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イタリア人彼女の食事情

僕 : 「ご飯できたよ」

彼女 : 「いらない」

僕 : 「食べろ。せっかく作ったんやぞ。」





でも言いたいところではあるのです。



ですが現実は違うのです。




僕 : 「ご飯できたよ」

彼女 : 「いらない」

僕 : 「いらなかったら置いておいてもいいよ。何か違うもの作ろうか?」







僕って尻に敷かれてますか?






ーーー





幼い頃の僕は好き嫌いが激しく、

出されたものを全て食べ終わるまで

よく2時間も3時間も食卓で過ごしていた記憶があります。




僕の母親は全てを食べ終わるまで席を立たせてくれず、泣きながら嫌いなものを食べていた思い出があります。



日本の一般的な家庭はこの類なのではないでしょうか?



ー好き嫌いを許さず、子供にはなんでも食べさせるー



僕の場合、
ピーマンとトマトを出された日には最後の最後まで残し、
口に含んだ状態で「ごちそうさまでした」をして、
トイレに駆け込んでいました。



教育的に
本当にそこまでしなければいけないのか、
それが正しいのかはわかりませんが、



ー食べ物を粗末にしないー

ー好き嫌いなくなんでも食べるー



ことは
すごく大切なことです。





一方で
ことをイタリアに移すと見事に真逆になります。





ー子供が嫌いなものは食べさせないー

ー食べれないなら残すー




親もそれに対して怒らないらしいのです。

むしろ子供の為に違うものを即席で作ってあげるみたいなんです。

その為、イタリアでは大皿を皆でつつくなんてことはしませんし、
家庭で食事をするときも各自違うものを食べているなんて事も少なくありません。




僕は今まで何度も彼女に作った料理を残されたことがあります。

僕はショックですが彼女はケロっとしています。

なんなら、食べれなくてお腹減ってるんだから何か違うものを作ってと言われる事もなくもないのです。





(これは文化の違いと受け入れるべきものなのか?)



僕は毎回この思いと格闘を繰り広げます。




誰かこの行き場のない思いを受け取ってください。




僕 : 「君のマンマは食べ物を残して怒らないの?」

彼女 : 「怒らないよ。」

僕 : 「日本じゃあり得ない事なんだよ。」

彼女 : 「知らんけどさ、そもそもどうして私が嫌いな食べ物なんか出すのよ。」

僕 : 「いや、美味しく調理したから食べてみなよ。」

彼女 : 「嫌。私のこと全然知らないのね。」



文化の違いといえばそれまでなんですが、

人としてどうなの?

思ったりもします。






これって尻に敷かれていますか?








彼女は親子丼が好きなのです。


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