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ダンジョンバァバ:第2話(後編)

目次
前編

水平に振ったショートソードの刃がゴーゴンの脇腹を捉える。いや、セラドが ”捉えた” と知覚した瞬間、その刃は内臓と腰椎の切断を終えて左へと抜けていた。醜い女怪物は「ゲェ」と短い断末魔を上げ、仄暗いダンジョンの床に上半身と下半身が転がる。

(ヒューッ、スゲぇ切れ味。それにこの軽さ! ショートソードとは思えねー…… これなら1本で充分だな…… オレもバードらしく左手にホルンでも持つか? いや、そもそもこの武器なら……)

迅速かつ臨機応変な楽器運用が要求されるバードのセオリーに反して2刀流―― デュアル・ウィールドを好むセラドだが、新調した武器の桁外れな性能に思わず舌を巻いた。血振りの必要すら無いそのソードを鞘に納め、腰の後ろに装着していた【カッコウの】フルートを手に取る。
一呼吸。
この3ヵ月間、ソロ用に厳選してきたレザーとチェインのハイブリッド装備のおかげで呼吸の乱れは無い。セラドはしなやかな所作で下唇をフルートに置くと『オレの朗々たる陰暗』を奏で、一瞬にしてインビジブル状態へと移行した。その僅か数秒後、血の臭いを嗅ぎつけたブラックドッグの群れが通路の奥から走り寄る。散乱した臓物に飛びついた数匹が奪い合うように貪り、競争にあぶれた数匹は一滴も無駄にせんとばかりに石床の血を執拗に舐め始めた。

(この厄介なイヌ公はスルーだ。しかし9階のザコ1匹じゃぁ効果の確認が不十分か。試しに11階まで潜るか…… もしくは10階に上がってチャンバー…… いやリスクもある。目的地まで一気に行く。そうだ。このキーがあれば。一刻も早く…… これ以上寄り道はできねぇ)

薄気味悪い妖精犬を見下ろしていたセラドは我に返り、続いて『オレたちの鷲の歌』を奏でた。身体が地面から拳ひとつ分ほど離れ浮く。音色に耳を立てたブラックドッグ達が一斉にセラドの方へと顔を向ける。セラドは気にせずフルートを納め、今度は右の腰に固定している小さな太鼓―― 【雄々しき獣の】ドラムを両手で叩きながら駆け出した。地面を蹴るように両脚を交互に前へ、前へ。3秒後に疾風の如き速さを得たバードが、リズムを刻みながら決戦の場へとひた走る。

(逸足は羨ましがられるが同じ曲を叩き続けにゃならんのがチト面倒――)

重苦しい閉塞感に包まれたダンジョンに反響する『オレのアレグレット』。きっかり57秒おきに不可視曲『オレの朗々たる陰暗』と浮遊曲『オレたちの鷲の歌』が3秒ずつ再奏され、すぐさま『オレのアレグレット』へと戻る。3曲のローテーションを正確にこなし、徘徊モンスターやトラップを無視して疾駆する不可視のベテラン・バード。3ヵ月で大きく成長を遂げた彼の存在を看破できるモンスターは、このフロアにそうそういない。

◇◇◇

第2話『セラドの独唱』(後編)

遡ること1日、バァバの武具屋。
「レジェンダリー・アイテムが手に入るのさ。それもバード専用のね …ヒヒ」
「え…… レジェ、レジェンダリー!? 冗談だろ」
「冗談? それじゃぁ要らない、と。アッソ」
「待て、待て待て待て! 貰えるのか? 3000ボルで」
「アァ? なわけない」
「ハァ?」
「書いてあるだろ」
舌打ちしたバァバが親指を立て、『オトクな特典が魅力』と書かれた張り紙をふたたび指した。セラドはカウンターに両手を突いて踵を浮かせ、限界までその身を乗り出し…… 目を凝らす。座ってパイプを咥えるバァバの顔が近い。気まずい空気……。バァバの口からモワァと煙が吐き出され、目に染みた。
「ちょ、わざとやってんだろ…… 文字が小さくて読めねーよ」
「3000ボル、プラス1549000イェン」
「は? 1500000!?」
「1549000イェン」
「こまけぇ…… そんな大金取んのかよ!?」
「当たり前だよアホ。レジェンダリーだよ? この条件でも破格…… 出血プライス…… オトク過ぎる」
「まあそりゃそうだけどよ……」
「持ってるだろう?」
「え?」
「1549000イェン。持ってるはず。持ってるね。持ってる」
白髪まじりの髪に隠れていたバァバの左眼が琥珀色に輝く。
「いや、ああ、まぁ……ケッ、まるでオレの所持金を数えたかのような言い草しやがって。……あるはずだ、ギリギリ。宿屋の金庫に預けてあるカネと合わせりゃ……」
「じゃ、買うんだね? これ」
言いながらバァバは背中を丸め、カウンターの下から取り出したレジェンダリー・アイテムをドンと置いた。
「な、………オイこりゃ…… 触ってみていいか?」
「ちょっとだけだよ…ヒヒ」
繰り返し頷いたセラドは生唾を飲み込みながら手を伸ばした。この世にふたつと無いAFFIXが付いたユニーク・アイテムよりも上位に位置するレジェンダリー・アイテムには、AFFIXという概念が存在しない。武器であれば【グングニル】、【ムラマサ・ブレード】、防具であれば【アーマー・オブ・ローズ】、【ストームシールド】など、アイテムそのものが固有名詞を持つ。武器防具としての単純性能もさることながら、「レジェンダリー」の名に恥じない超絶した特殊効果を有すると言われている。この1年と少々の間にドゥナイ・デンで発見された数は僅か5つ。毎度、数日はその話題で持ちきりになり、強奪目的の殺しが起きた事例もある。
「こいつぁ……」
その品はまるで100年使い込んできた友のようにしっくりとセラドの手に馴染み、握っただけで身体の奥底から力が湧いてくるような感覚を覚えた。
「カネ、取ってくるわ」
「賢い選択」
慌てて踵を返し戸口に向かうセラド。それを遮るように、青ざめた顔のメイジがフラフラと店に入ってきた。
「あの、すみません…… 買い取り、お願いします」
「おいバァバ、客だぜ…… って、おっと大丈夫か」
よろめいたメイジをセラドが支える。顔を覗き込んだセラドの片眉が上がった。
「おいテメー…」
「すみません、すみません」
「いや責めてるわけじゃねー。テメー…… 昨日酒場に居たよな? オレの問いに手を挙げたグループに」
「え? あ、ハイ…… 賭け事の… お金持ちの人ですよね」
「お金持ち? オレはセラドだ。しっかし散々な顔して…… お仲間はどうしたよ」
「死にました。全員。私はもう故郷に帰ろうと……。貴方が言っていたゲボク」
「あ?」
「ウォリアー、ビショップ、サイオニック。……人間、人間、エルフ、でしたよね」
「そうだ。男、女、男」
「ええ、間違い無い…… まさに今日、私の大切な仲間を殺した相手です」
最後の光景を思い出したメイジの顔が一層青白くなる。同時にセラドの顔が赤みを帯びて強張った。
「居たのか!? 場所は! どこだ!? メイジなら座標をマッピングしてるだろ」

マッピング。メイジ系統、ランク2のスペル。メイジやビショップが使うこのスペルは、詠唱するたびに「向いている方角」、「階層」、「その階層のどのあたりにいるのか」、おおまかな位置情報を脳裏に浮かべることができる。割り出しのために必要な ”始点” は任意に設定できるが、始点と定めるその場所に『術者が作った粘土人形』を置く必要がある。多くの場合はダンジョン入り口に設定され、ドゥナイ・デン修道院にも役目を終えた小さな人形が山積みされている。それらを処分して他人の探索を妨害することも可能だが、特にそうするメリットも無い。それに―― もし犯行が明らかになった場合、ハンター全員から非難を浴び、恨みを買って殺されてしまうリスクもある。それほどまでに、ダンジョン探索に於けるマッピングは重要な役割を持つ。

「ええ、最後に確認した場所から遠くないのでおおよそは……」
「どのあたりだ」
「地図、ありますか」
セラドはポーチから乱暴に羊皮紙を取り出し、カウンターに広げた。メイジはそれを1枚ずつ捲って目を通す。
「綺麗な字……意外ですね。かなり正確……。いやでも9階の記録が雑…10階も…」
「仕方ねーだろ」
「ここ。このあたりです」
メイジは手書きされた大まかな地図の一点を指した。地下9階の、まだ何も書き込まれていない南西部。9階の探索を繰り返すセラドがまだ足を踏み入れていないエリアのひとつ。堅牢に施錠された扉に阻まれたこともあり、ここ1ヶ月は9階別エリアの探索、そして10階、11階フロアで決戦に向けた修練を積んでいた。

(あの場所から移動しているのは確認済みだったが…… やっぱりまだ9階にいやがったのか。しかもあの扉の先だと? クソ、10階に潜ってから上に昇る方法を探すしかねーか……)

苛立ちを隠さず黙り込んだセラドの横で、メイジが真鍮の鍵を取り出した。
「これを」
「あ? ……オイこれもしかして」
「そのエリアに侵入するためのキーです。ハイランクのシーフが開錠するか、9階西壁のシークレット・ドアを見つけられればいいんですけど…… これがあれば正面から侵入できます」
「いいのか? 貴重だぞ」
「私たち…… いや、私にはもう必要無いですから……。どうか皆の仇を」
「仇討ちは自分でやるもんだ。生き延びた者が」
来るか、と言いかけたセラドだったが、完全に戦意を喪失したメイジの顔を見て言葉を飲み込んだ。

(オレもコイツみてーな顔していたのかもな……。ヘマこかれたら庇いきれる自信もねぇ。それに…… もうゴタゴタは御免だ)

「……今のは忘れてくれ。ありがたく受け取るぜ」
「ええ、くれぐれも気を付けて。特にあのサイオニック……。私の仲間は3人とも精神を破壊され、殺し合って…」
「大丈夫だ。分かってる」
言葉を被せ、セラドは大きく頷いた。

◇◇◇

メイジがバァバと取引を終えて去ると、その間に宿屋へと走っていたセラドが武具屋に戻ってきた。腐りかけのカウンターに札束を叩きつけ、布袋を逆さまにし、ジャラジャラと大量のボルを広げる。
「1549000ピッタリ。オレの全財産だ」
「ヒヒ…マイド。商売だからね。数えさせてもらうよ」
バァバは札束を掴み、いつもの指さばきで勘定を始めた。
「……なあ、コイツも数えんのか? 3000枚だぞ。待ってられねぇ」
「コイツ? ボルとお呼び。……3015枚」
「ハ?」
「アンタのボルの数」
「分かんのか?」
セラドがキョロキョロとカウンターの奥を見回すが、台帳のような物は見当たらない。
「もちろん。私が造った物だからね……ヒヒ」
「そういうもんか」
「そういうもんさ……………ハイ、1549000イェン、確かに。3000イェン余計だよ」
バァバは皺の目立つ指でピッと札を弾くとその束を箱に収め、3000枚のボルを回収した。代わりに取引の品と1000イェン札3枚、そして15枚のボルをカウンターに並べる。
「あのメイジにゃ気の毒だが…… 遂にオレにもツキがまわってきた」
レジェンダリー・アイテムを手にしたセラドが確信めいた口調で呟く。
「そうさね。バード垂涎の品を手に入れたワケだ。お目当ての獲物の場所も分かった。……だが調子こいてポックリはやめとくれよ」
「心配たぁ嬉しいね」
「いや、勿体ないだけ…クク」
「ケッ」

◇◇◇

セラドは目的のチャンバー前で大きく深呼吸した。その背後に立つ、1体のレッサーデーモン。この3ヵ月間、毎晩頭の中でシミュレートしてきた手順を反芻する。

(よし…… 今のオレならやれるはずだ。いや、やれる)

棒立ちのレッサーデーモンをその場に残したセラドはチャンバーの扉を後にし、10ヤードほど距離を取った。周囲を警戒。インビジブルは残り38秒。

【カッコウの】フルートで『オレとテメーの視覚結束』を奏で、レッサーデーモンの視界に移行。白目を剥いたセラドは背負っていた【永遠の夜の】リュートを掴み取り、一時的にペット化しているレッサーデーモンに向けて『オレの魅力ある妙演』を弾いた。
「シィィィィッ!」
山羊の頭と4本の腕を持つ人型の悪魔―― レッサーデーモンは、牙の隙間から不気味な音を漏らしながら突として動いた。重々しい青銅の扉をたやすく開いてチャンバーに飛び込む。一瞬の観察。スペルによって微かに照らされた室内。思っていたより狭い。他のチャンバーと同様に調度品の類はひとつも無し。足元に転がる死体の位置と数。そして正面、僅か5ヤード先で静かに並び立つ3つの人影が―― 動き出す。白く濁っていた6つの目が凶悪な色に染まり、戦斧を握る大柄のウォリアーが無言で襲い掛かった。レッサーデーモンは腕1本を犠牲にしながらウォリアーを横に突き飛ばし、奥のサイオニック目掛けて火球を吐く。しかしその炎はビショップが詠唱を終えていたブレイジング・バリアに吸収され、同時にサイオニックによる精神汚染が始まった。コントロール不能に陥り呻くレッサーデーモン。体勢を立て直したウォリアーが山羊頭を刎ねた。

(チィッ! スペル耐性を持つコイツならもう少しやれると思っていたが…… クソサイオニックめ!)

セラドの視界が強制的に戻された。チャンバーの扉がゴゥンと音を立て、勢いよく閉まる。

(……だが観察は終えた。まずは第一段階クリアだ。曲構成は一部変更する必要あり。プラン変更の必要は? ……無い。突入して、殺す。そう、順調だ…… 順調……)

しかし。セラドは浮かない顔で思いに耽る。インビジブルが切れた。だが、もう必要無い。

「やるか」
覚悟を決めて独りごちたセラドはチャンバーの前まで進み、先ほど得た情報をもとに突入前の演奏ローテーションを組み立て直す。

(予定の4曲から1曲を捨てる。1曲は入れ替える。となると…… 3曲の効果は全て15秒。必須の2曲は後ろに置く。あの狭さだ…… サイオニックとは開幕10秒でケリをつけるしかねぇ。残りは…… とにかく殺すだけだ)

『オレの戦いの唱歌』『オレたちの障壁』『オレたちの心の律動』を続けて奏でる。
「ヘッ。何が ”オレたちの” だよ。自分で付けておいて笑わせるぜ」
セラドは自嘲気味に笑いながら扉を開けた。

踏み込んだセラドは事前イメージの通りに死体を跨ぎ、踏み、サイオニック目掛けて突進する。横から戦斧が割り込む。増強されたセラドの左拳が斧を叩き払った。突きの間合い。ショートソードの剣先でサイオニックの心臓を狙う。既にマインドスペルの詠唱を始めていたサイオニックは身を捩り、左肩を突き刺されながらも最後の単語を口にした。……が、セラドは不敵な笑みを浮かべ…… 貫いたショートソードの柄を両手で握りなおす。ビショップがセラドの側面に浴びせた無数の氷矢は、目に見えぬ障壁に当たって砕け散った。
「オォォォォ!」
セラドは叫び、突き刺したままのショートソードに力を込めて斜め下へと押す。刃が骨と内臓を斬り裂きながら股まで到達し、ハの字に開かれたサイオニックは絶命した。
「シャコラァ!」
吠えるセラド。しかしその刹那―― 柄を握っていた腕がガクンと揺れ、勢い余った戦斧が石床を砕いた。切断された左の前腕から血がしぶき、セラドの顔を汚す。
「んの、キ…… テメーェェェェ!」
セラドは左手の損失など意に介さず、ショートソードを右手で握り締めながら回転跳躍した。常人離れした脚力と全身の捻りが加わった一撃がウォリアーの首を刎ね飛ばす。強烈な遠心力によって柄から離れたセラドの左手は、明後日の方向に飛んで部屋の隅に転がった。
「ハーッ! ハーッ、……スー。間に合った」
呼吸を整えながらビショップの方へと向き直る。突入前に発動させた3曲の効果は、たったいま切れた。歯を食いしばり、前腕からの大量出血で飛びそうな意識を戻す。3ヤード先のビショップと目が合った。緑青色の司教服を血で汚した女は禍々しい眼でセラドを凝視したまま、長い詠唱を終えようとしていた。

(あれはメイジのスペル。ミドルランクの中でも特に強烈。……やる気マンマンじゃねーかクソ)

咄嗟にフルートを握ろうとするが、左手のことを思い出して舌打ちした。一瞬だけ俯き、視線を戻し―― 宣言。
「お前を殺す」
セラドは右手1本で握るショートソードを胸の前で水平に構え、意識を集中させる。直後、その姿は灼熱の炎に包まれた。メイジのランク6スペル、パイロブラスト。一瞬にして立ち上った火柱がチャンバー内を照らし、詠唱を終えて佇むビショップの前髪と睫毛をチリリと焦がす。

音色―― ごうごうと吼える燃焼音を掻き消すように、澄んだ音色が室内に響いた。刃を踊らせ精霊の加護を得たセラドが、炎の中から歩み出る。

バードが扱う楽器は4種。打楽器、弦楽器、金管楽器、木管楽器。己の唇と歌声も一定の効果を生み出すが、効果は薄く、用途も限られる。……しかし、真のバードを志す者であれば知っている。ここにひとつの例外があることを。レジェンダリー・ウェポン【エヨナのシンギング・ショートソード】。第5の楽器で、武器。

ふたたびスペルの詠唱を開始していたビショップは発声を止め、ぎこちなく首を傾げる。
「あばよ」
彼女は―― 己の心臓に突き立てられた剣先をまじまじと見つめ、静かに崩れ落ちた。
全てをやり遂げ仰向けに倒れたセラドは、朦朧とした意識の中…… 消え入りそうな声で唄った。チャンバーに散乱した死体の数々が優しい声に包まれ、ボロボロと崩れてゆく。その独唱が止まった時、セラドは床一面に広がる灰に囲まれていた。

◇◇◇

目が覚めると、見覚えのある黒天井が広がっていた。薬草と薬品の臭いが鼻を突く。遅れてやってきた痛みに顔をしかめ、セラドは上体を起こす。無意識に左腕を突いた、いや、”突けた” 事実にハッとして目をやると、そこには鈍く光る金属製の――

(……義手?)

「あ、意識が戻りましたねー」
声の方へ振り向くと、なめし革のエプロンを身に着け箒を持ったウッドエルフが窓際に立っていた。翡翠色の髪を結わえた、そばかす混じりの少女。
「キミは…… えーと、サヨカ。そうサヨカ。ちゃんと覚えてるぜ……。またキミに助けられたのかな、オレ」
「今回は私じゃないですー。師匠ですよ。難しい治療でしたから」
「そうか。…………オレは生き延びたのか」
「そうですねー。私は何度かあ、これは死んだなと思いましたけど。師匠はすごいです」
しばしの沈黙。箒をサッサと動かす音だけが響く。今は余計なことを考えまいと、セラドが話題を変えた。
「その髪…… サヨカちゃんはウッドエルフだよな?」
「そうですー。ちゃんはやめてくださいー。こう見えて貴方より年上ですよ? 間違いなく」
「ああスマン… で、アンナ… いやアンナさんはブラッドエルフ」
「そうですー」
「ブラッドエルフって、他のエルフ族と仲が悪いんじゃないのか?」
箒を動かしていた手が一瞬止まる。
「ですねー。でも私と師匠はそういうコト無いですから。ソンケーしてます」
「嘘つけ。寝首を掻こうとしたろ」
不意に飛んできた声に、セラドとサヨカが部屋の入り口を見る。いつの間にかアンナが立っていた。
「やだなあ師匠。昔のコトじゃないですかー。じゃ、私は隣の部屋を掃除してきますねーウフフー」
切れ長の目を三日月のように曲げ細めたサヨカがそそくさと出ていった。その背中を睨んでいたアンナが口を開く。
「礼を言うんだな。貴様を助けた一団に」
「一団?」
「師匠、お客さまですー」
部屋の外からサヨカの声が届く。
「丁度おでましだ」
アンナが言いながら入り口から離れると、太眉のドワーフレンジャーがズカズカと入ってきた。
「おー! 死なずに済んだかぁ! 良かったなぁ!」
「え、誰? ……あ、酒場の。昨日オレに質問した……」
「昨日だぁ? ……あーお前さん寝込んでたからな。あれから2日経ってるぞ。まあしかし良かった。礼を言わせてくれ」
「礼? アンタがオレを助けたんじゃ?」
「ああ、それは事実だ。担いでシュッとな。……だがお前さんが殺したんだろ? あのゲボク3人。ワシらが到着した時にはもう終わっていたけどよ」
「殺した? ……ああ、確かに。オレが殺した。そう、殺したんだ……。だが礼を言われる理由は無い」
記憶を辿ったセラドは虚しげに目を伏せた。
「あるんだよ! 理由は。お前さんメイジと話したろう? アイツは別グループだがな、ワシらのグループと進捗を競う仲…… 良きライバルってやつでよ。良き飲み仲間でもあった。アイツらの仇を取ってくれたお前さんには礼を言わなきゃならん。たまに酒も奢ってくれてたしな! ガハハ」
「そうか。しかし礼はいい。オレはオレのためにやったんだ。むしろ助けてくれて………… ありがとよ」
「あー? らしくねぇ。いいってことよ! お前さんにカモられるバカを摘みにまた酒が飲めるってもんさ」
ニヤリとウィンクしたレンジャーは「じゃあまた」と片手を挙げて退室した。
「やかましい男だ。貴様ももう出て行っていいぞ。そこにまとめた荷物と…… これを持ってな」
アンナは部屋の隅に放ってある武具一式と楽器に目配せし、紙を二枚、手渡した。
「これは?」
セラドはベッドに座ったまま、一枚目の紙に書かれた文字を追う。
”請求先:セラド/500000イェン/バテマルの鍛冶屋”
「はぃ?」
「いくつかグレードがある義手の中でも自信作、一級品とのことだ。詳しい性能は本人に聞け」
「いやいや頼んでねぇし……」
混乱するセラドは呟きながら二枚目の紙に目を通した。
”請求先:セラド/200000イェン/アンナの診療所”
「はぁ?」
セラドが見上げると、アンナは自慢げに頷いていた。
「実際、今回はかなり面倒だった。早い段階で処置に入れたから義手との神経接続もできた。多少はな。だが……さすがに繊細な動きは無理。リハビリでどこまで回復するかは分からない」
アンナの視線が一瞬だけ楽器に向けられた。
「いやいや頼んでねぇって……」
「貴様……! 仇討ちを遂げ、生き延び、失った手も生活に不自由無いレベルで治療を施され…… 何が不満だ。金はたんまりあるんだろう? 以前バァバが言いふらしていたぞ。ドゥナイ・デン中で有名だ。だから私もバテマルも動いた。金が無ければ止血して包帯巻いて放り出しているところだ」
首を振るセラドに苛立ちを覚えたアンナが咎めるように言葉を浴びせる。放心したように首を垂れていたセラドはハァ、と大きな溜息を吐き、小さな声で言った。
「……オレ、スッカラカンなんだよね」

◇◇◇

セラドは鉄板のように重く感じる二枚の紙ペラを持ったまま、中央通りに出た。ヒュウ、と夜風が頬を撫でる。もう何度目か分からない溜息を漏らし、宿屋に足を向けた。宿代は前払いで5日ぶんの余裕があるが、何をするにも先立つ物が必要である。いくらレジェンダリー・ソードがあるとは言え、左手の自由が利かぬまま下層に赴くのは危険過ぎる。戦利品を持ち運ぶ量も限られ、以前のようなペースで稼ぐことはまず無理だ。楽器を売って当面の資金に充てるという手もある。いずれも質の高いユニーク・アイテムだ。バードなら高値で買うことは間違いない。
「でもなぁ……。そりゃあできねぇってもんさ」
セラドは呆けた顔を引き締め、二枚の紙をズボンのポケットに押し込んだ。「ん?」
違和感を覚え、ポケットをまさぐる。掴み出されたのは―― クシャクシャの1000イェン札、3枚。

(……あの時の釣り銭か。ピッタリだと思ったのにな)

セラドは足を止めてしばし考え、やがて踵を返し…… ニューワールドに向けて歩き出した。先ほどよりいくらか確かな足取りで。

いつになく見通しの良い夜道を歩きながら、ふと空を見上げる。

(今日はやけに月が綺麗じゃねーか。星も………… 終わったんだ。そうだ。終わった。”オレたち” をこんな目にあわせたクソサイオニックはもういねぇ。それに……)

2人の顔が目に浮かんだ。
チャンバーで見たあの顔ではなく、苦楽を共にしてきた懐かしい顔が。

腕っぷしと明るさだけが取り柄だった従者、キスポ。
そして―― セラドが愛した女性、サンシャ。
もう、彼女たちが誰かを殺めることはない。誰かに憎まれることもない。

「これじゃイカサマもできやしねー…… リハビリしねぇとなあ。ったくキスポの野郎め。あの世で会ったらブッ飛ばしてやる」
セラドは左手の指をぎこちなく動かしながら、ひとり軽快に笑った。

【第2話・完】

【第3話に続く】

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