見出し画像

地域で子育て(見守る)環境を

私は埼玉県入間市で子育てをしている主婦です。
仕事で入間市に移り住み約15年。
仕事に子育てと慌ただしく
学校、地域、政治…
無関心。特に知ろうとせずに、日々過ごしてきました。

思いのきっかけはPTA改革

子供が通っている小学校には
本部役員、学年委員、校外委員など、
年間、一定の人数を役員決めし、年間何回かの会議、年間数回の行事を行わせる。
よくあるPTAでした。
それを今までの本部役員さんが
約6年かけて、スリム化しボランティア化しようと活動してくださり「できるときに、できる人が」と私も大賛成でした。
しかし、ボランティア化への試行期間に特に動いている気配はありませんでした。
コロナ禍で先生方の手が回らず、学校が朝の検温ボランティアを募集していた時の事、
私は朝は時間があったので、毎日出られるということを報告したのですが、そこで手をあげたのは1か月で私以外に2人だったということを知りました…
また、そのことを他の保護者に結果も知らせないまま、私と他3人で回そうとしたので、意見具申。
これでボランティア化できるのか?と不安に思いました。
よくよく聞いてみると
学校が依頼していることを、他の保護者にアンケートすることなく
「それ必要ですか?」と本部役員2名で勝手に考え決断し、
学校が困っている、不安に思っていることを
解消、対策せずに進んでいることがわかりました。
通学班もあるのに、校外役員、見守りなども無くし、
他の保護者がどう考えているのか、保護者同士知る由もなく…試行期間が終わろうとしていました。
試行期間中に、どうしたらボランティアが集まるか検討し
PTAがなくなってもボランティアで動けるという安心感をなぜ学校に提示してあげないのかと憤りを感じました。
また、この本部役員の方々も子供が卒業したら役目は終わり。
次の方への引継ぎを考えていらっしゃらなかったのです。
なんと無責任だと感じました。
壊すだけ壊して、改築しないのかと…
無関心だった私が言えたことではないのかもしれませんが、
トップが勝手に決めていく社会。
こんな小さな400人もいない小学校で恐ろしさを実感しました。

だからこそ私はあえて、今年度PTAを作りました。
ちゃんとPTAからボランティアにできるように。
直接民主主義のように、もっと意見交換しやすい環境にしたい。
その為にも保護者に当事者意識を持ってもらう。
誰がどんなことをしているのか見える化する。
問題があればアンケートをとる。
子供達の学校での様子などを配信し関心を持ってもらう。
そして、学校(先生方)と協力し合い、子ども達により良い環境づくりをしたいと思ったのがきっかけです。

保護者の状況

しかしながら、保護者は子育てに、仕事も含め何かと忙しい世代。
正直、PTA役員とか面倒なことは関わりたくない。
でも、子供達は元気に楽しく学校に通ってほしい。
学校で沢山学んできてほしい。
全ての保護者がそうでなくとも、私は多数だと思います。
そこで考えるようになりました。
最近、保護者の責任が強い(重い)なと。
親ガチャ」この言葉が流行ってから益々強く感じます。
周りに迷惑をかけないようにしなきゃ。
貧乏にならないためには勉強させなきゃ。
周りに何か言われり、思われたりするのが怖いから勝手に出かけちゃだめだとか。
ちゃんと育てなきゃ。
でも自分では教える時間がない。教え方がわからない。
だから
学校から帰ってから、習い事で埋まる子。
勝手に出ちゃだめだから、ゲームやネット三昧の子。
公立はとくに両極端で、格差があると危機感を持ったとともに
PTAとかその学校だけで、その学校の忙しい保護者だけでそもそもなんで回さなきゃいけないんだろうとか。
広い範囲で手助けできる環境があればいいんじゃないかなと考えるようになりました。

私の過去

話は変わりますが、
私は小学1年生まで父は単身赴任、母のワンオペ育児で育てられました。仕事に忙しかった母と遊んだ記憶はほぼありません。
しかし、近所の子供達と兄弟と外で遊びまわり、母はあまり怒る人ではなかったので楽しかった記憶しかありません。
それが小学2年生の時、突然の離婚。
まさかの父に引き取られることになりました。
父には再婚相手とその間に子供もいて…
突然、見知らぬ土地、新しい家、新しい家族で生活することになりました。
他人からみると裕福な方の家庭に見えたと思います。
しかし、その保護者は子供の為にお金を使うことは少なく、私はいつも兄弟のおさがりでした。
服や物、教材など私の意見など聞くことはなく、好みを与えてもらった記憶はありません。
また、ご飯をつくること、掃除をすること、家事全般、やらなきゃいけないことになりました。
できていないと怒られ、殴られました。
勉強も成績が悪いと、怒られ、殴られました。
「反省しろ」と正座をさせられたり、外に出されたり、怒られたら1時間~3時間コースで…
なんでこんな怒られてるんだろう…
なにしたんだっけかな?
と思いつつ「ごめんなさい」というのが口癖になりました。
基本、家は、家事と勉強。
遊びに行くと、他の兄弟に任せることになり、兄弟の仲もギスギスし、怒られたときは誰がチクっただの。
恨み合いが強くなり、信じあうことができなくなっていきました。
いつしか私は「いつ死のうか」と常々考えていました。
私が抜け出せたのは小学5年生の時に父が死んだことです。
それから中学1年生まで、義母に育てられましたが、なんでここにいなきゃいけないんだろうと。
死ぬ前に意を決して、「実の母のところに戻りたい」と反攻してみました。
意外にもその一言から、とんとん拍子に話がまとまり、実の母が引き取ってくれることになりました。
それからは、母に高校まで育ててもらい、随分と迷惑をかけましたが、死のうと考える事はなくなり、自分の考えを持てるようになりました。
今はおかげさまで毎日幸せを感じています。

子供は選択することが大事

何が言いたかったかというと
家には子供の意志がない家庭があるということです。
親の言うことが絶対という家庭は少なからずあり、
それが多様性を受け入れず、寛容性、思いやりの欠如につながると私は体験しています。
なにせ、子供は視野が狭いです。
家という、小さな世界が全てだと思っています。
私は幸いにもひとつ選択肢があり、抜け出すことができました。
選択肢。子供達に他にもあるかもよ?と知らせてあげたい。
そしてどんな保護者に育てられても、いい環境に触れれば変われるということ。
子供達の意志、選択、この機会をもっと持たせる環境をつくってあげたいと思うのです。

学童保育をなくす

貧困でもDV環境でもとりあえず、子供達は小学校には登校します。
ここで、とめなければいけない。

学校の授業が終わったら帰るのではなく、
そのあとの放課後、子供達自ら遊ぶのか、習うのかを選択する。
自分が好きなことをする時間を与えたい。
帰りたい子は帰ればいいし、
残りたい子は残ればいい。
できれば夕飯も学校で提供し、帰ってお風呂に入って寝るだけにしたい。
そうすれば保護者の負担、責任は軽減されるのではないか?
保護者は帰ってくる子供達をただ、ハグして「おつかれさま」というだけでいい。
「勉強しなさい」なんて言わなくていい。
何があったのか聞くだけでいい。
子供も無駄に親に怒られることもなくなる。

子供達の居場所づくり。
学童という特定の人だけ入れるのではなく、小学校に通う全員が対象。
私は「楽校」(楽しく学びを育める場所)を創りたいです。
願わくば、「学校」が苦手な子供でも「楽校」で過ごすことで、少しでも「学校」へ行くことができるようになれればなとも思っています。

地域で子育て(見守る)とは

事業については地域の方々と協力していく。
中学生、高校生、大学生、社会人そして何より
地域には色々なスキルをもった時間をもてあました大先輩がいます。
その方々が都合のいい時に学校にきて子供達を見守る。
子供達と顔見知りになる。
そうすれば、知らない人ではなくなり、挨拶が生まれる。
「あいさつ」はパワーだと思います。
目をみて挨拶をもらえると、見ていてくれるという安心感であったり、ちょっと元気がでたりします。
街全体で挨拶し合える。
困っているときに声をかけてもいい人がいる事を知る。
地域で助け合い、子供達を見守る環境にしたい。

今私ができること

私は今まで無関心でした。
なので、今入間市で活動されている方々を知るということをしています。
入間市で「まちの先生」をしてくださっている方々を知るために
「入間市生涯学習をすすめる市民の会」に入りました。
母子愛育会」に入り、未就学児までのお子様、保護者に寄り添う活動を手伝ったり、子ども食堂の方々のお手伝いや、子供の学習支援をしてくださる「こども★チャレンジ」に参加したり、
自由に子供達を遊ばせる「いるぱーく」さんのお手伝いをしたり。
他にもまだまだ、入間市にはあたたかい心で活動してくださっている方が沢山います。

今は小学校のPTAとして家庭教育学級を通じて、子供達をつなげています。
今は1校ですが、理想はPTAという枠にはめず、地域で行えるように全校と地域とをつなげられるようなプラットフォームをつくりたいです。
そして、「楽しい学び」事業もそこで繋げられればと考えています。

「親ガチャ失敗」でもなんとかなる社会になればなと思います。

つたない文章ですが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

#未来のためにできること

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?