドゥナイ・デン到着の翌日、意気揚々とダンジョンに初トライし、わずか数刻で戻って来るとまっすぐバァバの武具屋に向かった。青ざめた顔で各々の装備―― なまくら剣、歩行の支えにしかならぬような杖、見掛け倒しの鎧、通気性が良いだけのローブ…… などを二束三文で売り払い、ローランクでも扱えるマジック・アイテムを買い漁って宿屋に戻り、酒場で荒れた。
今日はその翌日。二度目のトライを終えて帰還した彼らの戦利品は、先日と打って変わり ”上々” と言ってよい数だった。そのいくつかを装備の更新に充て、残った品を売却しようとバァバの武具屋にふたたび訪れていた。

ウォリアーに恫喝されたバァバは怯えた仕草を見せ、ローブの袖で口元を覆う。
「おぉ怖い、怖い。弱いもの虐めはやめておくれ。アタシは正直に値を付けただけさ」
「これだけあって8000イェン? ボッタクリじゃないの」
カウンターに積まれた戦利品を指し、プリーストがヒステリックな声を上げる。集落に来た時のすまし顔はどこへやら、文句をつける彼女の目元には病的なクマが浮かび、丁寧に櫛を入れていた髪は今やボサボサに乱れていた。
「……お嬢さん。いいかい? 数がありゃいいってもんじゃない。アンタらが売ろうとしているのはどれも地下1階から3階で手に入る品ばかり。ひと昔前に溢れかえっていたニュービー連中には需要があったさ。しかしそいつらの大半が死に、ごく一部のハンターは成長して先に進み、残りは故郷に帰った…… 身の程を知ったのさ。利口さね」
怯え顔を一転させ、畳み掛けるように弁じたバァバは「身の程」「利口」を強調しながらギョロリと右眼を開く。反論に窮したプリーストは苛立たしげに唇を噛んだ。
「……で、売るのかい? ウチは客による値段の上げ下げ交渉は禁止。時間の無駄だからね。ルールにもそう書いてある…ヒヒ」
バァバが親指を立て、『当店のルール(絶対)』と書かれた張り紙を指す。パラディンとウォリアーが身を乗り出して極小の文字を読もうとするが、よく見えない。ドアの無い小屋の出入り口に身を預けていたレンジャーだけが、3人の背後で小さく頷いた。
パラディンはしばらく黙考する。やがて御大層らしく金色の髪をかきあげ、肩をすくめながら口を開いた。
「わかった、8000で手を打とう。金に困っているわけじゃあないからな。どうせ我々には不要な物だ」
「マイド」
バァバは言うや否やカウンターに載っていた品々を無造作に掻き寄せ、足元のカゴにガシャガシャと落とし入れる。続いてカウンターの下から金の装飾が施された箱を取り出し、開き、指を舐め札束を……1、2、3……。
慣れた手つきでバァバが数える間、3人の視線はギッシリと札が詰まった箱に注がれる。
「儲かっているようだな」
パラディンの嫌味にバァバは目もくれず、札を数えながら首を横に振る。
「全然。半年前まではここに行列ができたもんさ。ユニーク・アイテムなんかも当然のように売り買いされてね。札束が飛び交ったもんさ…ヒヒ」
”ユニーク・アイテム” という単語に4人の目の色が一斉に変わった。
「ユニーク? あ、あるのか? 今も」
「おや? パラディン様ならもうお気づきかと思っていたけど…… ホラ、その棚の上。今は3つしかないけどね…ヒヒ」
バァバが顎をしゃくった先には、木板を一枚固定しただけの粗末な棚。その上に並ぶ、指輪、首飾り、革製のグローブ。
「……幾らだ」
「左から300000、90000、120000イェン。ま、一級品って訳じゃないから値段は控えめ…ヒヒ」
「たっ……」
パラディンは喉元まで出かかった言葉をプライドで飲み込み、咳払いしながら顎をさすった。

(売っているだと? ここで買ってしまえば…… 父上との約束は果たせる。大物の首級を上げる必要など無い。どうせこんな場所の話だ。バレやしない。しかし高い…… ああ持参した100000イェンで買えたじゃないか! しかし既に44000はここと雑貨屋の買い物で消え…クソッ、酒場の5000もあった。宿代も。対して今日の稼ぎは1000と8000で9000。……このペースでは…… 駄目だ。もっと必要だ。またやるしかない……)

「おっ? もしかしてお買い上げかい? その指輪はイチ推しだよ。【エベスの光在りし】指輪。金運上昇でガッポガポって話だ…ヒヒ」
「ん? あ、いや…… さすがにそこまでは手持ちが」
「あっそ。紛らわしいね…… ハイ8000イェンと…… 8ボル。おや、おやおや!」
バァバが嬉しそうにパン!と手を叩いた。
「なんだ」
「昨日のぶんと合わせて50ボル貯まったじゃないか。さっそく交換するかい? このまま貯めて次を狙うも良し…ヒヒ」
「何が貰えるんだ」
バァバが親指を立て、『オトクな特典が魅力』と書かれた張り紙を指す。パラディンとウォリアーが身を乗り出して極小の文字を読もうとするが、これもよく見えない。ドアの無い小屋の出入り口に身を預けていたレンジャーが「バァバ特製、魔素の飴菓子」と呟いた。
「魔素の飴菓子? ……魔素の回復アイテムか? 私には不要なものだ」
「えぇ? 不要? パラディン様もスペルが使えるだろう? まさかクラス偽装なんてことは…」
「王子に対して……! 凝りもせず貴様ァ!」
「よせ。…………そう。我々にはプリーストがいるからね。同じ系統のスペルを使うパラディンの私には不要、そのような意味で言ったのだ。こんな僻地に長居するつもりもないから…… 彼女のために頂こう」
「アーハイハイ。ほら、お嬢さんムスっとしてないで…… アメちゃんね。一粒でランク5のスペル1回ぶんくらいは魔素が摂れる。舐めれば徐々に。噛み砕けば一気に」
バァバは飴菓子を一粒紙に包み、プリーストに握らせた。

クラス(=戦闘職業)偽装。
大陸全体の慣習として、「ニュービー、ベテランを問わず、クラス専用の装備をひとつ以上身につける」というものがる。
クラスごとに装備する部位や意匠に傾向があり、一部の例外を除いて容易に見分けがつく。同業同士の争いが多ければ晒しのデメリットは大きくなるが、そもそもクラスの特性/スキルに適した武器や防具を扱わないと己の死に直結するという現実が優先されている。
この慣習を無視して異なるクラスに見せかける行為が『クラス偽装』と呼ばれ、戦いと無縁の国で偉そうに振る舞う者や、騙し討ちを狙う賊徒が好むことから忌み嫌われている。
グループ行動、連携戦術が基本のダンジョン攻略に於いては全滅リスクが高まるだけでメリットは無く、自己紹介の手間を省いて相手のクラスが判別できるという合理性もあるため、ここドゥナイ・デンで偽装者に出くわすことは滅多に無い。

「じゃ、またの来店を…ヒヒ」
「ちょ、ちょっと待て。その…… そこの首飾り。90000、だったな? それは気になる。うむ。金が貯まったら買ってもよい……。取り置きは頼めるか」
あからさまに渋面を作ったバァバが親指でルールの張り紙を指す。
「こうして王子が頼んでおられるのだぞ! 身分の違いをわきまえよ!」
居丈高に怒鳴るウォリアー。バァバの顔つきが変わる。
「ああ? 身分? 寝ぼけたこと言うんじゃないよ。ルールはルール。アタシゃ命懸けのハンターに向き合って平等に商売してるんだ。それの何が悪い? 身分でメシを食いたいならヨソでやっとくれ」
「貴様ァァァ!」
ウォリアーはバァバから買った【鋭利なる】ショートソードの柄にふたたび手をかけ、遂に抜刀した。制止しようとしたパラディンに一瞬の迷いが生じた。もし老婆が死ねばユニーク・アイテムは3つとも…。怒りに任せ右手のショートソードを突き出すウォリアー。
「ギャッ!」
「ぬぁっ!? …あっ、ああ!」
カウンター越しにバァバの喉元を狙った刺突は真横に弾かれ、グルンと軌道を変えた剣先がパラディンの頬を薄く斬り裂いた。裏拳。
「も、もも申し訳ございませぬ!! ……こんのクソババア!!」
「よしましょう。我々では敵いそうにない。商人としての言い分も筋が通っている」
カウンターを叩き壊さんと振り上げられたウォリアーの腕を掴んだのは、いつの間にか店内に踏み込んでいたレンジャーだった。
「この… 王妃の側近だからと偉そうに! 邪魔をするな!」
「私は王子の身を案じて助言したまで」
「やめよ! ……もうよい。やめよ。明日も早い。帰るぞ」
思わぬ反撃に狼狽したパラディンはその気後れを隠すように一喝し、プリーストが差し出した布を傷口に当てながら足早に店を去った。

「ヒヒ…お大事に」

◇◇◇

翌朝。
パラディン一行が険しい顔を並べて修道院に向かう。その姿を見つめていたバァバは視線を手元に戻し、不良在庫の整理を再開した。
「エーこれは砕いて…… これとこれはブルスベインの商人にでも売っぱらうかね…… あとは… エー…… 鴉。そうそう忘れるとこだ。ボケて来たかね…ヒヒ」
バァバは右手を顔の高さまで持ち上げるとその手のひらを上に向け、ブツブツと短く詠唱する。右手が薄緑色の光りを帯び、瞬きひとつする間に死鴉が召喚された。光沢の無い小筒を脚に括り付け、小屋の外に放つ。死鴉は小屋の上を一度だけ旋回し、目的の方向へと飛び去った。
「さて…… 腹が減ったね」

バァバは昼も早い。

◇◇◇

バァバが昼食を済ませ、店先で暇そうにパイプ煙草をふかしていると、宿屋からメイジが出てくるのが見えた。その足元にまとわりつく幼女が3人。カナン、パッチ、べべ。宿屋のハーフリング三姉妹。ドゥナイ・デンに幼子はほとんど居ないため、集落に根を下ろす住人らにめっぽう可愛がられている。ゆえに…… ワガママである。
「おじちゃん遊ぼうよー」「ねー」「いっしょに遊ぼー」
「ハハ…… ごめんね。今日はダンジョンに行くんだ」
メイジは振り返りながらしゃがみ、3人と目線を合わせながら優しい声で言った。
「えー」「危ないよー」「遊ぼー」
「うん、危ないね。でも行かなきゃいけないんだ」
「コラお前たち! お客さんに迷惑だろ! 中に入りな! もーすみませんホント」
小柄な体格に似合わぬ大きな声と共に、母親のテレコが姿を現す。
ハーフリングの幼子は人間のそれと見分けがつかないが、成人の身の丈は人間の半分程度しかない。耳が尖っている、体毛が濃い、手足が大きい、長寿、などの種族的特徴を持つホビットと異なり、身の丈を除けば人間と変わらぬ外見。老化のペースや寿命も同程度である。性格面で言えば牧歌的な暮らしを好むホビットとは真逆で、ハーフリングは冒険心が強い。
1年前、ダンジョン発見の知らせを聞きつけたテレコはいち早く夫のニッチョと娘3人、そして親戚数名を引き連れてドゥナイ・デンに移住し、宿屋を始めた。開店当時はライバル店がいくつかあったが、テレコの徹底したコスト管理によるリーズナブルな宿賃とニッチョの振る舞う手料理、そして程よく行き届いたサービスによって他を圧倒し、訪れるハンターが減った現在は一軒ですべての宿客をまかなっている。
「いえ、迷惑だなんて。子供は好きですから」
「娘さん、良くなるといいねぇ…… きっと良くなるさ。はい! 元気に行ってらっしゃい!」
バンバンと両肩を叩かれたメイジは笑顔で別れの挨拶を交わし、立ち上がって宿屋に背を向けた。バァバと目が合う。

「……雇えたのかい」
「ええ、おかげさまで」
バァバにゆっくりと歩み寄ったメイジが続ける。
「2人、ですがね。これから修道院前で合流します。3人目は知人の援護に行くから1日待って欲しい… と言って潜ったきり、戻りませんでした。それでも…… 鼻が利きそうなシーフと、4階までの経験を積んだウォリアーを雇えたのは幸いです。浮いた金で回復アイテムやスクロールも買えました。目的を果たすには充分かと」
「シーフね。そりゃいい。トラップは怖いから…ヒヒ」
「はい。それでは」
「いいかい。ダンジョンは怖い。同じ事をするつもりでも、決して同じ展開にはならない。一度潜ったからって油断するんじゃないよ」
バァバの忠告にメイジは帽子をヒョイと持ち上げ一礼し、布バッグを背負いなおしながら修道院の方へ歩き去った。

◇◇◇

次の日の夕刻。
椅子に座って居眠りしていたバァバが目を開く。30秒後、パラディンとウォリアーがずかずかと小屋に入ってきた。
「幾らだ」
疲労困憊といった様子のパラディンがぶっきらぼうに言うと同時に、荒く息をついたウォリアーがバァバの目の前にドスンと大きな布袋を置いた。カウンターがミシリと悲鳴を上げる。レンジャーは相変わらず戸口に立って黙っている。
「ヒヒ…大量だね。プリーストは休憩かい」
「死んだ」
「そりゃ残念」
バァバは袋を紐解き、中身をひとつひとつ手に取る。
「これは…… フム。これも… いまいち。こっちは… エー、ゴミ」
「さっさと、せんか」
ぜいぜいと肩を上下させるウォリアーが弱々しい声で急かす。
「正しく値段を付けないとね…ヒヒ。それよりアンタ、顔色が随分と悪いじゃないか。呼吸も荒い……」
「何でもない…早く、しろ」
「あい? ナンテ? 自慢の大声は地中に忘れてきちまったかい?」
眉間に皺を寄せたバァバが耳に手を当てる。90000イェンの首飾りを凝視していたパラディンが悶着に気づき、口を挟んだ。
「毒消しがなかなか効かんのだ」
「毒! あらまあ。どれ…… その腕の傷かい? いいからホラ! 見せてごらん。……フムフム。目を。……ははぁん。こりゃポイズン系のモンスターやトラップの毒じゃないね。シーフが好んで使う類の…」
パラディンとウォリアーの顔が同時に引きつった。
「クク…安心しな。図体がデカくて良かったね。ほっときゃ死ぬが、あと四半刻は持つ。診療所でガブリと吸ってもらいな。1000イェン札一枚でやってくれるさ」
宣告を受けたウォリアーの顔がさらに歪む。パラディンから金を受け取り、レンジャーに支えられながらヨロヨロと店を出て行った。
「さ、買取の続きだね。これと… これは、ハイ、ハイ。残りはひとつ…おや? こいつは」
琥珀色に光るバァバの左眼が大きさを増す。パラディンが身を乗り出して続きを促した。
「そのブレスレット、値打ち物だろう? 幾らになる」
「20000イェンだね」
「20000……」
「需要は少ないが… 悪くない品だ。それくらいは出すさ…ヒヒ。ただし他はいまいち。締めて30000イェン」
「30000……」

(クソッ、さぞ大事そうに拒んだから期待したのに20000だと? …… 貯まったか? 90000。……いや、僅かに足りない。帰りの支度金も必要…… あと1回。あと1回潜れば。3人でも殺やれる……!)

「売るの? 売らないの?」
「あ、ああ、売る。売るさ」
「マイド。10000イェン札を切らしててね。5000の札とかありゃいいのに………10………20………30。………10………20………30。エー、………10………20………30。はい、30000イェン。それと…… これも忘れちゃいけない。貯めて嬉しい30ボル…」
「それは要らん。また明日来る」
パラディンは札をひったくるように掴むとマントを翻し、ガチャガチャと鎧を鳴らして出て行った。

「明日があればね…クク」

◇◇◇

同日、夜。
小屋でウトウトしていたバァバが目を瞑ったまま呟いた。
「10勝、0敗」

「……久方ぶりの10戦目こそ、と完全に気配を消したつもりでしたが…… 衰えておりませんな」
小屋の薄壁一枚を隔てた向こうから、小さな声が返ってきた。

「その意気込みが敗因さね…ヒヒ」
「カカッ。確かに…… して、死鴉の件。進めて宜しいので?」
「頼むよ。それに…… 確実に処理する必要が出ちまってね」
「ホウ」

状況が簡潔に伝えられ、壁の向こうの存在が「フム」と呟く。

「引っ張った死体の傷口からして、直接手を下したのはパラディンかウォリアー、そのどちらか」
「差し向ける予定のジョウニンに伝えましょう」
「助かるよ。すまないね」
「いえ、バァバには我々一門、返し切れぬ御恩があります故」
「やめとくれ。持ちつ、持たれつ。それでいいのさ。ヒヒ…」
滅相もない―― と言葉を残し、壁の向こうの気配は消えた。

「ハーァか。まったくやんなるね。アホが来りゃ必ず面倒が生まれる…… さ、一杯貰いに行くとするかねぇ。いや二杯… 四杯」
バァバは腰を伸ばしながら独りごち、人影のない夜道をニューワールドに向かって歩いた。

◇◇◇

翌日。ダンジョン地下3階に繰り返し響き渡る、悲鳴。
「誰かいないか! 助けてくれ! 誰か!」
上下左右が石材で補強され、人間であれば4人ほどが並んで歩ける幅の通路。その一方の薄闇から、悲鳴を聞きつけた3人組が駆け寄ってきた。先頭の若いウォリアーが問いかける。
「どうしました…… 怪我人?」
「ああ、仲間がポイズンリザードに。私は魔素切れで……」
パラディンが困り顔で頷き、石壁に背中を預けて座る中年ウォリアーをランタンで照らす。
「そりゃ災難でしたね。どれ我々のポーショッ、ぷ」
ヒュッ、と風切り音。ポーチから小瓶を取り出そうとしていた若きウォリアーの眉間に、矢が突き立った。
「な、奇襲?」
背後にいたプリーストが身構え、防御スペルの詠唱を始める。
「マカ…ゲッ! ゴ、ウゴゴ…」
プリーストの口腔に、演技をやめて立ち上がったウォリアーの【鋭利なる】ショートソードが突き込まれた。一瞬にして仲間2人を失ったアルケミストは状況が飲み込めず、まだ幼さの残る顔を凍り付かせて立ち尽くしていた。
「君。私のために死んでくれ」
パラディンが無感情に言い放ち、握り締めた【鋭利なる】ロングソードを振り上げた。……しかしその一撃は振り下ろされず、仰向けに倒れたのはパラディン自身だった。
「お、王子!?」
プリーストを始末したウォリアーが困惑顔でパラディンを見下ろす。絶命していた。額に深々と突き刺さっているのは…… 見慣れぬ投擲物。

「惨たらしい真似をしよって。奈落で永遠に悔やむがよい」
黒装束を纏ったジョウニンが、闇から染み出るように姿を現した。反対側の丁字路に身を潜めていたレンジャーがすかさず矢を放つ。しかしその矢はジョウニンが投げた手裏剣によって縦真っ二つに裂かれ、勢いそのままに回転飛翔した鋼の刃がレンジャーの胸に突き刺さった。カララン、と乾いた音を立てて矢が跳ね転がる。続けてドサリと倒れる鈍い音。
「お主も後を追え」
頭巾の隙間から垣間見える鋭い眼光し。中年ウォリアーは金縛りにあったように動けない。ジョウニンは音も無く歩み寄る。
「や、や、やめ、やめんか。私は従っただけ。そう、そうだ。従っただけだ。相手は王子だぞ? 逆らえるものか! 頼む、殺さな――」
命乞いの途中でウォリアーの首が飛んだ 。
手刀一閃。
一瞬遅れて噴き出した血が、【頑丈なる】ブレストプレートを赤く染める。

遥か東方の大陸ヴィ=シャンから伝来したクラス『ニンジャ』。位が高くなるほどにカタナや防具を使わない戦闘スタイルへと昇華していき、ジョウニンともなれば己の身一つと手裏剣だけで戦うことが基本となる。加えて、最高位とされるマスターニンジャは『ジュツ』と呼ばれるスペルを扱うと言われているが、その正体は謎である。

「お主はこれで帰還しろ」
ジョウニンは懐からスクロールを取り出し、アルケミストに手渡した。
「あ、あ…、こ、これは…」
「ポータルだ。ダンジョンの入り口に戻れる」
「え? あ、ありがとうございます! 命の恩人です……」
「助け合いは結構だが、このような下衆がおることも忘れるな」
「あ、ハイ…… あ?」
アルケミストの視線がジョウニンの胸に釘付けになった。黒装束に覆われた胸板から、血濡れた矢じりが飛び出している。
「な、ぬ…… カハッ、カッ」
頭巾の下でくぐもった咳を吐きながら、ジョウニンが背後を振り返る。ショートボウを構えた男…… ほくそ笑むレンジャーと視線がぶつかった。
「お主……! 確かに仕留めた筈」
「フェイン・デス。死んだフリってやつですよ。それでもこれが無きゃ実際に死んでましたけどね」
レンジャーは死にゆく敵に見せつけるように胸襟を開く。平凡な狩人の服…… その下で虹色の光を仄かに放つ、ミスリル。
「まさかこんな浅いフロアでニンジャに襲われるとは…… イチチ。肋骨2本か。あの王妃ケチそうなんですよ。計画と違うじゃない! とか言い出しそう…… 結果は同じなのに。テテテ。治療費貰えるかな…… ねえ、どう思います? ハハッ、わかりませんよね。笑えますね」
狂気じみて饒舌に喋るレンジャーにジョウニンが問いただす。
「フェイン・デス? そんな技能はお主に…… ましてやレンジャーが鎖帷子を、着込む、など……」
言いながら、ジョウニンは膝から崩れ落ちた。レンジャーはわざとらしく目を丸くし、おどけた様子で手を振って否定した。
「えぇ? レンジャー? いえいえ。私はトリックスター」
「……偽装、か。卑怯なり…」
「それが私の特技なので。ではサヨウナラ」

◇◇◇

「死体の数と状態からして、恐らくはそのレンジャー。追手を放つも逃走の痕跡ひとつ掴めておらず」
「ふん… 確かに腕は立ちそうだったが、まさかお前さんとこのジョウニンを返り討ちにするとは…… 申し訳ないことをしたね」
「いえ。本人の不覚に依る結果。御気になさらず」
小屋の壁越しに届く言葉は淡々としていたが、その声色には得体の知れぬ仇への静かな怒りがこもっていた。
「目的は果たせた。感謝してるよ」
「結果としては。メイジに直接手を下したのはやはりパラディンか… ウォリアーだった、という事」
「そうだね………… さて、金で済む話じゃないが、そこに置いた袋は持っていっとくれ」
「いえ。我々にはあまり必要の無い物」
「じゃ、武具だけでも。ゲニンやチュウニンの育成に」
「有難く。……ひとつ宜しいか?」
「なんだい。詮索とは珍しい」
「何故、そこまで。バァバらしくない。掟は忘れておらぬ筈」
「さぁねえ。耄碌してきたか…ヒヒ」

◇◇◇

イムルックの下町。
白レンガ造りの小さな家が密集する一画。一軒のドアを叩く音。
「ママ! 誰か来たよ! パパかな」
「ピピコ。パパはずっと遠くにいるからまだ、って言ったでしょ? ほら、体に障るから横になって…… ママが見てくるから。きっとお隣さんね」
それに夫はノックなどしない――
娘と何度目かの同じやり取りを済ませたエルフが居間を抜け、玄関のドアを開ける。
「やあ。ただいま」
「え? あなた!?」
「ハハ。驚いたかい?」
満面の笑みを浮かべるメイジ。エルフは切れ長な目をパチクリさせた後、一瞬浮かべた落胆の表情を隠すように笑顔を繕った。
「お帰りなさい。無事で良かった。行く途中で何か…… 駄目だったのね」
「いや、行ってきたよ。色々あって…… 送ってもらったんだ、ポータルで。それよりホラ、これ」
腰巻のポーチを開き、中を見せる。
「ああっ! マンビョウゴケ…… 嘘みたい。助かる。助かるのね」
「ああ。そうだよ。助かるんだ」
夫婦の目に涙が浮かぶ。
「パパ……? パパだ!」
「ピピコ! おーただいま、っと! 少し重くなったんじゃないか?」
メイジは駆け寄ってきた娘を全身で受け止め、抱え上げながら笑った。
「そこまで時間は経ってませんよ」
エルフは人差し指で涙を拭い、クスクスと笑う。
「ハハ。気持ちの問題かな? ……ああ、それと、これ。本当にすまない」
「なに、急に謝って……」
エルフが身構える。メイジは片腕で娘を抱き、もう片方の手でポーチから小さな袋を取り出した。エルフは恐る恐る受け取り、中身を確認する。
「これ…… あなた! 何があったの? 砕けてるってことはつまり……」
袋の中には、バラバラに砕けたブレスレットが入っていた。メイジはエルフの目を真っ直ぐに見つめ、深く頷く。
「つまり、その通り」
「その通り、って。あなたこのブレスレットの効果… 知ってたの?」
「いや、知らなかったよ。てっきり…… 婚姻を祝福してくれた君の一族からの、綺麗な贈り物だと。キミが私に教えなかったのは…… 知る必要が無かったからなんだな。戦と離れて平和な街で暮らすメイジには」
「ええ、そうだけど… なぜ分かったの?」
「とある人物がね。ま、生き返った後に軽く説明を受けたんだけど、私にはサッパリ理解できない内容だったよ。ハハハ」

【復仇の】ブレスレット。持ち主が装備した状態で何者かに殺害された場合、”その加害者を第三者が殺害” した時点で、持ち主の傷を癒し魂を呼び戻すことができるAFFIX。強い同族意識と特別長い寿命に拘りを持つハイエルフたちが、古の大戦のさなかに生み出したと言われている。
今も昔も ”蘇生” の手段は限られているため、かつては非常に価値の高いAFFIXとして争奪された。しかし、一度効果が発動すると装備そのものが砕けてしまうこと、成立条件が複雑で難易度も高いこと、そもそもこの100年の間に大きな戦が無いこと、そして医療技術やスペルの発展に伴い戦闘による死亡率が減りつつあることなどから、徐々に【復仇の】AFFIX装備は姿を消していった。現代に於いて市場に出回ることは滅多になく、実用性の点からも取引価格はそれほど高くはない。

「一度死んだのにそんなに明るく笑って……」
「そりゃ明るくなるさ。無事に帰れて家族3人、元気に暮らせるんだ」
「パパ、死んだの?」
しがみついていたピピコが首を傾げる。
「え? ああ、違うのよ… パパはこうして生きてるでしょう? 元気元気」
「そうだぞピピコ。パパは元気元気。さ、中に入ろう…… しかし驚いたよ…… エルフの君なら知ってるかなぁ」
「なに?」
「サモン・コープス…… ってスペル。初めて聞いたんだけど…… 一度見ただけの相手の、その、アレを瞬時に呼び寄せるんだ。ネクロマンサーか…… サイオニックか…… 聖職系のハイクラスか…… どのクラスのスペルがどうなんて話は修業をやめた三流メイジと無縁すぎてさ」
「そういう物騒な話はピピコが寝た後でね」
「なになにー?」
「何でも無いよ。パパお腹ペコペコだなー。ピピコもご飯食べたら特別なお薬があるぞー」
「お薬きらーい」

【第1話・完】

【第2話に続く】

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